NHKさんの大河ドラマ「いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~」。視聴率的には厳しい状況だそうですし、レギュラー出演者の逮捕などのケチもつきましたが、当方は毎週楽しく拝見しております。

先週は統一地方選挙速報の関連で放映が休止でしたが、今週の第14回から新章に突入します。 

いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~ (14)「新世界」

NHK総合 2019年4月14日(日) 20時00分~  再放送 2019年4月20日(土) 13寺05分~
NHK BSプレミアム  2019年4月14日(日) 18時00分~

ストックホルムから帰国する四三(中村勘九郎)。報告会で大勢の高師の仲間が健闘を称える中、敗因を厳しく問いただす女性が出現。永井道明(杉本哲太)の弟子・二階堂トクヨ(寺島しのぶ)である。同じ頃、孝蔵(森山未來)は四三とは逆に東京から旅立とうとしていた。円喬(松尾スズキ)とは別の師匠について地方を回るのだ。自分は円喬に見限られたと落ち込む孝蔵。しかし、出発のとき、新橋駅に円喬が駆けつけて−

出演
中村勘九郎,綾瀬はるか,生田斗真,永山絢斗,満島真之介,山本美月,近藤公園,武井壮,森山未來,神木隆之介,
橋本愛,荒川良々,峯田和伸,松尾スズキ,柄本時生,杉本哲太,中村獅童ほか

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明治45年(1912)のストックホルムオリンピック編が終わり、時代は大正へと移ります。そして新キャストが続々登場。

その一人が永島敏行さん演じる武田千代三郎。

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以前にもご紹介しましたが、元青森県知事で、十和田湖の景観に打たれ、道路の開墾等に尽力しました。そのため、雑誌『太陽』で初めて十和田湖の美しさを世に広めた大町桂月、武田に協力して十和田湖周辺の整備に力を尽くした法奥沢村長・小笠原耕一と共に、「十和田の三恩人」と讃えられました。

昭和28年(1953)に除幕された、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」は、元々周辺の国立公園指定15周年を記念し、「十和田の三恩人」を顕彰するためのモニュメントとして作られたものです。

右は「乙女の像」除幕式の際に、関係者に配られた光太郎による記念メダルの石膏原型。肖像は大町桂月ですが、武田の名も刻まれています。

青森県知事退任後、武田は大日本体育協会副会長に就任。箱根駅伝の開催に取り組み、「駅伝」の名付け親ともなります。

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もう一人、「この人も出るか!」と驚いたのが、二階堂トクヨ。演じられるのは寺島しのぶさんです。

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二階堂は宮城県三本木町(現・大崎市)の出身です。地元の小学校で准訓導として教壇に立ちながら宮城県の師範学校入学を目指していましたが、明治28年(1895)、同県では女教員は休みが多い、能率が上がらないなどの理由で女教員廃止決議が採択されてしまいました。そこで、隣接する福島県師範学校に入学しようとしましたが、こちらは福島県に籍が無ければ不可。そこで、初代福島民報社長にして国会議員でもあった小笠原貞信の養女となり、小笠原姓となりました(のちに「二階堂」に復姓)。

そしてめでたく福島師範を卒業し、赴任したのが智恵子の母校・安達郡油井村(現・二本松市)の油井小学校でした。明治32年(1899)、智恵子は高等科に在学中で、トクヨは智恵子の6歳下の妹・ミツ(尋常科2年)の担任となりました。さらにそれだけでなく、トクヨは智恵子をかわいがり、智恵子は友人と共にトクヨの下宿を訪ねたり、一緒に安達ヶ原を散歩したりしたとのこと。

向学心溢れるトクヨは、さらに同33年(1900)には東京女子高等師範に進学しました。この際には智恵子の実家・長沼家が資金援助を行ったらしいとのこと。智恵子との直接の関わりは1年間だけでしたが、智恵子は強烈な印象をトクヨから受けました。同じように油井小学校で教壇に立った後に日本女子大学校に進学した服部マスもおり、智恵子が日本女子大学校に進む希望を固めたのは、この2人の影響が大きいようです。

智恵子が日本女子大学校に進んだのは明治36年(1903)、この年、トクヨは女高師の最終学年でした。記録は確認できていませんが、おそらく、上京した智恵子はトクヨと再会し、久闊を叙しただろうと推定されます。

翌年、女高師を卒業したトクヨは、金沢の高等女学校に赴任。ここで体操の授業を持たされたことがきっかけで、体育のスペシャリストになっていきます(本来の専門は国語だったそうですが)。明治44年(1911)には、母校の助教授となり、大正元年(1912)には、英国留学。その際、横浜港には智恵子、さらに光太郎も見送りに現れたそうです。同4年(1915)に帰国、東京高師教授就任、同11年(1922)、二階堂体操塾(現・日本女子体育大学)設立……すごい女性ですね。

ちなみにここまで、佐々木孝嘉氏著『ふるさとの智恵子』(昭和53年=1978 桜楓社)を参考にさせていただきました。

「いだてん」。このトクヨの活躍も楽しみにしつつ、拝見したいと思います。皆様もぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

自然は人をつくる。この霊峰の此の偉容に毎日毎朝接してゐる上高下の部落は幸である。
散文「日本の母」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

「霊峰」は富士山。「上高下」は、光太郎が詩部会長に就任した日本文学報国会と読売新聞社が提携して行われた「日本の母」顕彰事業のため訪れた、山梨県南巨摩郡穂積村。現在の富士川町上高下(かみたかおり)地区です。

ここは冬至の前後、日の出が富士山頂付近からのぼる「ダイヤモンド富士」の名所としても有名です。