新潟から企画展情報です。 

中村屋サロンと會津八一 ~サロンにつどったアーティストたち~

期 日 : 2018年6月28日(木)~2018年9月2日(日) 
会 場 : 新潟市會津八一記念館 新潟市中央区万代3-1-1 メディアシップ5階
時 間 : 午前10時~午後6時
料 金 : 前売り 500円(一般のみ) 
      一般 600円 大学生 300円 高校生 200円 小・中学生 100円
         ※団体20名以上2割引、土日祝日は小・中学生無料
休館日  : 月曜日(祝日の場合はその翌日) 

 パンやカレーで知られる老舗食品メーカーの東京・新宿中村屋の創業者、相馬愛蔵・黒光夫妻は芸術・文化に深い理解を示し、明治末期から昭和初期まで、若き芸術家らの活動を支援しました。中村屋には、彫刻家、荻原守衛(碌山)をはじめとする芸術家や文化人らが集うようになり、芸術・文化が薫るヨーロッパのサロンに例えられ、「中村屋サロン」として日本の近代美術史にその名を刻みました。
 會津八一(号・秋艸道人・1881〜1956)は、大正時代、相馬夫妻の長男を早稲田中学で教えたことが機縁で、相馬夫妻と深い関わりを持つようになりました。昭和20年、八一は東京空襲で罹災し新潟に帰郷してからは、上京のたびに相馬家に招かれ歓待を受け、昭和24年には中村屋で個展を開催しています。
 特別展では、中村屋所蔵の八一の墨蹟の名品を展示し、中村屋と八一との関わりを紹介します。また中村屋サロンゆかりの芸術家の秀作も紹介し、日本近代美術史に名を残したアーティストたちの躍動感あふれる作品を披露いたします。さらに、サロンの中心人物であった画家の中村彝が、生前に新潟県柏崎市で個展を開催した際の絵画も陳列し、新潟と関わりも紹介します。

出品作家
荻原守衛/戸張孤雁/高村光太郎/柳敬助/中村不折/中村彝/中原悌二郎/鶴田吾郎/堀信二/保田龍門/萬鉄五郎/棟方志功 など



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関連イベント

講演「中村屋創業の相馬愛蔵・黒光と若き芸術家たち」
 平成30年6月27日(水)13時30分〜15時  
 講師 : 太田美喜子氏(中村屋サロン美術館学芸員)
 会場 : 新潟日報メディアシップ 2階 日報ホール
 定員 : 150名                         
 参加費 : 500円

講演「近代日本美術史と中村屋サロンに集った作家たち」
 平成30年7月11日(水)14時~15時30分  
 講師 : 原田平作氏(大阪大学名誉教授、頴川美術館理事長
 会場 : 新潟日報メディアシップ 2階 日報ホール
 定員 : 150名                         
 参加費 : 500円

講演「東寺の歴史と會津八一」
 平成30年8月1日(水)13時30分~15時  
 講師 : 砂原秀輝師(東寺執事長)
 会場 : 新潟日報メディアシップ 2階 日報ホール
 定員 : 150名                         
 参加費 : 500円

体験講座「拓本と表装」
 平成30年8月18日(土)
  ①10時〜 ②11時10分〜 ③13時30分〜 ④14時40分〜 ⑤15時50分〜  
 講師 : 角田勝久氏(新潟大学准教授)
 会場 : 新潟日報メディアシップ 5階 會津八一記念館
 定員 : 各回6名                         
 参加費 : 1,500円


新宿の中村屋サロン美術館さんの収蔵品を中心にしたもので、光太郎の油彩画「自画像」(大正2年=1913)が出品されます。同館収蔵品の目玉の一つで、現存が確認できている光太郎唯一の油彩自画像です。

會津八一は光太郎より2歳年長の歌人。荻原守衛の関係で光太郎が中村屋さんに出入りしていた明治末とはズレていますが、大正初期に中村屋さんの創業者・相馬夫妻の長男を早稲田中学校で教えていた関係で、中村屋サロンの一員となりました。

光太郎とは直接の交流はほ003とんどなかったようですが、ほぼ同年令で、ともに独特の書を残したことから、並び称されることが多く、平成19年(2007)には、現在地に移転前の會津八一記念館さんで、特別展「會津八一と高村光太郎 ひびきあう詩(うた)の心」を開催して下さいました。

今回は、光太郎と交流の深かった荻原守衛、戸張孤雁、柳敬助、智恵子の絵画の師であった中村不折などの名品も並びます。当会主催の連翹忌にもご参加下さっている太田美喜子氏の講演会など、関連行事も充実しています。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

一国の芸術界には常にその中央にかかる犯し難い実力ある翰林派の存在を必要とする。前衛者は常に此に挑戦する。そして常に新らしい生命は生まれる。挑戦すべき権威者も無い芸術界の薄弱さは斯界今日の現状に見よ。

散文「長沼守敬先生の語るを聴く」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

「翰林派」は伝統と格式を重んずる保守的な一派の意。光太郎が敬愛したロダンにせよ、印象派の面々にせよ、そして光太郎も含め中村屋サロンに集った芸術家達にせよ、乗り越えるべき前代の保守的な一派が大きく立ちはだかっていたからこそ、それを打ち破らんとして新しい芸術が生み出せたというわkで、逆説的に芸術におけるアカデミズムを肯定する論調です。