昨日は、両国で劇団劇団空感演人さんによる「チエコ」という演劇を観て参りました。

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平成25年(2013)にも同じ会場、同じ劇団(当時の劇団名は「空感エンジン」)の公演があり、その時以来の2度目の拝見。さすがに4年半ぶりでしたので、細かな部分は覚えて居らず、拝見しながら「ああ、ここはこういうシーンだったな」、「あれっ、こんな流れになるんだったっけ?」という感じでした。

主な舞台は、旧本郷区駒込林町の光太郎アトリエ。肺結核のため智恵子が歿し、光太郎が詩集『智恵子抄』を編もうとしている時期――昭和15年(1940)ごろというところでしょうか。最初に登場するのは、光太郎と、智恵子の最期を看取った智恵子の姪・長沼春子。春子は智恵子歿後も家政婦さんのようにアトリエに同居しているという設定です。そこに光太郎を敬愛する後輩詩人、中原綾子と草野心平(当会の祖です)、さらに途中から光太郎に代わって高村家の家督を継いだ実弟の豊周、そしてかつて智恵子の親友で、長いこと洋行していた田村俊子も加わります。この「現在」の場面と、智恵子存命中の「過去」の場面とを行ったり来たりしながら、物語が進みます。

光太郎智恵子にあまり詳しくない方でも、物語が進むにつれ、こういう経緯があったのか、と、非常にわかりやすく作られています。また、若い役者さんたちの、一生懸命な姿にも好感が持てました。先週からの公演で、合計6組の役者さんたちが入れ替わりながらということで、お互い競い合う的な部分もあるのでしょうか。

そして、結局、智恵子が心を病んだのは誰のせいでもない、という描き方です。心を病んだ智恵子も、最期には「紙絵」によって芸術家としての才を開花させることができたとし、初めは光太郎を糾弾していた田村俊子も納得します。そこで、終幕後は爽やかな余韻が残ります。一歩間違うと、何らの問題意識も提示しないまま、お涙頂戴の甘ったるいメロドラマで終わってしまう危険性もはらむ手法ですが、そこをそうさせないように、役者さんたち、そして脚本・演出の野口麻衣子さん(開演前と終演後、少しお話をさせていただきました)のご努力が見えました。何というか、皆さん、「優しい気持ち」でこの芝居に当たられているような……。

終演後の舞台挨拶。

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左から、長沼春子、豊周、光太郎、智恵子、田村俊子、心平、中原綾子です。

台本を販売していたので、購入して参りました。1,500円でした。

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来週月曜まで、まだ空席がありそうですので、お問い合わせの上、ぜひ足をお運びください。子供さんにも安心してみせられる芝居です。


【折々のことば・光太郎】

芸術作品を製作する者の側からいふと、独自性よりも普遍性を心がける方が正しいのではないかと思ふ。芸術の基準は人類共通の根本に据ゑて置くべきで、殊更に一民族乃至一個人の特性に意識的に凝り固まるべきではないと考へたい。
散文「普遍と独自」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

さりとて、独自性を軽視するというわけでもなく、しかし、独自性は自ずと表れるべきものであるとも光太郎は言います。たしかにどんな芸術でも、没個性も困りものですが、「自分が、自分が」という意識が強すぎるものに対しては、引いてしまうことが往々にしてあります。

空感演人さんの「チエコ」、そうした意味での普遍性も感じさせるものでした。