新刊の雑誌系に載った記事を2件ご紹介します。たまたまどちらも「食」がらみです。

まず、『週刊読書人』さん。いまわの際の智恵子が「がりり」と噛んだレモンにからみます。3月1日号中の「【書評キャンパス】大学生がススメる本」というコーナーで、光太郎の『智恵子抄』が取り上げられました。

高村 光太郎著『智恵子抄』 評者:黒川 あさひ(明治大学文学部3年)

二〇一八年末のNHK紅白歌合戦に今を時000めく米津玄師が出場し、連続ドラマ『アンナチュラル』の主題歌である『Lemon』を歌いあげた。この曲は非常に人気があり、カラオケのランキングでも一を総ナメしているらしい。この『Lemon』という曲は、「レモン哀歌」を元として作ったと米津さんがどこかのインタビューで答えていたことを記憶している。「レモン哀歌」というのは、彫刻家や画家、そして詩人として活躍した、高村光太郎によって紡がれた詩集『智恵子抄』に収録されている詩の一つである。米津の歌詞の節々に『智恵子抄』に収録されている、「レモン哀歌」以外の詩を思わせるような単語もあるため、「レモン哀歌」というよりは『智恵子抄』全体を元にしたのではないだろうかと思う。
『智恵子抄』は愛の詩集だ。高村光太郎が、妻・智恵子と出会い、「清浄」されて、精神分裂症を患った妻をひたすらに支えて、妻が亡くなった後も愛し続けた、その証だ。夫妻が結婚する前から智恵子が亡くなった後までの、30年にもわたる年月の中で光太郎が妻へ宛てて書いた詩を収録している。愛の詩といっても、あまったるいというわけではない。「人に(いやなんです)」「あなたはだんだんきれいになる」といった粉砂糖のようにきらきらと輝いている甘い詩もあれば、「レモン哀歌」や「梅酒」のような、それこそお酒のようにほろ苦いけれど止められない、そんな詩もある。
『智恵子抄』はいくつかの出版社から出ているが、私は中でも新潮文庫版の『智恵子抄』が好きだ。理由としてはいくつかあり、まず他版元では初版に準じて、「『智恵子抄』」「『智恵子抄』補遺」の順に掲載されているが、新潮文庫版では、両方を合わせて作品が全て年代順に並べられているということ。年代順に読むことで、光太郎の幸せ、喜び、そして嘆き、悲しみがより伝わってくるように感じる。次に、表紙、及び冒頭のカラーページを飾るのは、智恵子によって作られた切抜絵の作品ということ。これが非常に素晴らしいもので、またそれらは智恵子が光太郎にだけ見せるために作り続けたものであることが巻末の文章で分かる。最後に、巻末の文章に詩人の草野心平による高村夫妻のエピソードが書かれている文章があること。それがまたどうしようもなく悲しくて切ない、けれどとてつもなく素敵なエピソードなのだ。
この草野心平の文章の中に先ほど挙げた切抜絵のエピソードもあるのだが、私が思わず涙してしまったのは、光太郎が、草野を「喫茶店ともバアともつかないとこ」に呼び出した時に投げかけた言葉だ。思わず息を飲み、何も言えなくなってしまう。静かに涙を流しながら残りの数ページを震える手で捲ったことを覚えている。是非読んでみて欲しい。
『智恵子抄』はぜひとも、夜中に大切な人のことを考えながら読んでみて頂きたい。できればお供として「梅酒」を片手に。

このコーナー、「現役大学生が自ら選書し書評を書く人気コーナー。紙面「週刊読書人」で毎週一人ずつ掲載する他、ウェブ限定の書評もあります。いまの大学生が友だちに薦めたい!と思う本とは?どんなところに魅力を感じているのか?どれも読みごたえのある書評ばかりです。」だそうで、新刊書籍に限らず、古今東西の名著的なものも取り上げられています。そこで、新潮文庫版の『智恵子抄』。

当方、常に光太郎智恵子が忘れ去られる危機感を抱いて活動しているのですが、まだ21世紀を生きる若者の心の琴線に触れる部分がやはりあるのですね。そういった意味で、昨今の「文豪」ブーム、そして書評でも触れられている米津玄師さんの「lemon」、ありがたいところです。


もう1件、定期購読しています『花巻まち散歩マガジン Machicoco(マチココ)』さん。第12号が届きました。

イメージ 2 イメージ 3

花巻高村光太郎記念館さんのご協力で為されている連載「光太郎レシピ」、今号は「光太郎の正月」だそうです。元ネタは昭和23年(1948)1月6日付けの書簡。

姻戚となった茨城取手在住の宮崎仁十郎から届いた餅を使い、雑煮とお汁粉を作ったそうで、小豆は自分で栽培したものを使用したとのこと。さらにイカの中華炒め。美味しそうです。

この連載が実を結んだ部分もあるのでしょう。多方面で「光太郎の食」についてスポットが当てられています。昨年から今年初めにかけ、花巻高村光太郎記念館さんでは企画展「光太郎の食卓」が開催されましたし、現在、いわき市立草野心平記念文学館さんで開催中の冬の企画展「草野心平の居酒屋『火の車』もゆる夢の炎」でも光太郎が取り上げられています。今週末には関連行事で料理研究家の中野由貴さんを講師に、「居酒屋「火の車」一日開店」があり、その中で「心平・賢治・光太郎 ある日の食事」というトークも為されます。

ちなみに偶然ですが、今月東京武蔵野市で開催される「第13回 与謝野寛・晶子を偲ぶ会」のテーマが「「明星」文学者、四季の食卓――杢太郎、勇、晶子、光太郎」ということで、発表を仰せつかっています。またのちほど詳しくお伝えいたします。


【折々のことば・光太郎】

此所で喰べた野草の味が忘れられない。蕨のやうだが蕨よりも歯ぎれぎよく、ぜんまいのやうだがぜんまいよりもしやつきりしてゐる。ただの煮つけではあるが其色青磁の雨過天青といふ鮮やかさにまがひ、山野の香り箸にただよひ、舌ざはり強く、しかも滑かで、噛めばしやりりといさぎがよい。

散文「こごみの味」より 昭和13年(1938) 光太郎56歳

「此所」というのは、群馬県の利根川上流域の藤原村、現在のみなかみ町藤原です。昭和4年(1929)の5月にこの近辺を旅した際の思い出で、題名にもある「こごみ(クサソテツ)」に関わります。村に1軒だけあった食堂でこごみの煮つけを饗され、その味わいに感動したとのこと。

光太郎、この後、戦時中には食糧不足のためやむなく、戦後は岩手花巻郊外太田村の山小屋での蟄居生活で、こちらは自ら好んで、さまざまな野草を口にしています。