光太郎、それから光太郎の父・光雲の作品が載ったアンソロジー的な書籍を2冊、ご紹介します。

猫の文学館Ⅰ 世界は今、猫のものになる

2017年6月10日 筑摩書房(ちくま文庫) 和田博文編 定価840円+税

猫たちがいきいきと描かれている短編やエッセイを一冊に。内田百閒(けん)が、幸田文が、大佛次郎が、川端康成が、向田邦子が魅せられた猫大集合!

大佛次郎、寺田寅彦、太宰治、鴨居羊子、向田邦子、村上春樹…いつの時代も、日本の作家たちはみんな猫が大好きだった。そして、猫から大いにインスピレーションを得ていた。歌舞伎座に住みついた猫、風呂敷に包まれて川に流される猫、陽だまりの中で背中を丸めて眠りこんでいる猫、飼い主の足もとに顔をすりつける猫、昨日も今日もノラちゃんとデートに余念のない猫などなど、ページを開くとそこはさまざまな猫たちの大行進。猫のきまぐれにいつも振り回されている、猫好きにささげる47編!!

1 のら猫・外猫・飼い猫005
2 仔猫がふえる!
3 猫も夢を見る
4 猫には何軒の家がある?
5 そんなにねずみが食べたいか
6 パリの猫、アテネの猫
編者エッセイ 猫が宿る日本語


世の中、猫ブームだそうで、それに乗った企画のようです。日本近現代の猫に関するエッセイ、短編小説、童話、詩などが集められています。

第5章が「そんなにねずみが食べたいか」という題になっていますが、これは、この章に収められた光太郎詩「猫」(大正5年=1916)の冒頭の行「そんなに鼠が喰べたいか」から採っています。

その他、光太郎と関わりの深かった人々――与謝野晶子、佐藤春夫、室生犀星、三好達治、岡本一平、尾形亀之助ら――の作品も載っています。

しかし、時代が違うと言えばそれまでですが、昔の猫は平気で捨てられたり、避妊手術を受けられなかったり、餌は自分で調達しなければならなかったりと、いろいろ大変だったようです。

ちなみにわが家の猫、娘が拾ってきて1年半近くになりますが、お姫様のように過ごしております(笑)。

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もう1冊。 

コーヒーと随筆

2017年10月1日 mille books 庄野雄治006
 定価1,300
円+税

近代文学に造詣の深い、『コーヒーの絵本』の著者で徳島の人気焙煎所アアルトコーヒー庄野雄治が、コーヒーを飲みながら読んで欲しい随筆を厳選しました。大好評を博した『コーヒーと小説』の姉妹書、2冊続けて読むと何倍も楽しめる内容です。前作に続きカバー写真には、作品に登場する魅力的な女性の象徴として人気シンガーソングライター・安藤裕子さんを起用! 現代に生きる私たちにこそ響く、至極面白く読みやすい随筆20編です。コーヒーを飲みながらお楽しみください。
 
「新しいものは古くなるが、いいものは古くならない。それを証明する随筆集」
人はずっと変わっていない。百年前の人が読んでも、百年後の人が読んでも、同じところで笑って、同じところで泣くんじゃないのかな。コーヒーと一緒に、偉大な先達たちの真摯な言葉を楽しんでいただけると、望外の喜びだ。

掲載作品(掲載順)
「畜犬談」太宰治、「巴里のむす子へ」岡本かの子、「家庭料理の話」北大路魯山人、「立春の卵」中谷宇吉郎、「大阪の可能性」織田作之助、「陰翳礼讃」谷崎潤一郎、「変な音」夏目漱石、「恋と神様」江戸川乱歩、「余が言文一致の由来」二葉亭四迷、「日本の小僧」三遊亭円朝、「柿の実」林芙美子、「亡弟」中原中也、 「佐竹の原へ大仏を拵えたはなし」高村光雲、「大仏の末路のあわれなはなし」高村光雲、「ピアノ」芥川龍之介、「人の首」高村光太郎、「好き友」佐藤春夫、「子猫」寺田寅彦、「太陽の言葉」島崎藤村、「不良少年とキリスト」坂口安吾


光雲の2篇は、ともに昭和4年(1929)刊行の『光雲懐古談』に載ったもの。田村松魚による談話筆記です。内容的には、若き日の光雲が、悪友や実兄達と、明治22年(1889)、「佐竹っ原」と呼ばれていた現在の新御徒町あたりに、見せ物小屋を兼ねた張りぼての大仏を作った話。くわしくはこちら

光太郎の「人の首」は、昭和2年(1927)の雑誌『不同調』に掲載されたエッセイで、肖像彫刻をいろいろ手がけた経験から、人の首の魅力を語ったものです。


光太郎、光雲の作品、こういったアンソロジーに採録していただき、ありがたく存じます。それだけの魅力があると評価していただいているということでしょうが、まさしくその通りです。

光雲の談話筆記は、『光雲懐古談』以外にも、光雲存命中のいろいろな書籍等に断片的に収録されていますが、軽妙な語り口と、舌を巻くような確かな記憶力、豊富な話題で、面白いものばかりです。時代作家の子母澤寛は、新聞記者時代に光雲の談話筆記を採って『東京日日新聞』に載せ、絶賛しました。代表作『父子鷹』あたりには、光雲の語った江戸時代の様子が反映されているそうです。宴席では、その話芸の面白さから、芸妓衆が光雲のそばにばかり寄っていき、美術学校の同僚連は、「光雲先生とは呑みたくない」と言ったとか言わないとか(笑)。

光太郎のエッセイは、文体やら話の運び方やら、エッセイのお手本といえるようなものです。どうも、話芸に通じていた光雲の影響も無視できないような気がします。

今後とも、こういったアンソロジーへの採録が続くことを希望します。


【折々のことば・光太郎】

開拓の精神を失ふ時、 人類は腐り、 開拓の精神を持つ時、 人類は生きる。 精神の熟土に活を与へるもの、 開拓の外にない。

詩「開拓に寄す」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳

盛岡市で行われた岩手県開拓五周年記念開拓祭に寄せた詩の一節です。

昭和51年(1976)には、花巻市太田の旧山口小学校向かいに、この一節を刻んだ「太田開拓三十周年記念」碑が除幕されました。

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