3/9(土)にNHK BSプレミアムさんで放映されるスペシャルドラマ「女川 いのちの坂道」の番宣番組「ドラマ"女川 いのちの坂道"メイキング」を、昨日、拝見しました。

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5分間のミニ番組ですが、これを見ただけでぐっときました。

東日本大震災の津波で倒壊、流失するまで女川町に建っていた、昭和6年(1931)の光太郎の女川来訪を記念する「高村光太郎文学碑」の精神を受け継ぎ、東日本大震災後、費用全額を寄付で集めた「いのちの石碑」をめぐる実話を元にしたドラマです。

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主人公・咲(19)は、その建立に携わったメンバーの一人。演じるのは平祐奈さん。

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いろいろあって、高校卒業後、女川を離れ、久しぶりの帰郷という設定だそうです。

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上京して知り合った彼氏(平埜生成さん)は、映像作家志望だそうで、ドローンが登場。

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実際にはプロのドローンパイロットの方が操縦し、女川の空撮風景が随所に使われています。

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JR石巻線女川駅裏の共同墓地。「何も入っていないお墓もあるんだよ」と、咲のセリフ。

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元の野球場に建てられた仮設住宅。かつて光太郎文学碑の建立に奔走し、あの日、津波に呑まれて亡くなった貝(佐々木)廣氏の奥様がお住まいでした。震災の翌年には、この中央の坂本龍一マルシェで、第21回女川光太郎祭が開催されました。

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ドラマの本編は3月9日(土)。番宣番組は再放送で2/21(木)11:40~11:45、2/22(金)27:55~28:00、2/23(土)9:25~9:30、2/24(日)23:55~24:00に、いずれもNHK BSプレミアムさんで放映されます。ぜひご覧下さい。


続いて、NHK Eテレさんの「にほんごであそぼ」。2月15日(金)の放送回、「僕の前に道はない僕の後ろに道はできる「道程」高村光太郎」と予告が出ていたので拝見しましたが、過去の映像の使い回しで、坂本龍一さん作曲の「道程」が流れました。

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こちらは3月1日(金)、6時35分~6時45分と17時00分~17時10分に再放送があります。


もう1件。  

フランス人がときめいた日本の美術館 #21「朝倉彫塑館(東京都台東区)」

BSイレブン 2019年2月22日(金) 20時00分~20時58分

美術ファンの間でベストセラーとなっている書籍『フランス人がときめいた日本の美術館』を番組化。著者で、数々の美術展をプロデュースしているフランス人美術史家、ソフィー・リチャード氏のメッセージをもとに、フレッシュで透明感のある旅人たちが、日本の美術館の魅力・価値を発見していく、美術探索ドキュメンタリー。 さらに、周辺の観光情報など紀行要素もプラスして、「週末に出かけたくなる美術館」をご紹介します。

日本にはバラエティに富んだ魅力的な美術館があります。それを気付かせてくれるのは、フランス人の美術史家・ソフィー・リチャードさん。10年かけて日本の美術館を巡り、その魅力をまとめた書籍『フランス人がときめいた日本の美術館』が話題となっています。
そんな彼女のメッセージをヒントに、「トキメキ」の旅に出掛けるのは、女優の藤田可菜。
今回、ソフィーさんがオススメするのは、東京・谷中にある「朝倉彫塑館」です。谷中は、昔の東京がそのまま残る風情あるエリア、猫の街として有名です。そんな街中に異彩を放つ、黒に塗られたコンクリートと伝統的な日本家屋のコントラストが印象的な建物が、今回ご紹介する彫塑家朝倉文夫の自宅兼アトリエだった美術館です。2001年には国の登録有形文化財に登録され、2008には「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定されました。朝倉は、早稲田大学にある「大隈重信像」の作家としても有名。ソフィーさんが注目した地下に設置された電動昇降台や、水の豊かな故郷大分に想いを馳せて造られた庭を埋めつくす池、それを飾る日本各地から取り寄せた石など、随所に朝倉のこだわりが見えてきます。さらに、猫好きでもあった朝倉の猫の彫刻はまるで生きているかのよう。朝倉の愛情が感じられる作品です。朝倉はこのアトリエで、後進の育成にも力を注ぎました。「朝倉彫塑館」は、彫塑家朝倉文夫の愛情とこだわりを感じるそんな美術館でした。
 
紹介作品:「大隈重信像」「墓守」「時の流れ」「砲丸」ほか

出演者 旅人:藤田可菜(女優・タレント)  語り:椎名桔平

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光太郎と同時代の彫刻家・朝倉文夫の個人美術館・朝倉彫塑館さん。当方も2度ほどお邪魔しました。こちらには朝倉が買い求めた、光太郎ブロンズの代表作「手」(大正7年=1918)が所蔵されており、時々展示されます。確認できている限り、大正期に鋳造され、台座の木彫部分も光太郎が彫った3点のうちのひとつです。それも紹介していただけるとありがたいのですが……。


【折々のことば・光太郎】

此の肖像はもう「或日の印象」ではありません。それ故特定の年齢も其処に無く、特殊の表情もありません。ただ一個の魂が彫刻的表現をもつて其処に存在してゐるに過ぎません。生命の有無は唯作品のみが證となるでせう。

散文「おわびとお礼と」より 昭和8年(1933) 光太郎51歳

智恵子の母校・日本女子大学校から大正8年(1919)に依頼された同校創立者の「成瀬仁蔵胸像」に関してです。試行錯誤の繰り返しで、作っては毀し、毀しては作り、14年かかって、昭和8年(1933)にようやく完成。それだけに、自信作となりました。たしかに光太郎肖像彫刻の一つの頂点ですね。

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ちなみにここで言う「生命の有無」に関し、光太郎は朝倉の彫刻をあまり高く評価していませんでした。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら