甲信地域には、光太郎ゆかりの人々の記念館さんや、それらの人物の作品などを収めた美術館さんなどが多く(その代表が碌山美術館さんですが)、時間に余裕がない場合を除き、碌山美術館さんに行く際には、必ず他にも立ち寄ることにしています。

一昨日は、月曜日でした。記念館さん、美術館さんの類は、ほぼほぼ月曜休館なので、どうしようかと考えた結果、長野市の信州善光寺さんに参拝することにいたしました。

こちらの仁王門には、光太郎の父・光雲と、その高弟・米原雲海による仁王像、三面大黒天像、三宝荒神像が納められ、仁王門は昨年、仁王像は今年が、それぞれ100周年のメモリアルイヤーとなります。9月には100周年を記念しての特別法要があるそうで、それに向けて、昨年から今年にかけ、さまざまな動きがありました。


9月の特別法要にも足を運ぶつもりでおりますが、予定が狂うことも考えられますし、下見も兼ねてと考え、今回参拝しておくことにしました。

ちなみに善光寺さんを訪れるのは3回目でした。最初は幼かった頃、2度目はこのブログを始める直前の10年ほど前の家族旅行でした。

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善光寺さん、駐車場は裏手の方でした。そこで、本来なら上記画像でいうと下の方にあたるゾーンから、仁王門、山門をくぐり、本堂へというのが正しい経路になりますが、裏口から入ったので、それとは逆のコースをたどりました。

最初に本堂裏の日本忠霊殿・善光寺史料館。三重塔の形をした建造物です。

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こちらには、仁王像、三宝荒神像、三面大黒天像のひな型が展示されています。

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ひな型といっても、仁王像は像高1メートル50センチ余ですし、三面大黒天像、三宝荒神像も同じく1メートル余で、それなりの大きさです。

4体とも、平成14年(2002)に、茨城県近代美術館さん他を巡回した「高村光雲とその時代」展に出品された時に拝見しまして、17年ぶりでした(10年前の家族旅行の折にはパスしましたので)。「高村光雲とその時代」展の際は、とにかく出品点数が多く、一つ一つの作品を仔細に観る余裕が無かったのですが、今回改めて4体を細かに拝見、興味深く感じました。

像高150㌢余ということで、考えてみれば当然なのですが、仁王像は寄木造りでした。有名な光雲の木彫というとそれほど大きなものは無く、一木造りのものがほとんどですから、意外に感じました。ただ、寄木といっても、ボーッと見たのでは継ぎ目がわからないほどに処理されています。

それにしても今にも動き出しそうな躍動感が実に見事でした。

三面大黒天像、三宝荒神像は、平成27年(2015)に東京藝術大学さんによる修復が行われており、くすみの見えていた彩色が色鮮やかに復活し、まるで最近作られたもののようでした。


その後、本堂→山門→仁王門と、逆コースで歩き、再び仁王門から山門、本堂へ。

随所で桜が見事でした。平日にもかかわらず、やはり多くの参拝客の皆さんでにぎわっていました。

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さて、仁王門。

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こちらの仁王像は丈六(約 4.85m)です。

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大正時代、これを運ぶために特別に無蓋貨車をしつらえたという話もあります。

それぞれの背面に、三面大黒天像、三宝荒神像。

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おそらく10年前には無かった説明版が設置されていました。「像高約二メートル」となっていますが、七尺五寸のはずなので、換算すると約2㍍85㌢となります。台座部分を入れずれに約2㍍としているのでしょう。

続いて山門。

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そして本堂。

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この地の安寧を祈願し、さらにちょっとだけ個人的に「道中安全御加護」と唱えさせていただきました。

本堂の斜め前に、「授与品所」があり、最近はやりの御朱印などもこちらでいただけるようになっています。さらにお札やお守り、数珠やお香、その他さまざまなグッズも販売されています。

仁王尊グッズはないかと思って覗いてみましたところ、ありました。それもかなり。

まず交通安全のお守り。赤、白、黒と三種類ありましたが、さすがに3枚買うのも何ですので、黒のみ購入。

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続いてエンボスステッカーセット。

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さらに手ぬぐい。

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仁王尊、ここまで行くと、ゆるキャラ化しています(笑)。


その後、駐車場に戻り、愛車を駆って安曇野市碌山美術館さんを目指しまして、昨日のレポートに戻ります。


というわけで、信州レポート、終わります。


【折々のことば・光太郎】

時鳥は暗いうちから啼いてゐて一日中実にせつかちに、つづけざまに啼く。よくも続くものだと思ふほど休みなしに「ホンゾンカケタカ、ホンゾンカケタカ」をくり返す。こんなに切なく友を求める鳥も珍らしく、蝉のせつかちに似てゐる。
散文「七月一日」より 昭和21年(1946) 光太郎64歳

「時鳥」は「ホトトギス」。自宅兼事務所周辺でも、そろそろその特徴ある鳴き声が聞こえてくると思われます。

花巻郊外旧太田村での蟄居生活。気ままな一人暮らしという面もありましたが、「こんなに切なく友を求める」あたりに光太郎の一抹の寂しさを読み取るのは考えすぎでしょうか。