7月1日(土)~8月20日(日)
盛岡市の岩手県立美術館さんにおいて、「巨匠が愛した美の世界 川端康成・東山魁夷コレクション展」が開催されました。1月に発見が報じられた、光太郎の扇面揮毫も出品されました。


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まったく同じ日程で、花巻市博物館さんの企画展「没後50年多田等観~チベットに捧げた人生と西域への夢~」が開催されました。光太郎が多田等観に贈ったうちわ、書簡、『高村光太郎詩集』が展示されました。

7月1日(土)~9月3日(日)
信州安曇野の碌山美術館さんで、夏季企画展示「高村光太郎編訳『ロダンの言葉』展 編訳と高村光太郎」が開催されました。
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7月1日(土)~9月24日(日)
文京区の弥生美術館さんで、「命短し恋せよ乙女 ~マツオヒロミ×大正恋愛事件簿~」展が開催されました。『青鞜』にからめ、智恵子にも触れられました。

7月2日(日)
横浜市の横濱エアジンさんで、「~ヨーロピアンジャズ~◆高村光太郎と中原中也に寄せて」公演がありました。出演は、荒野愛子さん(Piano, Composition)鴻野暁司さん(Bass)、吉島智仁さん(Drums)でした。

7月3日(月)
花巻高村光太郎記念会さんから、光太郎の従妹・加藤照さんの子息の加藤千晴氏著『光太郎と女神たち』が刊行されました。


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7月7日(金)
文芸同人誌『虹』第8号が発行されました。詩人の豊岡史郎氏による「<高村光太郎論> 光太郎とパリ」、「パリの思い出」が掲載されています。

7月7日(金)、8日(土)
古書業界最大の市(いち)である「七夕古書大入札会」の一般下見展観が、神田の東京古書会館さんで行われました。光太郎の書、書簡等も複数出品されました。


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7月9日(日)
ミネルヴァ書房さんから、『石川九楊著作集Ⅸ 書の宇宙 書史論』が発売されました。「ことばと造形(かたち)のからみあい――高村光太郎」等の部分で、光太郎に触れて下さっています。

7月11日(火)~31(月)
西武百貨店渋谷店さんにおいて、「ココだけ!コカ・コーラ社 60年の歴史展」が開催され、光太郎詩「狂者の詩」が取り上げられました。

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7月11日(火)~8月6日(日)
東京藝術大学大学美術館さんで、企画展「東京藝術大学創立130周年記念特別展 藝「大」コレクション パンドラの箱が開いた!」が開催されました。光太郎作品で、同校卒業制作の「獅子吼」(明治35年=1902)の石膏原型、ブロンズ鋳造が並んで展示されました。また、同校教授だった光太郎の父・光雲に関するアーカイブ的展示もなされ、いずれもガラス乾板の「楠木正成像制作のための木型」、「高村光雲《松方正義像》制作のために撮影された本人の写真 」も出品されました。


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7月15日(土)
文治堂書店さんからPR誌『トンボ』の第4号が発行されました。当方の連載「連翹忌通信」が始まりました。

7月15日(土)・16日(日)
青森県十和田湖で毎年恒例の「十和田湖湖水まつり」が開催され、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップが為されました。


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7月19日(水)~9月30日(土)
竹橋の東京国立近代美術館さんで、「MOMATサマーフェス」が開催されました。光太郎のブロンズ「手」が出品された「所蔵作品展 MOMATコレクション」と連動し、参加型プログラムの対話による所蔵品ガイドが毎日実施された他、毎週金曜の「フライデー・ナイトトーク」や、夏休みにあわせた子ども向けプログラムも実施されたり、金曜・土曜はナイトミュージアムで夜9時まで開館したり、さらに前庭にはガーデンビアバーが出現したりしました。

7月20日(木)
講談社現代新書の一冊として『飛行機の戦争1914-1945 総力体制への道』が刊行されました。一ノ瀬俊也氏著。光太郎の「黒潮は何が好き」(昭和19年=1944)という詩を引用し、太平洋戦争下の民間による航空機、艦艇の献納運動を検証しています。

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7月21日(金)
『週刊朝日』さんの2017/7/21号に、当会会友渡辺えりさんによる「人生の晩餐 高村光太郎と智恵子がデートで食べたハイカラな味」が掲載されました。連翹忌会場の日比谷松本楼さんに関してでした。


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7月29日(土)
花巻高村光太郎記念館さん、高村山荘裏手の智恵子展望台において、「夏休み親子体験講座「新しくなった智恵子展望台で星を見よう」」が開催されました。講師は天文サークル星の喫茶室の伊藤修氏・根本善照氏、それから当方が務めました。

7月29日(土)~11月23日(木)
中野区立中央図書館さんの常設展示「日本の文豪 第7回」で、光太郎、志賀直哉、北原白秋が取り上げられました。


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7月30日(日)
埼玉県越谷市のポルコポルコさんで、朗読イベント「ポルコポルコのブックブックアワー~本を味わい尽くす極上の一日」が行われ、光太郎詩「レモン哀歌」が取り上げられました。語りは和久田み晴さん、フルートで宇高杏那さんのご出演でした。

