東京千代田区、超絶技巧系の企画展示です。 

第82回展覧会 「明治美術の一断面-研ぎ澄まされた技と美」

期   日  : 平成30年11月3日(木)~12月24日(月・振休)
          前期 11/3~25(日) 後期 12/1(土)~12/24

場   所  : 三の丸尚蔵館 東京都千代田区千代田1-1
時   間  : 午前9時から午後3時45分
料   金  : 無料
休 館 日  : 月曜日・金曜日 展示替え期間(11月26日から11月30日)及び12月23日(祝)
            ただし11月23日(金・祝)及び12月24日(月・振休)は開館

 明治時代の美術は,開国後間もない社会的な混沌と激動の時代であったその初期を経て,様々な制度を整えつつあった前半期に大きな変貌を遂げました。日本美術の長い歴史の中にあって,それはわずかな期間に起こった急激な変化であったと言えるでしょう。本展では,明治10年代から20年代に制作された絵画,彫刻,工芸,写真を中心に取り上げることで,この時期の造形表現に見られる特質を浮かび上がらせます。
 この時代の美術の特質として,まず注目されるのは主に工芸や彫刻の分野に顕著に見られる卓越した技巧主義です。江戸時代に成熟した高度な技術を引き継ぐ精緻な表現によって,新しい時代の変化に応じた作品の数々が生み出されました。一方,文明開化の風潮によって積極的に採り入れられた西洋のイメージや技法は,それまでの時代とはまったく異なる表現を生み出しました。それは一言で表わすならば迫真的表現と呼ぶべきもので,技巧主義とも結び付いて平面作品,立体作品に関わらず様々な素材,技法のもとで,文字通り真に迫った表現が追究されました。また,幕末から技術が流入した写真は,人や物をありのままに写すという記録的な性格から,徐々に絵画的な表現を目指すようになりました。
 本展では,近年,“超絶技巧”と注目されている明治時代の造形表現に焦点を当てながら,一つ一つの作品のどこがそれほど驚異的なのかを解き明かし,この時代の美術の本質に迫ります。ご覧になった方々の明治美術に対する興味や理解がさらに深まれば幸いです。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

宮内庁さんですので、「超絶技巧」の語は最前面に押し出されてはいませんが、出品物のラインナップはまぎれもなくそれですね。

光太郎の父・光雲作の「矮鶏置物」(明治22年=1889)が出ています。

イメージ 5

一般人から注文を受けて製作したものですが、半ば強引に日本美術協会展に出品させられ、それが明治天皇の眼に留まり、お買い上げとなった作です。その辺りの経緯、昭和4年(1929)の『光雲懐古談』に詳しく記されています。青空文庫さんで無料公開中。


光雲38歳、東京美術学校に奉職し、サクセスロードを歩み始めた頃の話です。同じ展覧会に出品された濤川惣助の七宝花瓶についても記述がありますが、これも今回の三の丸尚蔵館さんで並ぶ(後期)ようです。

「矮鶏」は前期(11/3~11/25)のみの展示だそうです。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

私は自分では甚だしく源始粗厲な詩を書いてゐながら、また近代感覚の尖角から立ちのぼるメタフオルとイメジの噴霧岫雲の美を美としてよろこび味ふものである。所謂超現実派の蔵する純粋性に比例均衡の精神美を見る事さへ少なくない。
散文「上田静栄詩集「海に投げた花」序」より
 昭和15年(1940) 光太郎58歳

上田静栄は明治31年(1898)、大阪生まれの女流詩人。智恵子の一番の親友で、『青鞜』メンバーだった作家・田村俊子の弟子となり、その縁で光太郎智恵子のアトリエにも出入りしていました。当時としては珍しかったであろうレモネードをご馳走になったりしたそうです。