光太郎の父・高村光雲の作品が展示される企画展です。

驚異の超絶技巧! —明治工芸から現代アートへ—

期 日 : 2017年9月16日(土)~12月3日(日) 
会 場 : 三井記念美術館 東京都中央区日本橋室町2-1-1 三井本館7F
時 間 : 10時から17時まで 毎週金曜日及び9/30は19時まで
料 金 : 一般 1,300円(1,100円) 高校生及び学生 800円(700円) 中学生以下無料
       ( )内団体料金
休館日 : 月曜日(9/18,10/9は開館) 10/10(火)

2014年に開催し大好評を博した「超絶技巧!明治工芸の粋」展の第2弾。今回は七宝、金工、牙彫、木彫、陶磁などの明治工芸と、現代アートの超絶技巧がコラボレーション。明治工芸を産み出した工人たちのDNAを受け継ぎつつ、プラスαの機知を加えた現代作家の作品を紹介します。
明治工芸の工人たちの超人的な技とセンスは、失われて久しいロストテクノロジーだと誰もが思っていました。しかし近年、明治工芸に肉迫する作品を手がける現代作家たちが登場してきています。
本展では、超絶技巧による明治工芸と、それに匹敵する現代アートが対決します。明治工芸に劣らぬ、現代アートのクオリティに驚くこと間違いなしです!

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紹介文にあるとおり、平成26年(2014)に開催された「超絶技巧!明治工芸の粋―村田コレクション一挙公開―」展の第二弾的な展覧会です。

前回も光雲の木彫が展示されましたが、今回も出ます。問い合わせたところ、一点、個人蔵の「布袋像」だそうです。

こちらは平成14年(2002)に、茨城県立近代美術館他を巡回した「高村光雲とその時代展」図録に掲載された「布袋像」。

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これとは別物だと思われますが、同一の図題で複数の作例があるのは珍しいことではありませんので、ほぼこういうものではないかと考えていいでしょう。あるいは異なるポージングかもしれませんが。

今回は、<受け継がれる超絶技巧のDNA ─ 明治工芸から現代アートへ> ということで、現代アート作家の皆さんの作品も多数展示され、美術工芸史的な部分での俯瞰を試みるようです。関連行事も充実していますね。

ぜひ足をお運びください。

さらに、今のところの予定では、来年以降再来年にかけて、岐阜県現代陶芸美術館さん、山口県立美術館さん、富山県水墨美術館さん、あべのハルカス美術館さんに巡回するとのことです。そちらもまた近くなりましたらご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

一旦まはりはじめると 歯車全部はいやでも動く。

連作詩「暗愚小伝」中の「協力会議」より 昭和22年(1947) 光太郎65歳

戦争責任を中心に、それまでの65年の人生を総括する目的で書かれた連作詩「暗愚小伝」。戦後になって戦時中の大政翼賛を反省し、活字にした文学者がほとんどいなかった中、光太郎の真摯な態度は評価されています。しかし、ある種「言い訳じみている」という評もあります。今回取り上げた詩句などもそうかもしれません。

タイトルの「協力会議」とは昭和15年(1940)に近衛文麿らが中心となり結成された大政翼賛会の中に置かれた下情上通を目的とした機関です。大政翼賛会内に地方組織として道府県・六大都市・郡・市区町村に各支部が置かれ、各段階の支部にそれぞれ協力会議が付置されて、さらに地方代表、各界代表による「中央協力会議」が持たれました。
 
 光太郎は劇作家・岸田国士のすすめで中央協力会議議員となり、昭和15年(1940)の臨時協力会議に出席。この時は一度限りと考えていたようですが、翌16年(1941)の第一回、第二回の会議にも出席しています(同17年=1942の第三回以降は委員を辞退)。第二回の会議はちょうど真珠湾攻撃の日と重なり、会議は途中で切り上げられ、参会者全員で皇居まで行進、「万歳」を叫んだそうです。

自分では歯車を動かす方、という意識はなく、動かされる方、と捉えていた光太郎ですが、その点では他の多くの文学者同様、「あの時点ではそうなるよりほかなかった」的な意識が垣間見えます。ただ、他の文学者たちと決定的に違うのは、花巻郊外太田村の山小屋で、自虐に等しい蟄居生活7年も続け、反省を態度で表したこと。ここにこそ、光太郎の真骨頂があるような気がします。