能の公演情報です。

しかし、観に行こうと思っていましたが、ほぼほぼ発売と同時に完売。ただ、もしかするとキャンセル等があるかもしれません。  
時 間 : 午後6時30分開演(終演予定午後8時30分頃)
場 所 : 国立能楽堂 東京都渋谷区千駄ヶ谷4丁目18-1
料 金 : 正面=6700円 脇正面=5600円(学生3900円) 中正面=4400円(学生3100円)
演 目 :
舞囃子新作 智恵子抄(ちえこしょう)  鵜澤久  櫻間金記
高村光太郎が、妻智恵子へのひたむきな愛を詠んだ『智恵子抄』。
武智鉄二が原作から選んだ詩と短歌で
構成して、昭和32年に発表した新作能を舞囃子で上演します。
狂言小謡 花の袖(はなのそで)  野村又三郎(和泉流)
独吟 泰山府君(たいさんぷくん)  松野恭憲(金剛流)
仕舞 小歌(こうた)  宝生和英(宝生流)
一調 放下僧(ほうかぞう)  岡久広  曽和正博
袴狂言 釣狐(つりぎつね) 前(まえ)  野村万作(和泉流)
一族を猟師に狩られた古狐は猟師の伯父に化け、狩りを止めるよう猟師のところへ意見に行きます。 大曲「釣狐」の緊迫感溢れる前半を、今回は袴狂言でご覧いただきます。

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能の「智恵子抄」については、以前にもちらっと書きましたが、上記解説に有るとおり、武智鉄二構成、観世寿夫により、光太郎が歿した翌年の昭和32年(1957)に初演されました。

下記画像は、昭和37年(1962)、名古屋の愛知文化講堂での公演「中日五流能」のパンフレットから。

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その後もちょぼちょぼ演じら001れた記録がありますが、決してその回数は多いものではありません。

この新作能に関しては、生前の光太郎も乗り気で、自ら面のデザインを考えていたほどでした。亡くなる前年の昭和30年(1955)頃のスケッチブックに、そのラフスケッチが残されています。結局、光太郎生前の上演は叶わず、光太郎デザインの面も実現しませんでしたが……。

昭和30年(1955)と翌年の光太郎日記から。

武智鉄二が「智恵子抄」を能でやりたい由、面会は不必要と返事、
(10月4日)

藤島宇内氏くる、武智鉄二氏の話を伝言、面のスケツチを示すこと、京都の或職人がそれによつて面打をすること、「智恵子抄」能形式演能のこと、(10月9日)

夕方藤島宇内氏くる、武智鉄二氏のテカミ持参、「智恵子抄」能楽化のこと、(1月8日)


武智の回想も残っています。昭和32年(1957)の『婦人公論』に載った「座談会三人の智恵子」という記事。武智が司会を務め、それぞれ舞台、映画、テレビドラマで智恵子役を演じた水谷八重子、原節子、新珠三千代が参加した座談会の記録です。

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武智  能のほうは能面でしょう。だからどうしていいか困りましてね。私、はじめは高村さんに智恵子という能面を作って下さいと云ってお願いしたんですよ。そうしたら大分その気持になられたらしかったんですが、いまは病気で駄目だから、五、六年待ってくれれば彫ると云われたんです。私のほうとしては、先生の健康状態がどういうふうだかよく分りませんでしたが、五、六年待っても智恵子の面が出来てからやるほうがいいと思っていたのです。しかし「自分の身体のために何年もの間待って貰うわけにいかないだろうから、それだったらほかの変な職人に彫らさないで、昔からの能面を使ってやってくれ」と云ってらしたんですよ。結局古い能面を使ってやることになったけれども、この間高村豊周さん(光太郎氏令弟)にお会いしてお話をうかがったら、光太郎先生もずいぶんと能のことを気にされて、能面のデッサンは描かれたんだそうです。それは私、まだ拝見してないんですけれども、あるんですって。それから智恵子は、いつもセーターを着てズボンをはいていることが多かったから、そういう恰好で能をしてくれという話で……。
水谷  エンジのセーターで、黒いズボンをはいていらしたそうですね。
武智  それで、奥村土牛さんに衣裳をお願いしたのですが、ともかくセーターにズボンを能の中でどういうふうに生かすかですね。何しろ足が二本ニューッと出てるのは、いままでの能にないんですよ。ですからやる人はとてもやりにくいらしいですね。
水谷  二人の智恵子が出るそうですが、どういうのですか?
武智  つまり、智恵子と気が狂った智恵子の二人が出るんです。美しい智恵子というのは高村さんの詩の中で歌(うた)い上げてる永遠の女性像の智恵子で、もう一人の智恵子は現実に追いつめられて気が狂うという……その二人をドッペルゲンガーみたいに一緒に出すんです。それは能だから出来るんですね。面(めん)をカブっていればいいんですからね。で、一人のは、気が狂ったような顔をした面で、衣裳も同じ模様の衣裳で、色が違うだけです。


ここまで書き写してみて、やはり観たかった、という思いが強く湧きました。ごく普通にチケットが買える状況で観られるよう、しょっちゅう演じられることを期待しますが、なかなか難しいのでしょうね……。


【折々のことば・光太郎】

世界諸国語の中でも日本語はよほど風変りである。日本の詩人はよく、「言(こと)だまの幸(さきお)う国」といつて日本語の美しさをたたえているが、これは、自国語はどこの国の人でもよく分るからそう思うのであつて、ドイツ人はドイツ語が世界でいちばん美しい国語だというし(ケーベル博士)、フランス人、イギリス人もそれぞれフランス語、イギリス語でなければ微妙な表現はできないと思つているようで、決して日本だけが、「言だまの幸う国」ではないのである。ただ日本人にとつては日本語でなければあらわせない美があるということに外ならない。

散文「日本詩歌の特質」より 昭和28年(1953) 光太郎71歳

戦後9年、もはや翼賛の呪縛から解き放たれた光太郎にとっては、「日本」は特別に敬愛すべきものでも、ことさらに唾棄すべきものでもない、世界の中の「日本」と化していることが伺えます。