8月1日(火)
土曜美術出版さんから月刊誌『詩と思想』8月号が発行されました。拙稿「高村光太郎を偲ぶ「連翹忌」」が掲載されました。

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同日、清流出版さんから『月刊清流』9月号が発行されました。「詩歌(うた)の小径」という連載で、「あどけない話――高村光太郎」が2ページにわたり掲載されています。

8月1日(火)~31日(木)
日本航空さんが地域プロモーション活動「地域紹介シリーズ」の一環として福島県を取り上げ、機内ビデオでは「ほんとの空」の安達太良山が放映されました。

8月3日(木)
『朝日新聞』さんの夕刊に「(言葉の服)日本人のおしゃれ:下 智恵子の素(しろ)」という記事が載りました。ご執筆はファッションデザイナー・堀畑裕之氏でした。

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8月4日(金)
東京毎日オークションハウスにおいて、「第546回毎日オークション 絵画・版画・彫刻」が開催され、光雲作の「舞翁」が出品されました。

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8月8日(火)
青森市ご在住の彫刻家で、生前の光太郎を御存知の田村進氏が、自作の光太郎ブロンズ胸像「光太郎山居(さんきょ)」を十和田市に寄贈なさいました。来春から、十和田湖畔の「十和田湖観光交流センターぷらっと」にて公開されるそうです。

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8月9日(水)
宮城県女川町のまちなか交流館ホールにおいて、第26回女川光太郎祭が開催されました。光太郎詩文の朗読、アトラクション演奏、当方の講演「高村光太郎、その生の軌跡 ―連作詩「暗愚小伝」をめぐって⑤―」などが行われました。

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同日、青森県さん制作の青森県PRムービー「ディス(り002)カバリー青森」第2弾がインターネット上で公開されました。光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」も登場します。

8月12日(土)
京都芸術センターさんにおいて、「京の文化絵巻2017 ~文学吟詠舞劇と邦楽の飛翔~」が開催されました。文学吟詠舞劇 「智恵子抄 断章―千鳥と遊ぶ智恵子―」が演目に入っていました。

8月15日(火)
終戦の日にからめ、『岩手日報』さんの一面コラム「風土計」で光太郎に触れて下さいました。

8月19日(土)
『毎日新聞』さんの大阪夕刊に、「舞台をゆく長野県松本市・徳本峠(ウェストン「日本アルプスの登山と探検」) 穂高岳の雄姿、幾年月も」という記事が出、大正2年(1913)の光太郎智恵子上高地行が紹介されました。

8月19日(土)・20日(日)
花巻市内で「第20回いわて花巻イーハトーブの里ツーデーマーチ(イーハトーブフォーラム実行委主催)」が開催されました。「光太郎と賢治出会いのコース」(30㎞)も設定されました。

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8月23日(水)
エイ出版さんから女性向け登山雑誌『ランドネ』10月号が発売されました。「山岳お遍路さん 神様百名山を旅する」という連載があり、智恵子の故郷・二本松に聳える安達太良山が、「智恵子抄」にからめて紹介されています。

8月25日(金)~27日(日)
大阪市立芸術創造館さんで、evkk(エレベーター企画)さんによる演劇「売り言葉」が上演されました。「売り言葉」は、平成14年(2002)、野田秀樹氏の脚本、大竹しのぶさん出演で初めて上演されました。登場人物は智恵子のみの一人芝居です。

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8月26日(土)
花巻高村光太郎記念館で、旧記念館の建物を「森のギャラリー」としてリニューアル、市民講座等での活用ができるようになりました。

8月26日(土)~11月5日(日)
富山県美術館さんで、「富山県美術館開館記念展 Part 1 生命と美の物語 LIFE - 楽園をもとめて」が開催され、光太郎木彫「蝉」(大正13年=1924)が出品されました。

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8月27日(日)
コールサック社さんから、佐藤竜一氏著『宮沢賢治 出会いの宇宙――賢治が出会い、心を通わせた16人――』が出版され、光太郎も取り上げられました。





8月30日(水)
江東区公会堂ティアラこうとうさんで、「響きあう詩と朗読」公演があり、宮尾壽里子さんによる光太郎「母をおもふ」、清水けいこさんによる「『智恵子抄』より」が上演されました。

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同日、角川書店さんから青少年向け、いわゆるライトノベル系のファミ通文庫の一冊として『詩葉さんは別(ワカレ)ノ詩を詠みはじめる』が刊行されました。樫田レオ氏著。光太郎の「郊外の人に」(大正元年=1912)が重要なモチーフとして扱われています。

9月1日(金)
北海道小樽市に似鳥美術館さんがオープンしました。光雲とその弟子達の木彫が多数展示されています。

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9月2日(土)
NHK総合さんで「ブラタモリ #81 十和田湖・奥入瀬 ~十和田湖は なぜ“神秘の湖”に?~」がオンエアされ、「乙女の像」も映りました。再放送は9月6日(水)でした。

