昨日の『京都新聞』さんの一面コラムです。 

凡語:大学入試終盤へ

アニメの巨匠・押井守監督は大学受験で苦い経験を持つ。学生運動に目覚めた東京の高校時代、親の干渉から逃れるため、京都市立芸術大を受験する▼かつて得意だった絵のことを思い出し、付け焼き刃でアトリエに通ったが、実技試験で打ちのめされる。課題はニワトリのデッサン。他の受験生の絵に愕(がく)然とし、腹痛にも襲われて会場から担ぎ出された(「他力本願」)▼受験の思い出は人それぞれ、喜びより悔しさが勝る人も多かろう。そんな大学入試が大きく変わる。センター試験に代わり、2020年度から「大学入学共通テスト」が始まる▼思考力を重視し、国語と数学で記述式問題も加わるよう。昨秋の試行調査では高校生から戸惑いの声が漏れたとか。入試改革は改めて、高校・大学での学びの意味を問いかける▼昨日から国公立大の2次試験が始まり、私立大では合格発表も相次ぐ。数学者の故森毅さんはこの時期、大学進学が何の役にたつかと問われ、こう記す。「役にたたすのは本人のカイショの問題。このことについては入試に通ろうが落ちようが、考えねばならない」▼与えられた環境をどう生かすか。押井監督はその後、東京の大学で絵をあきらめ映画を作り始める。すべては自分次第。高村光太郎の詩ではないが、道は後ろにできる。


もうすぐ3月。そろそろ卒業、そして新生活スタートのシーズンです。この時期、光太郎の「道程」が、各種の式辞などでも広く使われますね。
002

  僕の前に道はない
  僕の後ろに道は出来る
  ああ、自然よ
  父よ
  僕を一人立ちにさせた広大な父よ
  僕から目を離さないで守る事をせよ
  常に父の気魄を僕に充たせよ
  この遠い道程のため
  この遠い道程のため


大正3年(1914)の作ですから、既に100年以上が経過していますが、とてもそうは思えない新鮮さをもって、心の琴線に触れる詩だと思います。

以前にもご紹介しましたが、この詩は元々、同じ年3月の雑誌『美の廃墟』に発表された段階では、102行もある長大なものでした。それが10月刊行の詩集『道程』に収録された際、現行の9行の形に改変されています。

