『日本経済新聞』さんと『朝日新聞』さんに碧海(おうみ)寿広氏著『仏像と日本人』(中公新書)の書評が出ました(『読売新聞』さんにも出たようですが、ネット上で読めません)。

まず、『日経』さん。光太郎の名も出して下さっています。 

仏像と日本人 碧海寿広著 信仰か芸術か 葛藤の近現代  

 本来的には信仰の対象であった仏像を、私たちは明治以降、美術作品として「鑑賞」の対象にもしていった。そしていま、日本人は仏像をどのような眼差(まなざ)しで見ているのか、その過程を丹念に追ったのが本書だ。

明治元年(1868年)の神仏分離令を契機とした廃仏毀釈の嵐は、寺院や仏像に巨大なダメージを与えた。そこからの復興の道筋として、寺院の什宝(じゅうほう)を「文化財」と見なし、国が保護するという形ができる。やがてそれらの文化財は、新しい「美術史」という学問の枠組みの中に取り込まれ、美術館・博物館制度の整備と軌を一にして、保護、研究、そして鑑賞の対象となっていった。
 こうした仏像の「鑑賞」は、戦前まで『古寺巡礼』の和辻哲郎を代表とする、教養を持つ男性たちの、いわばエリート文化の側面が強かった。しかし戦後の映像メディアの発達、奈良・京都への修学旅行の普及、「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンなどを背景とした、古社寺や仏像が目的の「観光」は、性別・年齢・社会階層を問わない大衆文化へと変じていく。その間、和辻をはじめ、亀井勝一郎、高村光太郎、土門拳、入江泰吉、白洲正子ら「鑑賞」する者の中に常に生じていた、信仰か芸術かという葛藤への、それぞれの向き合い方への言及も非常に興味深い。
 そして現在、評者自身も文化財としての仏像の「鑑賞」を助け、促す、メディアでの活動を仕事としている。その立場から見たとき、学んだり考えたり、実際に仏像の前まで足を運んだりするステップを省き、直感的にその見方を示すことで、鑑賞の大衆化に貢献してきた、これまでの仏像写真のあり方が、変化していることを感じる。
 現在、所蔵先や画像権利者に対して支払う使用料が高額で、(紙媒体の制作経費が相対的に低下していることもあるが)メディア側が広報用に無料で提供される画像を頻繁に利用、切り口を特定の展覧会に依拠したものが目立つようになった。寺や美術館・博物館といった「場」から、展覧会という、結ばれてはほどかれる「こと」との関係性が強くなっていく結果、人々が仏像に向ける眼差しが今後どう変化する、あるいはしないのか、密(ひそ)かに注視している。

《評》美術ライター 橋本 麻里



続いて『朝日』さん。こちらは光太郎の名はありませんでしたが。 

(書評)『仏像と日本人』 碧海寿広〈著〉

 ■信仰の対象? 文化財とみる?
 このところ仏像ブームが000続いている。われわれは何を求めて仏像を見に行くのだろう。
 本書は、近現代において日本人が仏像とどのように向き合ってきたか、その変化を追う。面白いのは、見る側の視線が世情とともに揺れ動くことだ。
 明治のはじめ、仏像が大きな危機を迎えたのはよく知られている。仏教排斥運動によって、多くの寺や仏像が破壊されたのである。そのとき、それを救ったのが文化財という思想だった。万国博覧会への出展や、博物館での展示、さらには寺院自身が宝物館を建て、文化的価値の高いモノは国宝や文化財に指定されていった。つまり宗教性を薄めた結果、難を逃れることができたのである。有名なフェノロサと岡倉天心による法隆寺の秘仏開扉も、信仰を棚上げにしたからこそ可能になった出来事だった。
 その後、和辻哲郎の『古寺巡礼』が仏像鑑賞ブームを巻き起こしたが、戦争が始まると、人々はまた仏像に祈るようになる。
 信仰の対象とする立場と美術と見る立場の間で揺れ動いていくわけだが、それらは互いに対立するばかりではない。たとえ信仰心がなくとも、仏像を自分の足で訪ね歩くことによって受ける感動が、仏を感得する喜びとそんなに違うはずがない、と断じた白洲正子の慧眼(けいがん)には唸(うな)らされた。
 現在はどうだろう。サブカル視点で見ている人も少なくなさそうだが、各人が仏像を前に何らかの感情に包まれたなら、そこから個別の美や宗教の経験を創造できる、と本書はあらゆる態度を肯定して清々(すがすが)しい。
 実は私は、全国に散在する巨大仏(高さ何十メートルを超すような大仏)を訪ねて回ったことがある。そのときこれらの仏像をどういう態度で見ればいいかとまどった。美術として鑑賞するには大味だし、真剣に拝むには突飛(とっぴ)すぎた。仏像自体の枠組みさえも今後は変化していくのかもしれない。そんなことを思う。
 評・宮田珠己(エッセイスト)


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【折々のことば・光太郎】

人間の代弁者といふ以上、詩人は或る訴へを持つ。人間の心霊に対する訴、人間の感情に対する訴、さうして自然に向つての訴。詩人があらゆる段階を踏んで進み得る究極が、自然との同化、自然への没入、彼我圓融の境であることをしばしば見る。

散文「ホヰツトマンの事」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

その好例として、光太郎はワーズワースや芭蕉を挙げています。しかし、アメリカの詩人、ウォルト・ホイットマンは、その境地をも超えた存在として語られています。曰く「彼は訴へない。ただぶちまける。彼の言葉は雨のやうにただざんざんと降る。」

そこで当方が思い出すのは、当会の祖・草野心平です。来週、心平の企画展が、山梨県立文学館さんで開幕します。また稿を改めてご紹介します。