地方紙二紙、岩手の『岩手日報』さんと、福岡の『西日本新聞』さんが、相次いでそれぞれの一面コラムで光太郎智恵子と光雲に触れて下さっています。

まずは『岩手日報』さん。

風土計 2018・3・1

 3月がまためぐってきた。7年前から、この月は春を迎える以上に重い意味を持った。東日本大震災を振り返り再生を祈る月。傷跡が少しずつ癒えていく様子が、ゆっくりと訪れる東北の春と重なる
▼津波に洗われた陸、原発事故で汚された空を取り戻す作業が続く。「ほんとの空が戻る日まで」は復旧・復興を支援する福島大の合言葉。福島の現状を知らせるため、このタイトルのシンポジウムを全国各地で開く
▼「阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空だといふ」。高村光太郎「智恵子抄」から。中井勝己福島大学長は「安達太良(あだたら)山の上の空がほんとの空でないと思う県民はまだ多い」と語った
▼「ほんとの空」とは古里のことだ。病弱の智恵子は、時々田舎の空気を吸わなければ体がもたない。光太郎は「智恵子の半生」に「彼女の斯(か)かる新鮮な透明な自然への要求は遂に身を終るまで変らなかった」と書く
▼避難を余儀なくされている福島の人々は、今なお5万人を超える。懐かしい古里をひたすら思う姿は智恵子と共通するものだろう。福島だけではない。宮城でも岩手でも、古里につながる道を人々が歩み続けている
▼春がすみの言葉のように、その視界はまだぼんやりしているかもしれない。けれど、信じて進みたい。その先にきれいな空があるはずだ。


先月ご紹介した福島大学さん主催のシンポジウム「ほんとの空が戻る日まで--震災の記録と教訓を残し、未来に活かす」にからめています。 同じ東北同士、福島の皆さんに対するあたたかな励ましに溢れています。


続いて『西日本新聞』さん。

春秋  2018.3.5

 きのうは「ミスコンの日」。1908年3月5日、日本で初めて一般女性を対象としたミス・コンテストの結果が発表されたことに由来するそうだ
▼ミスコンといっても、当時は写真だけで審査した。新聞社が主催し、審査員は洋画家の岡田三郎助や彫刻家の高村光雲、歌舞伎役者の中村歌右衛門らそうそうたる顔触れ。約7千の応募の中から1位に選ばれたのは、福岡ゆかりの女性だった
▼旧小倉市(現北九州市)の市長の四女で、学習院女学部に在学中の末弘ヒロ子(16)。実は、義兄が本人に無断でコンテストに写真を送ったのだった。優勝の知らせに彼女はずいぶん困惑したという
▼今ならスターへの登竜門だろうが、良妻賢母が女性の美徳とされた時代のこと。「美貌を誇示するなどけしからん」「美人投票など校風にそぐわない」と批判され、ヒロ子は退学させられた。その時の学習院院長は、名高い陸軍大将、乃木希典だった
▼一説によると、乃木は後に、ヒロ子が自ら応募したのではなく、義兄をかばって事実を告げなかったのだと知り、退学させたことを後悔した。彼女の幸せを考えた乃木は、良い結婚相手を見つけてやろうと、八方手を尽くして探した▼それを聞いた旧知の陸軍大将、野津道貫が長男との結婚を申し出た。ヒロ子は侯爵家に嫁ぎ、良き妻、良き母として義父や夫を支えたという。110年前のミスコンにこんな逸話があった。


明治41年(1908)、『時事新報』が主催しての日本初のミスコンテスト。光雲も審査員だったというのは、意外と有名な話です。

その後に刊行された応募写真の写真集がこちら。

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第一位となった末弘ヒロ子がこちら。

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第一位ということで、他のカットも掲載されています。第二位と第三位の女性は2カット、他は1カットだけです。

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たしかに美人さんですね。

これが元で学習院を退学になったというのは存じていましたが、その後の乃木とのエピソードは存じませんでした。いい話ですね。


ところで、以前にも書きましたが、光太郎もミスコンの審査員を務めたことがあります。父・光雲に遅れること約20年、昭和4年(1929)のことでした。

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この際は『朝日新聞』さんが主催で、『アサヒグラフ』誌上の企画でした。やはり審査は写真のみ。審査後の座談会が『アサヒグラフ』に掲載されました。

光太郎以外の審査員は、藤島武二、柳田国男、朝倉文夫、村山知義など。やはり美術関係者が多いのは、その審美眼を買われての事だったのでしょう。


明日は『日本経済新聞』さんの記事からご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

仕事が巧妙になるほど俗になつてゐる。

散文「天平彫刻の技法」より 昭和19年(1944) 光太郎62歳

室町以降、江戸時代の木彫に対する評です。非常に便利な丸鑿という道具が開発され、平鑿や切り出ししかなかった頃より楽に木を彫れるようになり、かえって堕落した、というのです。

この話、いろいろな分野に当てはまるような気がしますね。