原型はこちら。

 どこかに通じてゐる大道を僕は歩いているのぢやない
 僕の前に道はない
 僕の後ろに道は出来る
 道は僕のふみしだいて来た足あとだ
 だから
 道の最端にいつでも僕は立つてゐるimg_1
 何といふ曲りくねり
 迷ひまよっつた道だらう
 自堕落に消え滅びかけたあの道
 絶望に閉ぢ込められたあの道
 幼い苦悩にもみつぶされたあの道
 ふり返つてみると
 自分の道は戦慄に値ひする
 支離滅裂な
 又むざんな此の光景を見て
 誰がこれを
 生命(いのち)の道と信ずるだらう
 それだのに
 やつぱり此が生命(いのち)に導く道だつた
 そして僕は此処まで来てしまつた
 このさんたんたる自分の道を見て
 僕は自然の広大ないつくしみに涙を流すのだ
 あのやくざに見えた道の中から
 生命(いのち)の意味をはつきり見せてくれたのは自然だ
 僕をひき廻しては眼をはぢき
 もう此処と思ふところで
 さめよ、さめよと叫んだのは自然だ
 これこそ厳格な父の愛だ
 子供になり切つたありがたさを僕はしみじみと思つた
 どんな時にも自然の手を離さなかつた僕は
 とうとう自分をつかまへたのだ
 恰度その時事態は一変した
 俄かに眼前にあるものは光りを放射し
 空も地面も沸く様に動き出した
 そのまに
 自然は微笑をのこして僕の手から004
 永遠の地平線へ姿をかくした
 そして其の気魄が宇宙に充ちみちた
 驚いてゐる僕の魂は
 いきなり「歩け」といふ声につらぬかれた
 僕は武者ぶるひをした
 僕は子供の使命を全身に感じた
 子供の使命!
 僕の肩は重くなっつた
 そして僕はもうたよる手が無くなつた
 無意識にたよつてゐた手が無くなつた
 ただ此の宇宙に充ちみちてゐる父を信じて
 自分の全身をなげうつのだ
 僕ははじめ一歩も歩けない事を経験した
 かなり長い間
 冷たい油の汗を流しながら
 一つところに立ちつくして居た
 僕は心を集めて父の胸にふれた
 すると
 僕の足はひとりでに動き出した
 不思議に僕は或る自憑の境を得た
 僕はどう行かうとも思はない
 どの道をとらうとも思はない
 僕の前には広漠とした岩畳な一面の風景がひろがつてゐる
 その間に花が咲き水が流れてゐる
 石があり絶壁がある
 それがみないきいきとしてゐる
 僕はただあの不思議な自憑の督促のままに歩いてゆく
 しかし四方は気味の悪い程静かだ
 恐ろしい世界の果へ行つてしまふのかと思ふ時もある
 寂しさはつんぼのやうに苦しいものだ
 僕はその時又父にいのる
 父はその風景の間に僅ながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を僕に見せてくれる
 同属を喜ぶ人間の性に僕はふるへ立つ
 声をあげて祝福を伝へる
 そしてあの永遠の地平線を前にして胸のすく程深い呼吸をするのだ
 僕の眼が開けるに従つて
 四方の風景は其の部分を明らかに僕に示す
 生育のいい草の陰に小さい人間のうぢやうぢや匍ひまはつて居るのも見える
 彼等も僕も004
 大きな人類といふものの一部分だ
  しかし人類は無駄なものを棄て腐らしても惜しまない
 人間は鮭の卵だ
 千万人の中で百人も残れば
 人類は永久に絶えやしない
 棄て腐らすのを見越して
 自然は人類の為め人間を沢山つくるのだ
 腐るものは腐れ
 自然に背いたものはみな腐る
 僕は今のところ彼等にかまつてゐられない
 もつとこの風景に養はれ育(はぐく)まれて
 自分を自分らしく伸ばさねばならぬ
 子供は父のいつくしみに報いたい気を燃やしてゐるのだ
 ああ
 人類の道程は遠い
 そして其の大道はない
 自然は子供達が全身の力で拓いて行かねばならないのだ
 歩け、歩け
 どんなものが出て来ても乗り越して歩け
 この光り輝やく風景の中に踏み込んでゆけ
 僕の前に道はない
 僕の後ろに道は出来る
 ああ、父よ
 僕を一人立ちにさせた父よ
 僕から目を離さないで守る事をせよ
 常に父の気魄を僕に充たせよ
 この遠い道程の為め

ネット上などで時折誤った記述を見かけるのですが、これは「原型」もしくは「発表形」であって、「全文」というわけではありません。また、「末尾の部分だけを切り取った」というのも誤りです。原型の「ああ、父よ」が「ああ、自然よ/父よ」と、「自然よ」が書き加えられた上で2行に分けられ、それに伴って次の行の「父よ」の前に「広大な」の一言が挿入されています。また、最終行も「為め」が仮名書きに変わり、さらにリフレインされています。

機会があれば、こちらの原型の方も広くご紹介いただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

あはれな片ぼかしや、つけ立て流や、思ひつき派は亡びるがいい。

散文「仏画賛」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

鎌倉時代の恵心僧都筆筆と003される「阿弥陀聖衆来迎図」を取り上げ、絶賛する文章の一節です。これは極彩色の大きな作品で、日本画特有の「幽玄」とか「枯淡」、「わびさび」、「余韻」といった感覚からは外れたもの。しかし、そういうものでなければ西洋の「最後の晩餐」や、ルオーの宗教画などに対抗できないのだ、という言です。

そして光太郎の矛先は、小手先の技巧(「片ぼかし」「つけ立て」など)を重視し、量感や力感に乏しい日本画に向かいます。「現代日本画の展観をローマのまん中でしてみたら、それに感心するのは現代日本画家だけであらう」と。

その論旨の是非については諸説ありましょうが、上記「道程」原型の「腐るものは腐れ/自然に背いたものはみな腐る」に通じているようにも思えます。