一昨日、二本松市各所で展開中の「重陽の芸術祭2017」の一環として、智恵子の生家を会場に行われた、女優の一色采子さんらによる「智恵子抄」朗読とダンスのパフォーマンス「智恵子・レモン忌 あいのうた」を拝見してきました。そちらが夕方の開催だったため、その前に光太郎智恵子ゆかりの場所、不動湯温泉に行ってみました。正確には二本松ではなく福島市になりますが、安達太良山の山麓ということで。

昭和8年(1933)夏、心の病がのっぴきならぬところまで進んでしまった智恵子の恢復を願い、光太郎は智恵子を東北から北関東の湯治旅行に連れ出します。

出発の前日には本郷区役所に、大正3年(1914)の結婚披露以来無視し続けてきた婚姻届を提出。病む智恵子の今後の生活の安泰を保証するための決断でした。光太郎自身も既に結核を発症していました。

0028月25日は、智恵子の祖父母・父らが眠る長沼家の菩提寺、満福寺で墓参。その後、裏磐梯川上温泉、宮城蔵王山中の青根温泉、福島に戻って、奥土湯にある不動湯温泉、そして確認できている限り最後は栃木の塩原温泉に逗留し、帰京しています。光太郎の願いもむなしく、帰京した時には、智恵子の病状はいっそう進んでしまっていたそうです。

右の画像は、塩原温泉で撮影されたもの。現在確認されている智恵子最後の写真です。

さて、不動湯温泉。

永らく光太郎智恵子が泊まった建物(大正10年=1921建築)が残っていました。画像は平成14年(2002)、テレビ朝日さんで放映された「文豪が愛した北の宿 旬の料理に温泉の旅!▽名作をポケットに晩秋の東北を歩く▽いやしの湯」より。レポーターはシンガーソングライター・みなみらんぼうさんです。

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建物だけでなく、宿帳も残っていました。

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しかし、平成25年(2013)8月29日、この宿から出火、全焼してしまいました。半月後、現地に行ってみまして、その際のレポートがこちら。ショックでした。

その後、日帰り入浴施設として再開したというので、今回、行ってみようと思い立った次第です。ホームページもリニューアルされ、瀟洒な施設ができているのだろう、と勝手に思い込んでいました。

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東北自動車道で二本松ICを通り過ぎ、福島松川PAに併設されたスマートインターチェンジで下車、安達太良山腹へ分け入りました。土湯温泉郷から記憶を頼りに間違いながらも林道を進みます。何せ、カーナビには道の存在すら表示されないところです。久々に愛車の四駆機能をオンにしました。

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すると、途中で林道が封鎖されています。何と、不動湯温泉、営業は基本的に土日祝日のみとのこと。行った日は木曜日でした。帰ってから確認したところ、ホームページにもちゃんと書いてありましたが、そこまで読んでいませんでした。てっきり瀟洒な施設が出来ているものだと思い込んでいたもので、まさかそんなこととは思ってもいませんでした。

それでも外観だけでも観ておこうと思い、車を乗り捨てて、歩きました。歩くこと15分ほどで、入り口に到着。

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元の建物があった場所は、焼け跡のままで、瀟洒な建物などありません。

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ここに至って、ようやく自分の間抜けな勘違いに気づきました。

元々あった露天風呂が、焼けた建物よりずっと下に位置し、長い階段を下りていく構造だったため焼け残り、そちらを利用して、日帰り温泉施設としているのです。

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この階段を下りていった先に、露天風呂があるというわけです。

再びみなみらんぼうさんの番組から。

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少し離れた場所に、管理事務所的な建物がありました。営業日にはここで受付をしたり、入浴後の休憩をしたり、というわけです。

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いずれまた、今度は間違いなく営業している時に行ってみようと思いました。

せっかくタオルやら石鹸やらの入浴セットを持っていきましたし、一色采子さんの「智恵子・レモン忌 あいのうた」までにはまだ間もありましたので、同じ安達太良山麓の岳温泉に向かいました。

こちらの共同浴場は普通に営業中。

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小一時間、アップダウンの激しい林道を歩いた疲れを癒しました。

その後、智恵子生家へ。昨日のレポートに戻ります。併せてご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

岩手の人沈深牛の如し。 両角の間に天球をいただいて立つ かの古代エジプトの石牛に似たり。 地を往きて走らず、 企てて草卒ならず、 つひにその成すべきを成す。

詩「岩手の人」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

「草卒」は、ここでは「忙しくて落ち着かない」または「軽はずみ」といった意味。「牛の如し」は鈍重で融通が利かないというマイナスの意味ではなく、どっしり落ち着いているというほめ言葉です。