過日ご紹介した、北海道の小樽芸術村似鳥美術館さんがオープンしました。

先月末の内覧会の報道。 まずは『朝日新聞』さんの北海道版からです。

北海道)小樽芸術村、9月1日にグランドオープン

 小樽市色内1丁目の「小樽芸術村」が9月1日にグランドオープンする。四つの施設は市指定有形文化財と歴史的建造物を活用したもので、旧北海道拓殖銀行小樽支店を改修した「似鳥美術館」などが30日、報道陣に公開された。
 似鳥美術館は1923年の建築で、地上4階・地下1階建て。プロレタリア作家の小林多喜二がここに勤めていたことでも知られる。2~4階に岸田劉生、横山大観、ルノワール、ユトリロなどの絵画約110点のほか、高村光雲らの木彫14点、棟方志功の作品5点を展示する。地下1階は、ガラス工芸品や照明器具など約160点が並ぶグラスギャラリー。6本の円柱が並ぶ1階の吹き抜けのホールはミュージアムショップとなった。
 芸術村は昨年7月、「ステンドグラス美術館」と「アールヌーヴォー館」が先行オープン。今年8月には「旧三井銀行小樽支店」を復元し、歴史的建造物として一般公開を始めた。観覧料は全館共通で一般1900円、学生1400円、中学生以下は無料。ミュージアムショップは入場無料。(佐久間泰雄)


続いて、UHB 北海道文化放送さんのニュースから。 

小樽芸術村 9月1日グランドオープンへ 「似鳥美術館」お披露目 北海道小樽市

 北海道小樽市の歴史的建造物を利用した小樽芸術村。「似鳥美術館」オープンでいよいよ完成です。9月1日のグランドオープンを前に8月30日、お披露目されました。
 小樽芸術村は、2016年オープンしたステンドグラス美術館など、2つの施設に加え8月、「旧三井銀行小樽支店」がオープンしていて、今回の「似鳥美術館」で全面オープンとなります。
  「似鳥美術館」は1923年に建てられた、旧北海道拓殖銀行小樽支店を修復したもので、アールヌーヴォー、アールデコグラスや国内外の絵画、彫刻などが展示されています。
 建物自体も小樽市指定有形文化財で、吹き抜けに立つ6本の円柱も特徴です。
 小樽芸術村は9月1日、グランドオープンで、今後注目の施設となりそうです。
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そして一昨日にはオープン。『北海道新聞』さんから。 

小樽芸術村が全面開業 似鳥美術館オープン

【小樽】家具・インテリア製造小売り最大手のニトリ(札幌)が小樽市中心部で歴史的建造物を使って整備を進めてきた「小樽芸術村」が1日に全面開業し、記念式典が行われた。ニトリホールディングス(札幌)の似鳥昭雄会長や高橋はるみ知事らが新たな観光・文化拠点の誕生を祝った。
 芸術村の四つ目の施設となる「似鳥美術館」が1日にオープン。旧拓銀小樽支店(1923年建築)を改修し、美術品約280点を収蔵する。式典で高橋知事は「岸田劉生ら大家の作品を展示し、小樽や北海道の魅力発信に貢献していただけると思う」とあいさつした。
 開館時間は4館とも午前9時半~午後5時(11~4月は午前10時~午後4時)。入館料は3館共通が一般1900円、学生1400円など。中学生以下無料。

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『朝日新聞』さんの北海道版には、似鳥会長のインタビューも。

