先週9日、光太郎第二の故郷ともいうべき岩手花巻で、花巻高村光太郎記念館さん主催の市民講座「光太郎の食卓と星降る里山を楽しむ」が実施されました。
地元紙『岩手日日』さんの報道。
光太郎 より身近に 記念館講座 ゆかりの地巡る
高村光太郎記念館講座「光太郎の食卓と星降る里山を楽しむ」は9日、花巻市内で開かれた。参加者は詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956)ゆかりの地をバスで巡ったり講話に耳を傾けたりして、花巻で一時期を過ごした偉人に思いをはせた。 1945年に花巻に疎開し旧太田村山口の小屋で戦後7年間、地域の人たちと交流しながら暮らした光太郎への理解を深めようと同記念館が毎年開催。市内から親子ら約30人が参加した。
同市桜町の桜地人館や詩人で童話作家の宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の詩が刻まれた詩碑を見学後、同市太田の高村山荘に移動。花巻高村光太郎記念会のメンバーや花巻観光協会ボランティアガイドの説明を受けながら、光太郎が暮らした小屋や展望台、光太郎の詩「雪白く積めり」が刻まれた詩碑など山荘一帯を歩いて巡った。
ガイドらは小屋を2層のさや堂で覆い保存していることや、展望台がある高台から光太郎が妻智恵子の名を叫んでいたこと、詩碑の下には光太郎のひげが埋められていることなどを紹介。参加者はメモしながら聞き入っていた。
同市東和町安俵、主婦小原由起子さん(43)は、長男佑太君(7)と初めて参加。「光太郎のことを知るきっかけになればと思って参加した。大変な暮らしだったことが分かった」と改めて理解を深めた様子。佑太君は「学校の勉強と違って観察したりいろいろなものを見つけたりすることができて面白い」と楽しんでいた。
参加者は昼食で光太郎の日記から再現した食事を味わい、講話にも耳を傾けた。

その後、花巻高村光太郎記念館さんのスタッフ女史からメールで詳細なご報告や画像が送られてきましたので、捕捉します。
郊外旧太田村の光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)周辺散策の際の資料。「見つけよう!」だそうです。




いかにも自然が豊かな場所だというのが分かりますね。
こちらは、光太郎が好んで食べ、詩にもしている山菜・ミヅ。正式にはウワバミソウというそうです。当方も先月行われた第61回花巻高村祭の折にいただきました。シャキシャキした食感がよく、また、食べきれずに持ち帰った分は、うどんに入れて山菜うどんにしてみましたが、goodでした。

その後、古民家を改修して集会所的に活用している「新農村地域定住交流会館・むらの家」で、地区の祭りに参加、地元の太田小学校の子供たちに混じって、餅つきや魚つかみに挑戦したそうです。
昼食は記事にあるとおり、光太郎の日記から再現された弁当。ラベルは特製のようです。


箸袋にメニューが記載されていますが、よもぎ御飯、そば粉パン、ホッケのトマトソース、シュークルート、ミヅの吸い物、焼き鳥、煮豆、ヨーグルトだそうです。商品化してもいけるような気がします。
記念館さんに戻って、昨年も行われました天文サークルの方によるお話。

昨年は当方も講師に加えていただき、光太郎文筆作品に記された星々の話をさせていただきましたが、その時のレジュメを転用し、天文サークルの方が講話「光太郎と星」をなさったり、星座早見盤の使い方の講習などを行ったりしたとのことです。
その後は記念館さんの自由見学だったそうです。
この手の地域密着型の講座――特に若い世代に向けて――というのは、非常に大切な試みだと思われます。
記念館さんでは、来月14日から、かつて花巻とその郊外の村々を結び、二つの路線が走っていて、光太郎もたびたび利用したた花巻電鉄にスポットを当てた企画展「光太郎と花巻電鉄」を開催予定です。ジオラマ作家の石井彰英氏にご協力いただき、光太郎が暮らしていた頃の昔の花巻とその周辺のジオラマを制作していただいており、そちらが展示される予定です。





来週には、東京・大井町の工房から搬出だそうで、当方も立ち会う予定でおります。
また近くなりましたらご紹介します。
【折々のことば・光太郎】
リーチの美は正統な伝統から生れながら、現代感覚の相当大胆な表現につき進んでいるが、病的のうるささには落ちていない。それはリーチの人柄の如き好ましい新である。恐らく健康な原始人の感覚を内蔵しているリーチの先祖がえりの新であろう。この新は下司ばつていない。とりすましていない。物欲しげでない。まして神々のへどではない。
散文「リーチ的詩魂」より 昭和28年(1953) 光太郎71歳
このところこのコーナーでご紹介している、バーナード・リーチの陶芸作品に関してです。他者の作品評ではありますが、光太郎自身の目指す芸術のあり方もよく表現されています。