ちょっと変わった企画展です。
涯テノ詩聲(ハテノウタゴエ )詩人 吉増剛造展
期日 : 2017年11月3日(金・祝)~12月24日(日)会場 : 足利市立美術館 栃木県足利市通2丁目14-7
時間 : AM10:00~PM6:00
料金 : 一般700(560)円/高校・大学生500(400)円/中学生以下無料
( )内団体料金
( )内団体料金
11月23日(祝・木)は無料
第3日曜日「家庭の日」(11/19、12/17)は中学生以下のお子さま同伴ご家族無料
吉増剛造(よします・ごうぞう 1939- )は、1960年代から現在にいたるまで、日本の現代詩をリードし続けてきました。その活動は、詩をはじめとすることばの領域にとどまらず、写真や映像、造形など多岐に広がり、私たちを魅了し続けています。
常にことばの限界を押し広げてきた吉増の詩は、日本各地、世界各国をめぐり、古今東西、有名無名の人々との交感を重ねる中で綴られてきました。本展では、半世紀以上におよぶ活動の中から、各時代の代表的な詩集を柱とし、詩や写真をはじめとする吉増の作品群に加えて、関連するさまざまな表現者の作品や資料と共に展示します。
現代のみならず、古代の営みにまで遡って様々な対象をとらえ、そこからかつてないビジョンを生み出し続ける吉増の視線、声、手は、日常を超えた世界への扉を私たちの前に開くでしょう。
常にことばの限界を押し広げてきた吉増の詩は、日本各地、世界各国をめぐり、古今東西、有名無名の人々との交感を重ねる中で綴られてきました。本展では、半世紀以上におよぶ活動の中から、各時代の代表的な詩集を柱とし、詩や写真をはじめとする吉増の作品群に加えて、関連するさまざまな表現者の作品や資料と共に展示します。
現代のみならず、古代の営みにまで遡って様々な対象をとらえ、そこからかつてないビジョンを生み出し続ける吉増の視線、声、手は、日常を超えた世界への扉を私たちの前に開くでしょう。
1.詩集の彼方へ
吉増剛造は、1964年に第一詩集『出発』(新芸術社)を刊行して以来、現在まで20冊あまりの詩集を含む、70冊を超える著作を発表してきました。その軌跡を辿ることで、吉増が現代詩の枠にととまらず、文学の限界を押し広げ、新たな言葉の可能性を表現し続けていることが明らかになるでしょう。ここでは、半世紀におよぶ詩作の中から、代表的な10冊の詩集を時代ごとに選び、吉増の活動を振り返りながら、各時代で関わりある人々の作品や資料をあわせて紹介します。
吉増剛造は、1964年に第一詩集『出発』(新芸術社)を刊行して以来、現在まで20冊あまりの詩集を含む、70冊を超える著作を発表してきました。その軌跡を辿ることで、吉増が現代詩の枠にととまらず、文学の限界を押し広げ、新たな言葉の可能性を表現し続けていることが明らかになるでしょう。ここでは、半世紀におよぶ詩作の中から、代表的な10冊の詩集を時代ごとに選び、吉増の活動を振り返りながら、各時代で関わりある人々の作品や資料をあわせて紹介します。
2.写真を旅する
詩人として出発した吉増剛造は、その活動の初期から数多くの写真を撮影し、それらは詩作にも影響を与えています。国内外の様々な場所で撮られたこれらの写真は、1970-80年代よりしばしば自著の中でも使用され、1990年代以降はギャラリーなどでの発表が始まりました。さらに、現在にいたるまで、吉増独自の多重露光写真を中心に、国内外各地で精力的に写真展が開催され、3冊の写真集が刊行されています。写真家としての吉増も、その活動を辿る中で重要なものの一つです。
3.響かせる手
現代の詩人の中で、吉増剛造ほど、手で言葉を記すという行為を深めてきた者はいないでしょう。豊かな色彩と文字で記された吉増の原稿は、直筆原稿のイメージを越えて見るものを魅了します。近年では、きわめて細やかな文字が記された上からさらにインクなどで彩られ、絵画的ともいえる表現へと発展し、そこからは、書家としての吉増剛造の姿が新たに見えてくるでしょう。ここでは、現在の吉増の作品のほか、吉増が言及してきた様々な表現者、書き手の原稿、書などの作品をあわせて紹介します。
現代の詩人の中で、吉増剛造ほど、手で言葉を記すという行為を深めてきた者はいないでしょう。豊かな色彩と文字で記された吉増の原稿は、直筆原稿のイメージを越えて見るものを魅了します。近年では、きわめて細やかな文字が記された上からさらにインクなどで彩られ、絵画的ともいえる表現へと発展し、そこからは、書家としての吉増剛造の姿が新たに見えてくるでしょう。ここでは、現在の吉増の作品のほか、吉増が言及してきた様々な表現者、書き手の原稿、書などの作品をあわせて紹介します。
出品作家:吉増剛造/赤瀬川原平/芥川龍之介/荒木経惟/石川啄木/浦上玉堂/折口信夫/加納光於/川合小梅/北村透谷/島尾敏雄 /島尾ミホ/ダイアン・アーバス/高村光太郎/瀧口修造/東松照明/中上健次/中西夏之/中平卓馬 /奈良原一高/西脇順三郎/萩原朔太郎/柳田國男/吉本隆明/松尾芭蕉/南方熊楠/森山大道/与謝蕪村/良寛/若林奮
「1.詩集の彼方へ」で、「各時代で関わりある人々の作品や資料をあわせて紹介」とあり、光太郎ブロンズの代表作「手」(大正7年=1918)が展示されます。 吉増氏には、第二詩集『黄金詩篇』(昭和45年=1970)に収められた「高村光太郎によびかける詩」という長詩があるので、そのためでしょう。

台東区立朝倉彫塑館さんの所蔵で、3点しか現存が確認できていない、大正期の鋳造のうちの一つです。台座の木彫部分も、光太郎が彫ったものです。
今年はじめに小平市平櫛田中彫刻美術館さんで開催された特別展「ロダン没後100年 ロダンと近代日本彫刻」、一昨年に武蔵野美術大学美術館さんで開催された「近代日本彫刻展(A Study of Modern Japanese Sculpture)」などにも展示されています。
ちなみに吉増氏、評論でも光太郎に触れて下さっています。昭和54年(1979)、河出書房新社さん刊行の『文芸読本 高村光太郎』所収の「高村光太郎の詩の文体」。昭和48年(1973)のご執筆だそうで、初出は他の雑誌なのでは、と思われます。


余談ですが、同書は、当方学生時代の講義のテキストでした。
お近くの方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
世界の機構の万華鏡は 転々として偶然の連鎖のやうでゐて しかも力学の必然を持つてゐる。 人力に基いて人力を超えてゐる。
詩「偶作」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳
所詮人類は、お釈迦様の手のひらの上で暴れる孫悟空のようなもの、ということでしょうか。
晩年の光太郎詩には、この種の「諦観」が見て取れます。ただ、それがニヒリズムや無力感に結びつかず、「それでもやれることをやろう」といった建設的な方向にベクトルが向いていた点は、高く評価されて然るべきだと思います。