今日の『朝日新聞』さん朝刊に、俳優の土屋嘉男さんの訃報が出ていました。

土屋嘉男さん死去 「七人の侍」など出演

 「七人の侍」など多くの黒澤映画で脇を固めた俳優の土屋嘉男(つちや・よしお)さんが、2月8日に肺がんで亡くなっていたことがわかった。89歳だった。
 俳優座養成所を経て東宝入社。54年、黒澤明監督の「七人の侍」で、愛妻を野武士に奪われて苦しむ若い農民の利吉を演じて注目を集めた。以降、55年の「生きものの記録」から65年の「赤ひげ」まで、黒澤映画の脇役として欠かせない存在となった。
 東宝では、ほかに「ゴジラの逆襲」「ガス人間第一号」などの特撮もの、「黒い画集 ある遭難」「乱れ雲」など、幅広い作品に出演した。

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土屋さん、若き日にやはり東宝の、原節子さん主演「智恵子抄」(昭和32年=1957)にも出演なさっていました。光太郎の若い友人である詩人の「小山」という役で、モデルは尾崎喜八と草野心平でした。

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小山の登場シーンは2回(シナリオではもう1回ありましたが、映画本編では2回でした)。

まずは、大正末から昭和初め頃という設定で、森啓子さん(のち森今日子と改名)演じる妻と、生まれたばかりの女の子を連れて、光太郎智恵子の暮らすアトリエを訪ねるシーン。下の画像はスチール写真です。

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実際の映画から。

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そろそろ精神的に不安定になりつつあった、原節子さん演じる智恵子が、赤ちゃんをまるで引ったくるように自室に連れて行ってしまうという流れでした。

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尾崎喜八がよく妻子(妻は光太郎の親友・水野葉舟の娘である実子)を連れて光太郎アトリエを訪問しており、お嬢さんの榮子さんは昨年までご健在で、智恵子に抱っこされた思い出をうかがったことがあります。映画ではそのあたりを脚色したようです。

それから、草野心平とのエピソードも使われていました。智恵子がゼームス坂病院に入院したあと、という設定で、山村聰さん演じる光太郎が「小山」を場末の酒場に呼び出し、くだをまくシーンです。

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どういった事情があったのか、土屋さん、訃報は今日の新聞に載っていましたが、亡くなったのは2月だそうです。ちなみに昨日は、原節子さんのご命日で、今年は三回忌となり、不思議なご縁を感じます。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

いつのことだか忘れたが、 私と話すつもりで来た啄木も、 彫刻一途のお坊ちやんの世間見ずに すつかりあきらめて帰つていつた。 日露戦争の勝敗よりも ロヂンとかいふ人の事が知りたかつた。

連作詩「暗愚小伝」中の「彫刻一途」より 昭和22年(1947) 光太郎65歳

「ロヂン」は「ロダン(Rodin)」の英語風の読み方です。東京美術学校に入学後、ロダンの名もまだ日本では知られていなかった頃、海外の雑誌で作品の写真を見て、いち早くその新しい美に打たれた光太郎。社会主義にもかぶれていた啄木が訪ねてきても、話が噛み合わなかったということです。

忠君愛国の精神で育て上げられてきた光太郎、遅まきながらの自我の目覚めは、ロダンとともにやってきました。