一昨日行われた十和田市立三本木小学校地区安全・安心協働活動協議会さん主催の講演会、「知っておきたい! 乙女の像ものがたり~秘められた光太郎の思い~」講師を仰せつかり、1泊2日で青森に行って参りました。レポートいたします。

早い時は自宅兼事務所最寄り駅を午前4時台に出る始発列車に乗るのですが、一昨日は講演会が夜の開催でしたので、ゆっくり出かけました。

東北新幹線で八戸駅に到着したのが午後2時過ぎ。十和田市役所観光推進課にお勤めで、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会員でもあられる山本様がお迎えに来て下さり、翌日まで運転役を務めて下さいまして、非情に助かりました。

まず向かったのは、八戸クリニック街かどミュージアムさん。

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こちらで開催中の「5周年記念秋期展旅と名所――広重から北東北の新版画・鳥瞰図まで」を拝見。広重の浮世絵、川瀬巴水(光太郎と同じ明治16年=1883生まれです)の新版画、そして吉田初三郎の鳥瞰図などで、北東北の風景を扱ったものがメインでした。

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その中で、やはり地元に関わるお宝ということで、光太郎が「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のために習作として作った手を鋳造したもの、それから同じく「乙女の像」の中型試作の首の部分だけが展示されていました。

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「手の習作」は3月に千葉県立美術館さんで拝見して約半年ぶり、中型試作の首だけ、というのは初めて拝見しました。どういう経緯で首だけの鋳造が存在するのか、当方にも分かりません。

これらすべて、八戸クリニックさんのご先代の個人コレクションから始まったそうで、地元に関わるお宝ということでコツコツ集められたとのこと。頭が下がります。


その後、一路、十和田市街へ。

一泊お世話になる十和田シティホテルさんにチェックイン、不要な荷物を置いていきました。

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講演会のポスターを掲示して下さっていました。

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画像右は、階段に飾られていた色紙。よくある、ここに宿泊した芸能人のサインがずらっと並んでいる中の1枚です。清水邦夫氏作・演出の舞台「哄笑―智恵子、ゼームス坂病院にて―」で光太郎を演じられた小林勝也さんのお名前が真っ先に目に入り、「あれっ」と思ってよく見てみました。すると、「哄笑」の十和田公演の際のもので、驚きました。帰ってから調べましたところ、「哄笑」、たしかに平成5年(1993)に十和田市公演がありました。

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ちなみに小林さん、昨年のNHKさんの大河ドラマ「真田丸」では、前田利家役で存在感を放たれていました。智恵子役の松本典子さんは平成26年(2014)にご逝去。この方々の泊まった宿に泊まるかと思うと、感慨深いものがありました。


さらに、灌漑事業などで十和田の開発に功績のあった、新渡戸三代の銅像を拝見。

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こちらは野辺地潮出身の彫刻家、小坂圭二の作品です。小坂は「乙女の像」制作に際し、光太郎の助手を務めた人物です。

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そんなこんなで、講演会場の東公民館さんに到着。心配していた天気も、開会まではもちました(やはり途中で雨になりましたが)。それから、もう一つ心配していたお客さんの入りも、定員200名には届きませんでしたが、130ほどはお集まり下さったとのことで、ありがたいかぎりでした。

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午後6時、開会。主催の三本木小学校地区安全・安心協働活動協議会佐藤やえさんのご挨拶。

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この日がちょうど、十和田湖畔に「乙女の像」が除幕された日ということで、乙女像64回目の誕生祝い(笑)。右に座られている方は光太郎だそうで(笑)。

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その後、当方の講演に入りました。パワーポイントでスライドショーを展開しつつ、前半は光太郎の生涯をダイジェストで、後半は「乙女の像」について、約2時間でした。聴きにいらして下さった十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんの方が、レポートして下さっています。過分なお褒めの言葉に恐縮です(汗)。そちらから画像を拝借。

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無事終了後、三本木小学校地区安全・安心協働活動協議会の皆さん、十和田市役所の皆さんなどと打ち上げ。巨大なホタテなど美味しい青森の海産物をいただき、大満足でした。

翌日は十和田湖方面へ。明日、レポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

野放しの一人民には違ひないこの微生物の 太田村字山口のみじめな巣に 空風火水が今日は荒れる。 嵐に四元は解放せられ、 嵐はおれを四元にかへす。
詩「山荒れる」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

野放しの一人民には違ひないこの微生物」は、光太郎。大宇宙の中のちっぽけな存在に過ぎない、という意味です。

空風火水」の「四元」は、のちに「乙女の像」完成後に像を謳った「十和田湖畔の裸像に与ふ」(昭和28年=1953)でも、「すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで/天然四元の平手打ちをまとにうける」として使われます。

通常は「地水火風空」の五大元素として、仏教にもつながるインド哲学に出てくるものですが、なぜか「四元」。このあたり、少し調べてみます。