あけましておめでとうございます。

また新しい年がやってきました。

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上記は今年の年賀状。

今年は亥年ということで、画像は明治28年(1895)、数え13歳の光太郎、東京美術学校入学前、高等小学校在学中の習作です。年端も行かぬ子供の作とは思えない出来ですが、どうも光雲か、あるいは弟子の誰かによるお手本があったようで、美校の後身・東京藝術大学さんには、同じ図柄の作者不明の作品が残っています。そちらはおそらく彫刻科の授業実習での作品なのでしょう。

ところで、今年は亥年ですが、先月初め、夕方に愛犬の散歩をしていた時の話です。当方自宅兼事務所、裏山がちょっとした山になっておりまして、戦国時代の山城があったような山です。ところどころに土塁や、明らかにそれとわかる堀切の痕なども残っています。

その林道(といっても、民家やアパート、お寺などが見える場所です)を歩いていましたら、何と、正面から1頭の動物が猪突猛進してくるではありませんか! そうです。イノシシです。当方が連れている柴犬系雑種の愛犬よりも一回り大きいくらい、体高50センチ、体長1メートルほどだったでしょうか。それが真っ正面から猛スピードでこちらに向かって来たのです!

愛犬との散歩中にイノシシに遭遇したのは2度目でした。1度目は数年前、その時は、かなり巨大な個体でしたが、こちらはコンクリートの法面(のりめん)の上の道路、敵(笑)は5メートルほど低い冬枯れた田んぼ、しかも直線距離で30メートルほど離れており、何ら危険は感じませんでした。

しかし、今回は、あまり大きくない個体とはいえ、真っ正面から猪突猛進して来やがるのです。「ヤバい!」と思いました。当方、柔道初段です。柔道経験者はおわかりだと思いますが、人間がそのように突っ込んでくるのなら、カモです。襟か袖をつかんで相手の力を利用し、比較的簡単にぶん投げられます。しかし、体高50センチの相手に投技はかけられません。

よくある、「イノシシにはねられてケガ」というニュースや、古い話ですが、北京五輪で柔道100kg級の鈴木桂治選手がモンゴル選手の奇襲とも言える双手刈り(現在の国際ルールでは反則)で一本負けしたのはこういうことだったか、などと、コンマ何秒かの間に考えました(笑)。

あと数メートル、絶体絶命、「こんなことで新聞に載りたくねぇ」、というところで、幸いに、向かってきたイノシシの方で、林道脇の竹林に入っていってくれました。

「助かったぁ」と思って、竹林を見て、二度びっくりしました。何と、向かってきた奴以外に、あと2頭のイノシシがいたのです。親子かきょうだいか、どうも、遅れていた1頭を待っていたらしく、合流したあとは、竹林の中を走り去って行きました。その間、愛犬は「何? 何なの?」という顔でポカンと口を開けていました。役に立ちません(笑)。

自宅兼事務所のある千葉県北東部、まだまだ自然が豊かで、愛犬との散歩中、様々な野生動物と出会います。タヌキ、イタチ、野ウサギなど(近所の方の話では、シカもいるというのですが、当方は見たことがありません)。しかし、さすがにイノシシは勘弁してほしいところです(笑)。

戦後の7年間、光太郎が暮らした花巻郊外の旧太田村山口地区。光太郎は詩「案内」(昭和24年=1949)で、「智恵さん気に入りましたか、好きですか。 うしろの山つづきが毒が森。 そこにはカモシカも来るし熊も出ます。 智恵さん斯ういふところ好きでせう。」と謳いました。また、やはり詩の「山のともだち」(昭和27年=1952)では、「兎と狐の常連」なども登場します。現在でも、光太郎の山小屋(高村山荘)周辺は、熊のテリトリー。あちこちに爪を研いだ痕が残っています。

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左は山小屋裏の智恵子展望台のデッキ、右は高村光太郎記念館さんの看板です。下は光太郎の遺品の一つ、熊よけの鈴。

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イノシシは居なかったようです。調べてみましたところ、岩手県のイノシシは明治期に一度絶滅したそうで。しかし、近年、また目撃情報が相次いでいるとのこと。

光太郎は、自然との共存を常に考えていた人でした。21世紀の今日、なかなかに難しい問題ですね。


閑話休題、本年もよろしくお願い申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

だがロダンの彫刻から直接に喜を感じた者が果してどの位ゐたことであらう。ロダンの彫刻の美を彫刻的に微妙に享け入れた者が果してどの位あつた事であらう。

散文「ロダンとマイヨルの好悪に就て」より
 大正13年(1924) 光太郎42歳

光太郎らの努力によって、ロダンの名が日本でも知られるようになった大正時代。しかし、わかったつもりでいてわかっていない人の何と多いことか、という嘆きです。

光太郎という人物も、わかったつもりでいると、こんな面もあったのか、という連続で、計り知れない巨大なブラックホールのような人物です。今年もまた、その巨大なブラックホールに向き合う1年の始まりです(笑)。