昨日は山梨県に行っておりました。『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅 高村智恵子52年間の足跡』著者で、太平洋美術会、高村光太郎研究会に所属なさっている坂本富江さんが講演をなさるというので、そのお手伝いでした。

講演は、曹洞宗の山梨県寺族会(寺院ご住職奥様の会)平成30年度総会の一環で、会場は、甲府市に隣接する笛吹市石和温泉のホテル古柏園さん。

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玄関前には観賞用の花桃の大きな鉢。いかにも山梨です。

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参加者は90名ほど。坂本さんが山梨韮崎のご出身なので、その関係で白羽の矢が立ったようです。

何かお手伝いすることはないかと申し出たところ、パワーポイントのスライドショーを作ってくれ、というので作成し、ついでに会場でのパソコンの操作も致しました。

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休憩をはさみ、90分ほど。智恵子の生涯、光太郎とのからみ、そしてそれらから坂本さんがご自身の人生にどういう影響を受けたか、というようなお話でした。

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山梨県ということで、現存が確認されている智恵子油絵3点のうちの一つ、「樟」が所蔵されている北杜市の清春白樺美術館さん、そこからほど近い、戦時中の昭和17年(1942)に「日本の母」顕彰運動のため光太郎が訪れた富士川町上高下(かみたかおり)地区のお話も。

サプライズのゲストもいらっしゃいました。平成27年(2015)、ノーベル生理学・医学賞を受賞された、大村智博士。大村博士、坂本さんと同郷、さらに年度は違いますが、同じ韮崎高校さんのご出身で、以前からお知り合いだそうです。一昨日から新宿のヒルトピアアートスクエアさんで開催されている坂本さんの個展にもいらっしゃり、古柏園さんでのご講演の件を知って、ご実家に帰られる途中に立ち寄られたとのこと。

せっかくですのでご挨拶を賜りました。

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さらに記念撮影。

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分野は違えど、世界的な研究者の方のお隣で写真に
収めていただき、光栄の至りでした。
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ちなみに大村博士、美術にもご造詣が深く、長年に渡って収集してきたコレクションを郷里の韮崎市に寄贈され、韮崎大村美術館として一般公開されています。また、光太郎の盟友・岸田劉生のご子孫の方から、光太郎彫刻「裸婦坐像」(大正6年=1917)を譲っていただいたそうです。

可能であれば連翹忌にもご参加いただきたいものです。

思わぬところでいろいろな方のご縁がつながるものだな、と思いました。仏教用語で言うところの「結縁(けちえん)」ということなのでしょう。


明日はその坂本さんの個展、さらに文京区千駄木の旧安田楠雄邸庭園で開催中の「となりの髙村さん展第2弾補遺「千駄木5-20-6」高村豊周邸写真展」を拝見して参ります。


【折々のことば・光太郎】

まるで税関の倉庫のやうに思もよらない貴重な雑多なものが、見かけはとんとがらくたじみて積込んである田夫の頭の中を本当に理解してくれる人は日本に少いやうであつた。
   につぽんは まことに まことに 狭くるし
   田夫支那にゆけ かの南支那に
と曾て私も歌つて彼の支那行を送つた事がある。

散文「宅野田夫を珍重す」より 大正13年(1924) 光太郎42歳

宅野田夫(たくのでんぷ)は、初め洋画家としてスタートし、のちに南画に転じた画家です。光太郎も言うように日本という枠に収まりきらないスケールの大きな人物でした。

大村博士にしてもそうですが、いったいにノーベル賞を受賞された日本人研究者の多くも、そういう感じですね。スケールの小さい日本では正当に評価されて来ず、ノーベル賞を受賞されてから、慌てて日本の文化勲章などが授与されるような。