まずは富山県の地方紙『北日本新聞』さん。一昨日、10月5日(金)の一面コラムです。 

天地人

戦後詩を代表する北村太郎さんの詩の一節を引く。〈部屋に入って 少したって/レモンがあるのに/気づく〉。以前からそこにあったレモンは、爽やかな香りがして初めて詩人の目に留まる
▼匂いが演出する“認識の時間差”なら、この時期、キンモクセイとなる。自転車通勤の道すがら、ほのかに香り始めた。ふと、鼻をくすぐられて周りを見ても、にわかには姿を見せない。香りの主張に比べ、花そのものは葉に隠れて目立たない
▼甘い香りを胸いっぱいに吸い込んで、秋の深まりを思う人も多いだろう。先日の本紙「とやま文学散歩」に、〈この町のこの風が好き金木犀(きんもくせい)〉(吉崎陽子)とあった。見慣れ、住み慣れた町も、季節の匂いの演出で新鮮な顔つきになる
▼〈この風〉は、花を揺らし、芳香を運んでくれる。すそうあってほしい秋の風だが、9月以降、台風が矢継ぎ早にやって来て、秋の野辺を騒がす強風が吹き荒れた。3連休となるこの週末も台風25号が列島に迫るようだ。予報通りに進めば、朝鮮半島をかすめて日本海を北上する。このコースをたどると、県内は強い南風が吹き、過去には大きな火災が起こっている
▼冒頭のレモンのこじつけながら、きょうは高村智恵子の命日「レモン忌」。死を悼んだ夫、高村光太郎の「レモン哀歌」にちなむ。風雨に備えつつ、夜長に詩集などを開く人もいるだろう。

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智恵子の命日、10/5は、どなたが制定されたのか、「レモンの日」ということにもなっており、そのおかげであちこちで取り上げられています。ありがたいことです。


同じく10月5日(金)、『日本経済新聞』さんの夕刊社会面には、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「光太郎と花巻電鉄」が紹介されました。共同通信さんの配信記事で、全国の地方紙の中に、同じ記事が載ったところもあるようです。 

高村光太郎、思い出の花巻 記念館でジオラマ

 詩人、彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)が終戦間際から7年間を過ごした岩手県花巻市の情景を伝えるジオラマが、同市の高村光太郎記念館で展示されている。高村が随筆で「ローカル色豊かで旅情をそそられる」と表した花巻電鉄の企画展の一環だ。
 高村は空襲で東京都内のアトリエを失い、45年5月に宮沢賢治の実家を頼って花巻に疎開。終戦直後に現在の記念館近くの山荘に移り住み、52年までに「暗愚小伝」などを執筆した。
 ジオラマを制作したのは東京都品川区の石井彰英さん(62)。以前の作品で、高村の妻、智恵子が最期を迎えたゼームス坂病院(品川区)をつくったことがきっかけで、同館から依頼を受けた。10月5日は智恵子の命日。
 1年がかりで完成したジオラマは幅180センチ、奥行き120センチ。町のにぎわいや温泉街など昭和20年代の雰囲気を表現した。高村も乗った車幅が狭く前面が縦長の「馬面電車」が走り、背丈1センチほどの約520人の衣服にもこだわった。石井さんは「当時を知る世代も知らない世代も、人々の息吹や幸せを感じ取ってほしい」と話す。企画展は11月19日まで開かれている。

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地方版でなく社会面だったので、ありがたいところです。


昨日には、福島の地方紙二紙。

まずは『福島民友』さん。 

「好きです智恵子純愛通り」 顕彰団体がイメージソングCDに

 詩集「智恵子抄」で知001られる二本松市出身の洋画家・紙絵作家高村智恵子の没後80年、智恵子純愛通り記念碑建立10年を記念し、顕彰団体「智恵子のまち夢くらぶは」はイメージソング「好きです智恵子純愛通り」を録音、CDを作った。団体代表の熊谷健一さんらが2日、三保恵一二本松市長に報告、曲を録音したCDを贈った。
 作詞、作曲は「安達の光太郎」をペンネームとする二本松市に住む男性。高村光太郎の詩「樹下の二人」や「あどけない話」をモチーフに光太郎、智恵子の美意識などの世界観を表現したという。歌は東日本大震災で浪江町から横浜市に避難した歌手のハーミーさんが吹き込んだ。
 熊谷さんは「歌詞は優しく、メロディーも覚えやすい。気軽に口ずさみ、光太郎や智恵子の世界に思いをはせてほしい」と話した。


続いて『福島民報』さん。 

今日の撮れたて 安達太良山(二本松市) 「ほんとの空」と錦秋満喫

 日本百名山の安達太良山(一、七〇〇メートル)で紅葉が見頃を迎えた。高村智恵子が愛した「ほんとの空」の下、山肌を覆う低木、樹林が赤、黄、茶色に染まる。五葉平の緑に割り込むように秋のモザイクを広げていく。
 連日、大勢の登山者が訪れる。二本松市の奥岳登山口からロープウェイで八合目の薬師岳に登ることができる。降りてからは一面に広がる錦絵のような景色を楽しみながら山頂を目指す。
 問い合わせは富士急安達太良観光 電話0243(24)2141へ。

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当方、今日は二本松に行って参ります。「第24回レモン忌」に参加後、智恵子生家での「坂本富江展 「智恵子抄」に魅せられて そして~今~ パートⅡ」等を拝観、岳温泉に1泊し、明日は二本松市市民交流センターで行われる「智恵子検定 チャレンジ! 智恵子についての50問」会場に顔を出し、その足で山形県天童市の出羽桜美術館さんで開催中の企画展「開館30周年記念所蔵秀作展 第二部 日本本画と文士の書」を拝見に行く予定です。

錦秋の安達太良山を見、できれば「好きです智恵子純愛通り」CDもゲットしたいと考えております。

皆様もぜひ、二本松、そして花巻へと足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

この詩人の能く重きに堪へるねばり強さと、内燃する熱情と、性来の正直さとを知るものは、尚ほ実に多くの未来を彼に負はせる。この詩人は必ずそれに答へるであらう。

散文「神保光太郎の詩」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

同じ「光太郎」の名を持つ神保光太郎は、高村光太郎より22歳年少、およそ一世代下の詩人です。やはり高村光太郎同様、本名は「みつたろう」ですが、自ら「こうたろう」と名乗りました。

高村光太郎による他の詩人の評はかなり数多く残されましたが、感心するのは、そのどれをとってもありきたりな評ではなく、その詩人を的確に表し、それから、一つとして使い回しがないということ。ある詩人の評に使った表現を、別のある詩人の評にも転用するというインチキをしていません。当然といえば当然ですが、その語彙力、表現の豊かさに感心させられます。