北海道)小樽芸術村が全面開業 ニトリ会長が抱負語る

 ニトリホールディングスが小樽市で整備してきた小樽芸術村(色内1丁目)が1日、「似鳥美術館」のオープンで全面開業した。似鳥昭雄会長が朝日新聞の取材に答え、「小樽芸術村を歴史と芸術が響き合う場所として世界に発信していきたい」と抱負を語り、年間20万人の来館者を目標に、小樽や道内の観光振興に貢献したい意向を示した。
 芸術村は小樽運河近くの1920~30年代に建てられた4棟で構成。旧三井銀行小樽支店など「商都」として栄えた時代を象徴する銀行などの建物を活用した。美術館は芸術村の中核施設で、旧北海道拓殖銀行小樽支店を改修した。地上4階、地下1階建て。2~4階に岸田劉生やピカソなどの絵画110点やガラス工芸品160点など、似鳥会長が収集してきたものを含めて展示している。
 似鳥会長は小樽を選んだ理由を「明治から昭和にかけて北海道の経済発展の礎となった土地。当時をしのばせる歴史的建造物が多く、同時代の美術、工芸品を展示することで新たな文化創造や発信ができる。北海道の風景や食に新しい感動をプラスしたい」と述べた。
 小樽には年間790万人の観光客が訪れており、「1990年代の小樽観光を牽引(けんいん)したのが閉館した石原裕次郎記念館ならば、バトンタッチして小樽芸術村が小樽観光のお役にたてたらうれしい」と話した。
 ニトリは1967年に「似鳥家具店」として札幌で創業し、今年で50年。ニトリ北海道応援基金や夕張、小樽への寄付などのメセナ(企業の社会貢献)にも取り組んできた。「60歳まで努力して余裕ができたら社会貢献を考えていた。業績のいい企業がメセナを行うのは欧米では当たり前のこと。そういう文化が根付けば豊かな国になる」と述べた。
     ◇
 ニトリホールディングスの似鳥昭雄会長が1日、小樽市で朝日新聞のインタビューに答えた。主な一問一答は次の通り。
 ――創業の札幌でなく、小樽で小樽芸術村を開設したのはなぜですか。
 「基本は現代の建物ではなく、昔からの建物を使って美術館をしたかったんです。小樽は明治から昭和にかけて北海道の経済発展の礎となった土地。当時をしのばせる歴史的建造物が多く、同時代の美術、工芸品を展示することで新たな文化創造や発信ができる。札幌と小樽は近いからやろうと決意したのが6、7年前かな。旧三井銀行小樽支店は7、8年前から見ていました。運河前の旧荒田商会と旧高橋倉庫が譲っていただけるということになり、そのうち、似鳥美術館になったここ(旧北海道拓殖銀行小樽支店)もうまくいきまして、今日に至ったんです」
 ――小樽がかつて物流・金融の要所の街だったということも関係ありますか。
 「そうです。昔、私も父親に連れてこられて、小樽によく来ました。こちらが商業の地ということで、こちらの方が栄えていたんですね。札幌よりもね。だから、日銀はこちらにありましたよね。問屋街で、よく父親が『安く買うなら小樽だ』ということで、小学校の時に連れて行ってもらっていたんです」
 ――今回、四つの歴史的建造物を活用して小樽芸術村ができています。旧三井銀行は展示館というものではなく、銀行そのものを保存していますね。
 「ああいう建物は日本では珍しい。日本を代表する建物じゃないかなと。あそこにペタペタ絵を飾っちゃうと、建物が薄れちゃう。だから建物だけを見せていく」
 ――似鳥美術館の展示品には日本画、洋画、木彫、ガラス工芸と多岐にわたっています。似鳥会長のお気に入りのものは。
 「みんな好きなんです。きれいなもの、美しいものにほれてしまうと。そういう傾向があります。やはり、ステンドグラスなど、日本になかったものが特に興味がありましたね。日本全国各地をみましても、ああいうものは少ないものですから、自分のところで美術館をつくりたいなあと」
 「昔から小樽は、ガラスの街で有名なところですよね。いま、ガラス工芸は少なくなっているのですが、本当のガラスでできたもの、世界の名品をここに見てもらうことが、小樽にぴったりではないかと」
 ――小樽には年間790万人の観光客が訪れます。小樽芸術村の役割をどう考えますか。
 「歴史と芸術が響き合う場所として世界に発信していきたい。北海道の風景や食に新しい感動をプラスしていきたい」
 ――観光名所だった石原裕次郎記念館が閉館しました。
 「1990年代の小樽観光を牽引(けんいん)してきたのが石原裕次郎記念館ならば、バトンタッチして小樽芸術村が小樽観光を引っ張って、お役に立てればうれしい」
 ――ニトリは道内では、小樽市に1億円、夕張市に5億円などの寄付をしています。会社のメセナ(企業の社会貢献)について、どう考えていますか。
 「私が60歳まで努力して余裕ができたら、社会貢献しようと考えていました。それで、『北海道応援基金』っていうので、年1億円で出していこうと。それから植樹ですよね。夕張では桜2万本を植樹し、これも、もう10年近く経つかな。桜が少しずつ大きき成っていますよね」
 ――業績がよい企業はメセナを積極的に行うのは、欧米では当たり前だとおっしゃっていました。
 「そうそう。もうかっていても、全然、出さない企業もあるんですよね。ビジネスとして社会貢献というのが一つありますよね。既存のお客さんが増えることと、また欲しいと言われるような商品をつくることです。そのほかに、文化に関することというのは、欧米では当たり前ですし、一定の企業、豊かな企業が社会貢献することが根付けば、豊かな国になると思うんですよね。日本はまだまだ足りない」
 ――今年はニトリの創業50年。9月には国内外の店舗数が500になります。
 「500店というのは一つの区切りですね。50年、500店、(売上高)5千億円といったし、純利益も500億円を超えた。『5、5、5』というのはいいですね。こんどは『1、1、1作戦』とか。5年後に1千店、1兆円、最終利益1千億円。これはちょっと、まぁいいかな、そんなもんかな」(佐久間泰雄、鯨岡仁)
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■小樽芸術村の建物
①似鳥美術館(旧北海道拓殖銀行小樽支店)
②旧三井銀行小樽支店
③ステンドグラス美術館(旧高橋倉庫)
④小樽芸術村ミュージアムショップ(旧荒田商会)


すばらしい理念だと思います。

光雲らの木彫に目を付けて下さったのも、ありがたい限りですね。光太郎の木彫も、ここに加えていただければさらにありがたいのですが。

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ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

観自在こそ たふとけれ まなこひらきて けふみれば 此世のつねの すがたして わがみはなれず そひたまふ

詩「(観自在こそ)」全文 昭和21年(1946)頃 光太郎64歳頃


七五調四句の「今様」という様式で、題名は付されていません。そのため、昨年、このブログで1年間載せ続けました【折々の歌と句・光太郎】でもご紹介しましたが、『高村光太郎全集』では、詩の巻に入れざるを得ず、「第3巻 詩三」に収録されています。

光太郎、敬虔な仏教徒というわけではありませんでしたが、仏師だった父・光雲が手がけた観音像などを幼い頃から目の当たりにし、自身もブロンズの代表作「手」では、観音菩薩の手印・施無畏の相をモチーフにするなどしています。

戦争協力への反省から蟄居生活を送る中、仏にすがる気持ちも育まれていたかも知れません。