今日明日と、1泊で花巻に行って参ります。

花巻市内の文化施設である、花巻新渡戸記念館さん、萬鉄五郎記念美術館さん、花巻市総合文化財センターさん、花巻市博物館さん、そして高村光太郎記念館さんの5館が連携し、統一テーマにより同一時期に企画展を開催する試みが始まっています。題して「ぐるっと花巻再発見! ~イーハトーブの先人たち~」。

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高村光太郎記念館さんは、今年度からの参加で、書を軸にした企画展示が為されています。

高村光太郎 書の世界

期 日 : 2017年12月9日(土) ~2018年2月26日(月)
会 場 : 高村光太郎記念館 岩手県花巻市太田3-85-1
時 間 : 8:30 ~ 16:30 
休館日 : 12月28日(木)~1月3日(水)
料 金 : 一 般 550円/高校生・学生 400円/小・中学生 300円
        ※団体入場(20名以上)は上記から一人あたり100円割引

 彫刻家で詩人として知られる高村光太郎。戦火の東京から花巻へ疎開し、その後太田村山口へ移住した光太郎は自らの戦争責任に対する悔恨の念がつのり、あえて不自由な生活を続け、彫刻制作を一切封印しました。
 山居生活では文筆活動に取り組み、数々の詩を世に送り出す一方で、花巻に大小さまざまな『書』を遺しました。
 『乙女の像』制作のため帰京した後、晩年の病床でも数々の揮毫をした光太郎は、死の直前に自らの書の展覧会の開催を望んでいたことが日記に残されています。
 この企画展では彫刻・文芸と並び、光太郎・第三の芸術とも言われる『書』を通じて太田村時代の造形作家としての足跡をたどります。

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会期的には既に始まっているのですが、報道陣向けの内覧が、本日14時からだそうで、当方、その頃参上します。それに合わせて日程を組んでいただいたようで、恐縮です。


他館で光太郎に関わるのが、花巻市博物館さん。こちらは明日、拝見に行くつもりでおります。

及川全三と岩手のホームスパン

期 日 : 2017年12月9日(土) ~2018年1月28日(日)
会 場 : 花巻市博物館 岩手県花巻市高松26-8-1
時 間 : 8:30 ~ 16:30 
休館日 : 12月28日(木)~1月1日(月)
料 金 : 小・中学生:150円(100円)  高校・学生:250円(200円)
      一般:350円(300円)  ( )内は20名以上の団体料金

大正期から農家の副業として作られていた羊毛織の「ホームスパン」に植物染の技術を導入し、美術的な価値を与え、工芸品としての地位を確立させた及川全三(おいかわぜんぞう)【花巻市東和町出身】。
全三のホームスパン工芸への取り組みと民藝運動を提唱した柳宗悦 (やなぎむねよし)との交流についても所蔵資料とともに展示紹介します。

展示構成
1.及川全三のこと
 高等小学校から岩手のホームスパン業界を育てるまでの全三の生涯を紹介します。
2.及川全三とホームスパン
 全三とホームスパン工芸への取り組みについて紹介します。また、羊毛織のホームスパンを知るために、ホームスパンの概要や岩手とホームスパンとの関わり、製作工程なども併せて紹介します。
3.柳宗悦との交流
 民藝運動を提唱した柳宗悦との交流について、柳宗悦の人物像を踏まえて紹介します。
4.全三の弟子と岩手のホームスパン工房
 全三の内弟子である、福田ハレや鈴木光子の紹介とともに、全三の弟子たちによって設立・技術指導されたホームスパン工房を紹介します。

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及川の名は、光太郎日記に頻出します。羊毛で作るホームスパンの風合いを好んだ光太郎が、及川や、その弟子の福田ハレなどに自分用のものを依頼しています。高村光太郎記念館さんに展示されている光太郎の服もホームスパン。太田村の振興のため、及川の手を借りて光太郎も村でのホームスパン制作を推奨、山小屋近くに住んでいた戸来幸子という女性が織ったものを、盛岡で仕立ててもらったそうです。

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また、日記には、光太郎が東京から疎開した際に持ってきた荷物の中に、イギリスの染織家、エセル・メレ(1872~1952)の織ったホームスパンの大きな布(膝掛け、または毛布的な)が入っていて、及川に何度もそれを見せたことが記されています。

その現物と思われる布も、高村光太郎記念館さんに所蔵されています(展示はされていません)。で、花巻市博物館さんで「及川全三展」ということで、貸し出されるのかなと思っていましたが、それは実現しませんでした。

いずれそのあたり、大きな動きがあるのではないかと思っております。またその折には詳しくご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

自然は常に子を見守る親の心を持つてゐる。自然が進む生命は即ち私達の進む生命である。私達の苦しみ、悩み、喜び、悲しむ道程は即ち自然の苦しみ、悩み、喜び、悲しむ道程である。自然は賢明であるが、自然は常に命がけである。自然は人間を育てるために無数の人間を作る。無数の時代を作る。そして機会を待つ。

散文「印象主義の思想と芸術」より 大正4年(1915) 光太郎33歳

この前年に書かれた詩「道程」とリンクしています。特に詩集『道程』掲載形の9行ショートバージョンではなく、雑誌『美の廃墟』に初出時の102行ロングバージョン

「印象主義の思想と芸術」は、天弦堂書房から書き下ろしで刊行された、光太郎最初の評論です。250ページほどあり、おそらく前年、オリジナル「道程」と並行して書き始められていたのではないかと推定できます。