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9月6日(水)
2月8日に亡くなった俳優の土屋嘉男さんの訃報が出ました。原節子さん主演の東宝映画「智恵子抄」(昭和32年=1957)にも出演なさっていました。光太郎の若い友人である詩人の「小山」という役で、モデルは尾崎喜八と草野心平でした。

9月9日(土)~11月23日(木)
福島県二本松市内各所を会場に、「重陽の芸術祭2017」が開催されました。智恵子生家の旧長沼酒造も会場となっており、現代アート作家の・清川あさみさんによるインスタレーションの展示が行われていました。

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9月12日(火)~12月24日(日)
山梨県北杜市の清春白樺美術館さんで、「白樺派の情熱展 志賀直哉コレクションを中心として」が始まりました。光太郎の「裸婦坐像」(大正6年=1917)、「大倉喜八郎の首」(大正15年=1926)、さらに画商の後藤真太郎にあてた長い書簡(昭和6年=1931)が展示されました。

9月13日(水)
神奈川県立近大美術館館長・水沢勉氏が、御自身のフェイスブックにて、明治44年(1911)に、智恵子が描いた雑誌『青鞜』の有名な表紙絵に元画が存在することを発表されました。元になった作品は、ヨーゼフ・エンゲルハルトというオーストリアの画家が、明治37年(1904)のセントルイス万博のために制作した寄木細工「Merlinsage」でした。

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9月15日(金)~17日(日)
横浜伊勢佐木町ににあるお三の宮日枝神社さんの例大祭(お三の宮 秋まつり)が開催され、修復を終えた高村光雲の手になる彫刻が施された「火伏神輿」が2年ぶりに出ました。

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9月16日(土)・17日(日)
サンライズもとみや(福島県本宮市)において、「第5回カナリヤ映画祭」が開催されました。「智恵子抄」に触れる昭和40(1965)年に自主制作された映画「こころの山脈」(吉村公三郎監督、故・山岡久乃さん主演)が上映されました。

 9月16日(土)・9月30日(土)・10月22日(日)
 福島県鮫川村のあぶくまエヌエスネットフィールドさんで、自然体験学習「ふくしま ほんとの空プログラム」が開催されました。

9月15日(金)~11月27日(月)
花巻高村光太郎記念館さんで、「秋季企画展  智恵子の紙絵 智恵子抄の世界」が開催されました。同館所蔵の智恵子の紙絵実物2点、複製の紙絵などが展示されました。

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9月16日(土)~12月3日(日)
日本橋の三井記念美術館さんで「驚異の超絶技巧! —明治工芸から現代アートへ—」展が開催されました。光雲の木彫「布袋」が展示されました。

9月23日(土)~11月12日(日)
青森県八戸市の八戸クリニック街かどミュージアムさんで、「5周年記念秋期展旅と名所――広重から北東北の新版画・鳥瞰図まで」が開催され、光太郎ブロンズ「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のために習作として作った手を鋳造したもの、それから同じく「乙女の像」の中型試作の首の部分が展示されました。

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9月24日(日)
千葉県市原市のサンプラザ市原を会場に、「ひだまりコンサートVol2 朗読と歌 ことばをつむいで伝える大切な思い」が開催され、「智恵子抄」が朗読されました。

9月27日(水)
福島県南相馬市小高区の小高生涯学習センターにおいて、国立大学法人福島大学うつくしまふくしま未来支援センター主催のシンポジウム「ほんとの空が戻る日まで―東日本大震災から7年目を迎えた浜通り地方の今後を考える―」が開催されました。

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9月28日(木)
テレビ朝日さんで、「あなたの駅前物語 【二本松駅前/福島県】提灯祭りの駅前」が放映され、「智恵子抄」にからめて安達太良山、阿武隈川が紹介されました。

9月30日(土)~11月12日(日)007
愛知県豊橋市美術博物館さんで「ニッポンの写実 そっくりの魔力」が開催され、光雲木彫「天鹿馴兎(てんろくくんと)」(明治28年=1895・個人蔵)、「砥草刈(とくさがり)」(大正3年=1914・大阪市立美術館蔵)、「西行法師」(制作年不明・清水三年坂美術館蔵)の3点も並びました。   


というわけで、今回は7、8、9月をふり返りました。

書いている途中で、「一つの記事に掲載できる画像は50枚までです」というエラーメッセージが出てしまい、複数枚の画像を使おうとしたイベントから削除しました。それだけたくさん紹介すべき事項があったということですね。ありがたいことです。

明日はこのコーナー最終回、10、11、12月のご紹介です。


【折々のことば・光太郎】.

構造を思へ、構造無きところに存在無し。

散文「彫刻十個條」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

人体にも、樹木にも、優れた建築にも、きちんとした構造が在ると光太郎は説きます。そういったことを意識するとしないとでは、やはり世界の見え方が違ってくるのでしょう。