以前にも少し書きましたが、明治44年(1900311)に、智恵子が描いた雑誌『青鞜』の、有名な表紙絵についてです。

アール・ヌーボー風だとか、ギリシャの女神とか、エジプトのそれだとか、クリムトや青木繁の影響だとか、実にさまざまな説が唱えられてきましたが、とうとう解決しました。

連翹忌ご常連の、神奈川県立近代美術館長・水沢勉氏によるご調査で、智恵子のオリジナルの絵ではなく、元になった作品があったことが確認されたのです。

水沢氏がご自身のフェイスブックに発表され、その記事を紹介する他の方のブログを拝見、氏に資料を送って下さるようお願いしたところ、届きました。

それによれば、元になった作品は、ヨーゼフ・エンゲルハルトというオーストリアの画家が、明治37年(1904)のセントルイス万博のために制作した寄木細工「Merlinsage」でした。まったく同一と言っていい意匠ですので、まず間違いありません。下の画像の中央です。


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この件に付き、先月開催された智恵子忌日の集い・第23回レモン忌で、福島県立美術館さんの学芸員をなさっている堀宜雄氏が早速ご紹介。堀氏も水沢氏のフェイスブックをご覧になったそうでした。堀氏にもご教示いただき、いろいろとわかってきました。


「Merlinsage」は全9枚組の寄木細工で、モチーフはアーサー王伝説。5世紀から6世紀のブリトン人の王、アーサーの事績を元にしたもので、絵画や小説、映画などの題材としても幅広く知られています。「円卓の騎士ナントカ」というのはすべてアーサー王伝説から来ています。「Merlin(マーリン)」はその登場人物のひとりで、アーサー王を補佐し、導く魔術師です。「sage」は「伝説」の意。

「Merlinsage」の問題の女性は、アーサー王に伝説の剣・エクスカリバーを授けたとされる「湖の乙女」。ヴィヴィアン(Viviane)、ニムエ(Nimueh)など、さまざまな名前があてられていますが、湖の精を人格化したもののようです。

こちらはビアズリーの描いた湖の乙女、アーサー王、そしてマーリンです。

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背景に描かれている巴型のような図柄は、湖の000水泡、体の両脇に描かれている連続三角紋は、どうも乙女がまとっているヴェールらしいとのこと。智恵子の描いた『青鞜』表紙絵では、ヴェールの部分の描写は細部が省略されていて、わかりにくくなっています。

作者のヨーゼフ・エンゲルハルト(1864~1941)は、クリムトを中心としたウィーン分離派の画家。日本ではほとんど知られていない存在のようですが、海外のサイトではかなり言及されているものがあります。同派は絵画のみならず、総合芸術の構築を目指していた部分もあったということで、工芸的な作品も少なからずあり、そういうわけで寄木細工です。

先述の通り、明治37年(1904)のセントルイス万博のために制作されたものですが、明治42年(1909)になってカタログが刊行され、原色の図版が載りました(110ページ目)。それが日本に輸入されて販売されたか、帰国した留学生が持って帰ったか、そんなところで回り回って智恵子の目に触れたというわけでしょう。何とかして入手したいものです。

ところで、当時はこのように西洋の絵を模写して使うことは広く行われており、現代の感覚での「盗作」とは異なります。『青鞜』表紙絵が智恵子オリジナルではなかったというのは、少し残念な気もしますが……。

この件につきましては、今後も調査を継続し、またレポートすることもあるかと存じます。

それにしても「湖の乙女」とは、いやがうえにも光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を連想させ、不思議な縁を感じます。

追記 日本でも既に昭和7年(1932)、平凡社刊行の『世界美術全集 別卷第十一卷』にモノクロの画像で紹介されていました。
世界美術全集 別卷第十一卷
世界美術全集 別卷第十一卷解説
【折々のことば・光太郎】

山に友だちがいつぱいいる。 友だちは季節の流れに身をまかせて やつて来たり別れたり。
詩「山のともだち」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

長い詩ではないのですが、登場する「山に」「いつぱいいる」「友だち」は、「カツコー」「ホトトギス」「ツツドリ」「セミ」「トンボ」「ウグイス」「キツツキ」「トンビ」「ハヤブサ」「ハシブトガラス」「兎と狐の常連」「マムシ」「ドングリひろいの熊さん」「カモシカ」。ほんとに「いつぱい」です(笑)。

戦時中の戦争協力を悔い、自らに課した「彫刻封印」の厳罰。それを解き、青森県から依頼された「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、花巻郊外太田村から7年ぶりに再上京する直前の作です。宿痾の肺結核のため、二度と太田村には戻って来られないかもしれないという覚悟があったようで(実際には翌年、「乙女の像」序幕後に10日間だけ戻りましたが)、「友だち」への惜辞のようにも読める詩です。