このところ、2週間おきぐらいにこの手の投稿をしているような気がしますが、光太郎の名がでた新聞雑誌の記事を数本。

まずは『毎日新聞』さん高知版。11月11日(日)の掲載です。 

支局長からの手紙:僕の後ろに道は /高知

 久しぶりのいい知らせでした。弊社003主催の毎日農業記録賞で、高知市の農業、吉村忠保さん(46)が中央審査委員長賞に輝きました。46回目となる今年、一般部門には218編の応募があり、4段階にわたる審査を経て、吉村さんの「つなぐということ~中山間地域からの情報発信」が最優秀賞に。食用の花「エディブルフラワー」に着目し、軌道に乗せるまでの経緯をつづりました。応募の時点から優れた内容だと思っていましたが、全国トップの賞、さらに農林水産大臣賞までとは想像しませんでした。
 「ひと」で紹介するため、土佐山弘瀬の自宅を訪ねました。高知市に移り住んだ者にとって、土佐山地区の険しさには驚かされます。市街地からほんの30分走っただけでまるで秘境。山が迫り、巨岩の転がる谷が広がります。そんな鏡川沿いの自宅で吉村さん夫妻が出迎えてくれました。
 エディブルフラワーは生食のため、できるだけ農薬の使用を控える必要があります。先輩農家を訪ね、工夫を重ねてようやく栽培できるようになったそうです。しかし売れません。直売所に持って行っても「花が食べれるがかえ?」と聞かれるばかり。それでも日曜市に店を構え、シェフなどの間に少しずつ広まっていきました。
  「自分たちが作ったものを『可愛い』『面白い』とお客さんが買ってくれる。喜んでもらえる顔を見ることが何よりうれしい」。2人はホームページで積極的に情報を発信し、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)も駆使して販売網を広げています。お小遣いを握りしめた女の子が、日曜市で買ってくれたことが忘れられないと言います。
 吉村さんには多くの顔があります。かつて役場に勤務し、村議やサラリーマンの経験もあるそうです。現在は農業だけで生計を立てており、高知市中心部の農協特産センター「とさのさと」の出荷者協議会会長としても活躍します。本業とは別にアマチュア劇団で舞台監督の顔もあるそうです。
 そんな経歴をお聞きし、失礼ながら「こういう人こそが新しいことに挑戦するのだろう」と感じました。好きな言葉を伺うと、「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」とおっしゃいます。ご存じ、高村光太郎の詩です。本人も自覚しているのだ、と心の中で拍手を送りました。
 そんな吉村さんには大切な助っ人がいます。摘み取った花を加工し、SNSに写真をアップし、商談会や日曜市にいつも同行する妻の奈々さん(40)です。吉村さんが「奈々なしではできない」と言うほどのおしどり夫婦ぶりです。受賞作では女性を農業経営に参画させる必要性、女性ならではのセンスの重要性も説きました。
 地元のテレビ番組でも取り上げられ、エディブルフラワーは大きな注目を集めています。しかし市場規模はまだ小さく、吉村さんでさえ収入全体の3分の1を占める程度だと言います。今後の目標を伺うと、「加工用のユズ、直売所向けの野菜と合わせ、全体の出荷額を上げていきたい。農業は面白い。それをぜひ伝えたいのです。障害のある子どもたちが生き生きと畑で働いている姿を見たことがあります。そんなこともいつかやってみたい」。道は切り開いていくもの。その言葉に実感がこもっています。 【高知支局長・井上大作】

