アートオークション大手の毎日オークションさん。時折、光太郎や光太郎の父・光雲関連が出品されます。

3月9日(土)開催の「第600回毎日オークション 絵画・版画・彫刻」では、光太郎のブロンズ「大倉喜八郎の首」(大正15年=1926)が出まして、50万円で落札されました。ただし、出品名は「老人の首」となっていました。

元々はテラコッタで、モデルは大倉財閥の創業者・大倉喜八郎。光雲が頼まれた大倉の肖像彫刻のための原型として作られました。というわけで、きちんとした作品として作られたものではなく、ブロンズの鋳造も光太郎歿後。さらにテラコッタの段階で、左の耳が欠けてしまっているという瑕疵もあります。

しかし、その表情等、非常に味のあるものですし、大理石の台座も付いたちゃんとした鋳造で、50万円というのは妥当な線でしょう。

光太郎、後に昭和6年(1936)になって、この彫刻の制作風景を詩にしています。

  似顔

 わたくしはかしこまつてスケツチする001
 わたくしの前にあるのは一箇の生物
 九十一歳の鯰は奇觀であり美である
 鯰は金口を吸ふ
 ――世の中の評判などはかまひません
 心配なのは国家の前途です
 まことにそれが気がかりぢや
 写生などしてゐる美術家は駄目です
 似顔は似なくてもよろしい
 えらい人物といふ事が分ればな
 うむ――うむ(と口が六寸ぐらゐに伸びるのだ)
 もうよろしいか
 仏さまがお前さんには出来ないのか
 それは腕が足らんからぢや
 写生はいけません
 気韻生動といふ事を知つてゐるかね
 かふいふ狂歌が今朝出來ましたわい――
 わたくしは此の五分の隙もない貪婪のかたまりを縦横に見て
 一片の弧線をも見落とさないやうに写生する
 このグロテスクな顔面に刻まれた日本帝国資本主義発展の全  
  実歴を記録する
 九十一歳の鯰よ
 わたくしの欲するのはあなたの厭がるその残酷な似顔ですよ


プロレタリア文学やアナーキズムにも影響されていた光太郎、妖怪のような大富豪に対し、容赦ありません。


同じ毎日オークションさん、今日までの「第601回毎日オークション 新作工芸」には、光太郎の実弟にして、鋳金の人間国宝だった豊周の作が出ています。どうも「大倉喜八郎の首」と出所が同じような気がします。

題して「朧銀花入」。昭和43年(1968)の作ということになっています。

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共箱の箱書きには、「高村光太郎賞終了記念 昭和四十三年四月 豊周」とあり、まちがいなく豊周の筆跡です。

「高村光太郎賞」は、筑摩書房さんの第一次『高村光太郎全集』が完結した昭和33年(1958)から、その印税を、光太郎の業績を記念する適当な事業に充てたいという豊周の希望で、10年間限定で実施されました。造形と詩二部門で、歴代受賞者には、造形が柳原義達、佐藤忠良、舟越保武、黒川紀章、建畠覚造など、詩では会田綱雄、草野天平、山之口獏、田中冬二、田村隆一ら、錚々たる顔ぶれ。審査員は高田博厚、今泉篤男、谷口吉郎、土方定一、本郷新、菊池一雄、草野心平、尾崎喜八、金子光晴、伊藤信吉、亀井勝一郎など、これまた多士済々でした。

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昭和38年(1963)からは、造形部門の審査員と受賞者による「連翹会展」が開催され、顧問として豊周が上記の「朧銀花入」を出品しています。そして昭和43年(1963)、高村光太郎賞終了に伴い、関係者に同型のものが配布されたのでしょう。

主催者による「予想落札価格」は、3万円から5万円と設定されていますが、こうした由緒を考えると、もっと行ってもいいような気がします。店頭販売でこの値段だったら、当方は迷わず買いますね。ただし、分割払いにしていただきたいところですが(笑)。

毎年、連翹忌では、光太郎の没した中野の貸しアトリエの庭に咲いていた連翹から株分けした連翹を、光太郎遺影と共に飾っています。その際に使う花瓶は当方自宅兼事務所にある適当なものを使っていますが、いずれは豊周の作を入手し、それを使いたいものです。


【折々のことば・光太郎】

私は以前から自説は述べるが、人と論争をあまり為ない。論争そのものが嫌ひなのではないが、論争には相互の態度に或る資格がいると思つてゐる。論争とは結局共同の真理追究に外ならない。ただあい手をやりこめる事ばかり考へてゐるやうな論客には論争する資格が無い。

散文「某月某日」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

永田町の人々にぜひ読んでいただきたい一節ですね。もっとも、それだけでなく、文学研究などの世界にもこうした手合いが少なからず存在するのですが……。

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