新刊書籍です。  

彫刻 SCULPTURE 1 ――空白の時代、戦時の彫刻/この国の彫刻のはじまりへ

2018年6月30日  小田原のどか編集  トポフィル  定価2,700円+税

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彫刻とは何か?── 「空白の時代、戦時の彫刻」と「この国の彫刻のはじまりへ」の2つの特集を柱に、 8本の書き下ろし論考、2人の彫刻家へのインタビュー、鼎談、詩を収録。 この国が孤立主義と軍国主義に落ちこんでいった時代と併走し、国家権力の流れを映し出した「彫刻」に光を当てる。 彫刻をめぐる叢書「彫刻 SCULPTURE」創刊号(次刊は2019年夏、刊行予定)。

目次
 【巻頭言】小田原のどか「近代を彫刻/超克する」
 【インタビュー】小谷元彦「彫刻の変わらなさ」
 【詩】山田亮太「報国」
 ■特集I:空白の時代、戦時の彫刻
  平瀬礼太「戦争に似合う彫刻」
  千葉慶「公共彫刻は立ったまま眠っている──神武天皇像・慰霊碑・八紘一宇の塔」
  椎名則明「鑿の競作──《和気清麻呂像》建設を巡る諸問題」
  迫内祐司「近代日本における戦争と彫刻の関係──全日本彫塑家連盟を中心に」
 【鼎談】白川昌生+金井直+小田原のどか「『彫刻の問題』、その射程」
 ■特集II:この国の彫刻のはじまりへ
  金子一夫「工部美術学校の彫刻教育の歴史的意義」
  髙橋幸次「ロダンの言説輸入と高村光太郎──「道」について」
  田中修二「彫刻と地方(試論)──朝倉文夫と北村西望の場合から」
  小田原のどか「空の台座──公共空間の女性裸体像をめぐって」
【インタビュー】青木野枝「彫刻という幸いについて」
[資料]マップ・年表・索引


文字色を変えて目立つようにしましたが、日大芸術学部さんの教授で、連翹忌にもご参加下さり、このブログにもたびたび登場されている髙橋幸次氏による論考「ロダンの言説輸入と高村光太郎──「道」について」が掲載されている他、他の箇所でもたびたび光太郎、それから光太郎の父・高村光雲に言及されています(索引がついているので、ありがたいかぎりです)。

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amazonさんで註文をしておりまして、届くのが来月初めとのことでしたが、昨日届きました。「早いな」と思って開封してみると、なんと「謹呈」の文字。髙橋先生のご指示だそうで、大感謝です。amazonさんの方はキャンセルいたしました。

髙橋先生以外にも、平成25年(2013)に刊行された『彫刻と戦争の近代』著者の平瀬礼太氏(以前は姫路市立美術館さんにお勤めでしたが、愛知県美術館さんに異動されているようです)、平成6年(1994)刊行の『近代日本最初の彫刻家』を書かれた田中修二氏(大分大学教授)など、見知ったお名前も多く、「ほう」という感じでした。

500ページ超の厚冊ですが、それだけに読み応えがありそうです。また、「彫刻を巡る叢書」の第1巻という位置づけだそうで、第2巻は来夏の刊行とのこと。すばらしい取り組みです。

それから、奥付によると、彫刻家の小田原のどか氏が「編集・造本・発行」となっており、なるほど、インパクトのある装幀ですし、中身も美しく仕上がっています。図版も多く、理解の手助けとなっています。

ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】002

手法は相当荒々しいけれど確かに彫刻になつている。当時のお人形じみた日本の彫刻の中にこんなものが作られているのはおもしろい。

散文「荻原守衛 銀盤(柳敬助像)」より
 
和26年(1951) 光太郎69歳

昨冬、信州安曇野の碌山美術館さんで、学芸員の武井敏氏との対談形式による美術講座「ストーブを囲んで 「荻原守衛と高村光太郎の交友」を語る」をやらせていただき、レジュメ作成のために、改めて光太郎が荻原守衛について書いたものを読み返してみました。明治末に彗星の如く現れ、強烈な光芒を遺して逝ってしまった守衛に対し、的確な讃辞が与えられています。それも、盟友としての身びいきに終始することなく、批判すべきところは批判しつつ、しかしそれを差し引いてもどれだけ守衛の彫刻を認めていたかが、文章の端々から伝わってきます。

そして、今日ご紹介した一節にしてもそうですが、守衛が亡くなって数十年経った光太郎最晩年まで、そのスタンスが不変だった点に、守衛に対する敬愛の念の深さを改めて感じます。

上記『彫刻 SCULPTURE 1 ――空白の時代、戦時の彫刻/この国の彫刻のはじまりへ』では、守衛についてもかなり言及されています。