毎日農業記録賞は、「農」「食」「農に関わわる環境」への関心を高めるとともに、それそれに携わる人たち、これから携わろうとする人たちを応援する賞だそうです。

何と言っても「食」は人間生活の根本にかかわる事柄ですし、「食」に直結する「農」に携わる皆さんには、本当に頭が下がります。


続いて同じ『毎日新聞』さんの石川版、11月22日(木)。 

沢知恵さん、詩人・永瀬清子を歌う ハンセン病療養所が結ぶ2人 24日、金沢 /石川

 金沢市で少女時代を過ごした詩人、永瀬清子(1906~95年)の作品を、歌手の沢知恵さん(47)が歌うライブが24日午後2時から、金沢市柿木畠のジャズ喫茶「もっもっきりや」 である。2人に面識はないが長く瀬戸内のハンセン病療養所に通い、詩を通じて入園者と交流したという共通点がある。沢さんは「金沢が育てた永瀬の世界に触れてもらえたら」と語る。
 永瀬は岡山県赤磐市出身で、幼少期から16歳までを金沢で過ごした。高村光太郎らと共に、宮沢賢治の遺稿から「雨ニモマケズ」を見い出した逸話が知られる。第二次世界大戦末期、戦火を逃れ東京から赤磐に戻ってからは、約40年間にわたり、 岡山県・長島にあるハンセン病療養所に通って入園者に詩を指導した。
  一方、沢さんは牧師の父に連れられ、生後6カ月で香川県・大島のハンセン病療養所「 大島青松園」を訪問。子供を持つことを禁じられた入園者たちに我が子のように可愛がられたという。東京芸術大在学中に歌手デビューし、2001年から毎夏、青松園でコンサートを開催。同園のハンセン病回復者で、高見順賞を受賞した詩人の故・塔和子と交流を深めた。14年に「高齢の回復者の最期の時に寄り添いたい」と千葉県から岡山市に引っ越し、大島と長島に通う。 沢さんは、「誰もが尊重され、自分の人生を全うできる世の中であってほしい」と願ったという永瀬の詩を「歴史文化に培われた金沢の繊細さと、岡山のどっしりした面がある。 震えるような感性の言葉がちりばめられている」と評する。
 24日のライブはピアノ弾き語りで、塔の作品も歌う。ゲスト出演は親交のあるフォークシンガー、中川五郎さん。

岡山県赤磐市出身の女流詩人で、昭和15年(1940)刊行の詩集『諸国の天女』の序文を光太郎に書いてもらうなどしている永瀬清子の紹介に、光太郎を使って下さいました。


お次は『福島民友』さん。11月23日(金)の記事です。 

包装紙完成「ほんとの空は希望のブルー」 12月から小売店活用

 県産品の風評払拭(ふっしょく)に向け、NPO法人ふくしま飛行協会などが開発していた包装紙のデザインが完成した。同NPOの斎藤喜章理事長が22日、県庁で鈴木正晃副知事に報告し「風評払拭の新たな手段としていきたい」と語った。
 包装紙は約1万部作製。お歳暮シーズンに合わせ、12月1日からJAふくしま未来、県生活協同組合連合会などの県内小売店で活用される。青を基調としたインパクトのある包装紙が県内外にお歳暮と一緒に届くことで、風評払拭と県産品の魅力拡大を狙う。
 デザインは福島ガイナの村上愛美造形部クリエーターが担当。詩人・彫刻家の高村光太郎が二本松市出身の妻智恵子との愛をつづった「智恵子抄」に登場する「ほんとの空」の青をイメージして蒼龍を描き、福島市の書道家半沢紫雪さんが「ほんとの空は希望のブルー」と揮毫(きごう)した。
 報告を受けた鈴木副知事は「さまざまな方の協力を得て完成した素晴らしいデザイン」と取り組みに感謝した。同NPOの甚野源次郎顧問、JAふくしま未来の菅野孝志組合長、県生活協同組合連合会の佐藤一夫専務理事、村上さん、半沢さんが一緒に訪れた。
 包装紙のデザインは29日の福島民友新聞社などに全面広告で掲載される。

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今年6月に、「ほんとの空」をイメージした包装紙を開発するという記事が出まして、それが完成したそうです。「蒼龍」というより「恐竜」という気がしますが(笑)。


さらに11月26日(月)の『福島民報』さん。11月18日(日)に開催された「高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会」の模様が報じられています。

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写真は優秀賞に輝いたいわき市の吉岡玲子さん。「人類の泉」(大正2年=1913)を朗読なさいました。


最後に雑誌『月刊絵手紙』さん。12月号の連載「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」。昭和28年(1953)の講演会筆録「美と真実の生活」から。

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昭和26年(1951)、花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)に逼塞していた当時の写真が添えられています。


高村山荘といえば、隣接する花巻高村光太郎記念館さんで、来月から新たな企画展が始まります。また近くなりましたら詳細をご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

批評の照射は批評家の放出する光線の仕業である。その光線が在来通りならば照射されるものも亦在来の映像を露呈する。その光線が未知のものであれば、其処に未見の存在が現出する。批評家とはこの世の未知をおびき出していち早く存在の新生面を人間界に齎すもののことである。

散文「富士正晴詩人論集序」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

なるほど、眼の曇った批評家にかかれば、作家の新しい面などには眼が向きません。的確な批評というものの必要性は、光太郎の言う通りですね。

とは言う条、批評のための批評、何とか新しい事を言わねばと無理くりひねり出した批評、批評という名の自己顕示、自分の事を棚に上げての批判のみに終始する批評などは、勘弁してほしいものです。