十和田湖でチラシをゲットして参りました。

奥入瀬渓流エコツーリズム市民のつどい

期   日 : 2017年10月27日(金)
会   場 : 十和田市民文化センター 青森県十和田市西三番町2-1
時   間 : 13:00~
料   金 : 無料
問い合わせ : ℡ 0176‐22‐5200

第1部 講演 元外務大臣 田中真紀子氏 「神秘の奥入瀬渓流に魅せられて」
第2部 コンサート コールアゼリア(十和田市) 「湖畔の乙女」「出逢いを求めて」「奥入瀬大滝の歌」「奥入瀬」

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第2部で、地元十和田市の合唱団「コールアゼリア」さんがご出演、ご当地ソングを披露なさいます。

「湖畔の乙女」は、作詞・佐藤春夫。光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」へのオマージュとして作られました。作曲は県立三本木高校の教諭だった長谷川芳美。同校生徒によって、乙女の像除幕式(昭和28年=1953)の際に披露されました。

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昭和39年(1964)には、本間千代子さんの歌唱でコロムビアレコードからリリースされ、ヒットしました。地元のバスガイドさん達が必ず歌ったり、今回演奏されるコールアゼリアさんがレパートリーにされたりして、歌い継がれてきました。


先日開催された当方の講演会「知っておきたい! 乙女の像ものがたり~秘められた光太郎の思い~」でも、最後に会場の皆さんで大合唱。講演でパワーポイントを使いましたので、その流れでカラオケ風のスライドを作りました。

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今回演奏される「奥入瀬大滝の歌」も、佐藤春夫・長谷川芳美コンビの作です。

「出逢いを求めて」は、昭和61年(1986)、芹洋子さんの歌でリリースされました。サブタイトルが「十和田湖へ」。こちらもご当地ソングで、乙女の像も詠み込まれています。当方、平成8年(1996)のシングルCDを持っています。

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昭和61年(1986)版のアナログレコードは、十和田国立公園50周年記念、平成8年(1996)版のCDは同60周年記念。どちらも青森県の肝煎りのようです。当方の持っているCDの題字は、当時の青森県知事・木村守男氏の揮毫です。

現在の三村知事も多方面でご活躍中ですが、乙女の像の発願も、当時の知事・津島文治。太宰治の実兄です。そうした観光PRに力を入れる伝統のようなものがあるのでしょうか。良いことだと思われます。

ちなみにアナログレコードには、ジャケットに乙女の像をあしらった青森観光連盟発行の特別盤があるそうです。B面なしの片面盤だそうで、珍しいものですね。

こうしたご当地ソング、今後とも歌い継がれていって欲しいものです。


日曜日には、「湖畔の乙女」関連のテレビ番組放映があります。

暦を歩く #140「乙女の像」(青森県十和田湖)

2017年10月29日(日)  20時54分~21時00分

日本には四季がある、歌がある−。 草木や花々、川の流れや空の色、多様な生きものたち、人々の日々の暮らしや祭り…。 私たち日本人は、一年の時の移ろい=「暦」を四季折々の「歌」に織り込み、この国ならではの感性を磨いてきました。私たちが愛唱してきた「歌」を通して、日本の風景を見つめ直すとともに、それぞれの歌に息づく日本人の原風景を、一篇の詩のような美しい映像でお届けします。

「あはれ いみじき 湖畔の乙女 ふたりむかひて 何をか語る」
紅葉の名所として知られる、青森県の十和田湖。湖畔には、二人の乙女が向かい合った像が佇んでいます。昭和28年の秋にお披露目されたこの像は、高村光太郎の最後の彫刻作品です。この像の制作を支えた佐藤春夫は、「湖畔の乙女」という詩を紡ぎました。この歌は、後に本間千代子が歌い、全国に知られるようになりました。

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5分間番組ですが、毎回、全国各地の美しい風景に乗せて、いい作りになっています。今年1月放映第99回でも、智恵子の故郷・福島二本松ロケで、「智恵子抄」に触れて下さいました。

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ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

大きくバトンを宙にゑがいて このニツポンのもろもろの美を つよくメイジヤアの積極調にたて直せ。

詩「あいさつ」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

ニツポンのマイナア調を暫くすてよ。」で始まるこの詩、わびさびに代表される日本人の気質―それはそれで奥ゆかしいものではあるけれども―を見直し、世界に通用する「積極調」に立て直せ、と述べています。

第二次大戦による全世界の悲惨な被害、それも復興しないうちに緊張が高まる東西冷戦。その中で敗戦国ニッポンの行く末が案じられています。