情報を得るのが遅れ、始まってしまっている展覧会を2つ。いずれも都内で開催中です。 

となりの髙村さん展第2弾「写真で見る昭和の千駄木界隈」髙村規写真展

期 日 : 2017年11月1日(水)~5日(日) 11月8日(水)~29日(水)の水・土
会 場 : 東京都指定名勝 旧安田楠雄邸庭園 東京都文京区千駄木5-20-18
時 間 : 10:30~16:00
料 金 : 一般700円、中高生400円、小学生以下無料(保護者同伴必須)

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東京文化財ウイーク2017参加企画

写真家・高村規(ただし)。1933‐2014 父は人間国宝の彫金家・豊周(とよちか)、 伯父は彫刻家で詩人・光太郎、 伯母は画家で紙絵作家・智恵子、そして祖父の木彫家仏師・光雲(こううん)・・・本郷区駒込林町155番地(現・文京区千駄木5丁目)、 明治25年(1892)にはじまる芸術家の系譜。

芸術家の仕事を後世に伝えた写真家が写し撮った町がわたしたちに語りかける。 高村規の原点、懐かしい駒込林町、そして千駄木と名を変えた町の風景。ぜひご覧ください。


会場の旧安田楠雄邸は、光太郎の実家にして、現在も光太郎の実弟・豊周が継いだ髙村家の「となり」です。普段から水、土に一般公開はされていますが、時折、このような形で企画展示が為されます。「となりの髙村さん」展の第1弾が開催されたのが平成21年(2009)。やはりその頃ご存命だった光太郎の令甥で写真家髙村規氏の写真などが展示されたそうです(当方、そちらには行けませんでした)。

ちなみに光雲、豊周、規氏、そして現在の規氏ご長男達氏と続く家系は、戸籍上は通常の「高」だそうですが、昔から慣例的に「髙」の字を使用されています。戸籍の届けを光雲の弟子の誰かにやってもらったところ、「髙」ではなく「高」で登録してしまったとのこと。長男でありながら家督相続を放棄し、分家扱いとなった光太郎は、戸籍が「高」なのだから、と、「高」で通しました。

今回も、規氏の作品が展示されています。昔の千駄木界隈や、光雲、豊周、光太郎、智恵子らの作品を撮影したもの等だそうです。チラシに使われているのは、昔の団子坂です。

11/1から始まっていて、5日までの期間は髙村家の見学もあったそうです。不覚にも情報を得られませんでした。すみません。


もう1件。 こちらは一昨日からです。 

2017アジア・パラアート-書-TOKYO国際交流展

期     日 : 2017年11月8日(水)~11月12日(日)
会     場 : 豊島区役所本庁舎1階としまセンタースクエア 東京都豊島区南池袋2-45-1
時     間 : 午前10時~午後6時
料     金 : 無料

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概要をわかりやすくすために、後援に入っている『毎日新聞』さんの東京版記事から。 

アジア・パラアート展  始まる 5カ国100人の力作展示 揮毫に会場沸く 南池袋 /東京

 「アジア・パラアート~書~TOKYO国際交流展」(日本チャリティ協会主催)が8日、豊島区南池袋の区役所1階「としまセンタースクエア」で始まった。日本、中国、韓国などアジア各地で活躍する障害者の書作品を通して交流を図ろうという企画。会場には5カ国100人の感動的な力作が展示されている。 
 8日は日本、中国、韓国の書家による開幕を記念した揮毫(きごう)会が開かれ、訪れた多くの人たちから大きな声援が送られた。日本からはダウン症の金澤翔子さんが参加。大きな筆を勢いよく動かし「共に生きる」を書き上げた。
 四肢体幹機能障害の鈴木達也さんは、自ら考案したヘッドキャップに筆を取り付け、首の力で草書体の「命」を書いた。事故で両腕を失った中国の書家、趙靖さんは、筆を口にくわえて「友誼常青」を書き、ソウル五輪のオープニングで見事なパフォーマンスを見せた韓国の義手の書家、チャン・ウ・ソクさんは、「サイクリング」を巧みな筆致で表現し、会場は盛大な拍手でわいた。
 特別展示では、吉田茂、山本五十六、高村光太郎、水上勉、ペギー葉山の各氏はじめ、安倍晋三首相ら各界著名人の作品45点も飾られている。
 12日まで。入場無料。問い合わせは同協会(03・3341・0803)。【鈴木義典】
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というわけで、基本、「パラ」ですので、パラリンピック的に、障がい者の皆さんの作品展ですが、特別展示ということで、近現代の著名人の書も展示されているそうです。そのトップに光太郎の名。ありがたや。他にも光太郎と関係があった小川芋銭、平塚らいてうなどの書も展示されています。


明日、元々上京する予定でしたので、今回ご紹介した2件も拝見し、レポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

おれは気圏の底を歩いて 言葉のばた屋をやらかさう。 そこら中のがらくたに 無機究極の極をさがさう。

詩「ばた屋」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

「ばた屋」は、現代ではいわゆる放送禁止用語のコードに抵触するでしょう。古紙や布、金属片などを回収して換金する職業です。それも路上から拾い集めて、というのが主流でした。おそらくこの当時の東京にも多かったのではないかと思われます。

戦時中の戦争協力を悔い、自らに課した「彫刻封印」の厳罰。それを解き、青森県から依頼された「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、花巻郊外太田村から7年ぶりに再上京する直前の作です。「ばた屋」の闊歩する東京で、自らは「言葉のばた屋」として、日常生活の中から言葉を拾い集め、詩作をしようということでしょう。