先週のニュースです。

まず『スポーツニッポン』さんから。

関ジャニ横山&丸山 芸術鑑賞はいかが!?

関ジャニ∞の横山裕(36)と丸山隆平(33)が30日、東京国立近代美術館で行われた「プレミアム“カルチャー”フライデー」イベントに出席した。

 プレミアムフライデーは政府などが推奨し、毎月末の金曜日に就業時間を短くしてプライベートを充実させる試み。関ジャニ∞がナビゲーターを務めている。今月は芸術鑑賞を提案しており、2人は同館所蔵の高村光太郎の「手」を鑑賞。横山は「敷居の高いイメージだったが、芸術作品を身近に感じた」と感激していた。

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『日刊スポーツ』さん。

横山裕「大人になった」丸山隆平の文化的活動に感激

 関ジャニ∞横山裕(36)と丸山隆平(33)が30日、東京・東京国立近代美術館で、プレミアムフライデーのナビゲーターとして、文化を切り口に、月末の金曜日の活用を提案する「プレミアム“カルチャー”フライデー」のPRイベントに出席した。

 普段の文化との触れあいに横山は「最近、舞台をよく見ています。勉強にもなるし、非現実的な空気感を体感すると、いい刺激をうけます」。丸山も「ミュージカルをよく見に行っています。史実をテーマにしている作品だと当時の文化を知ることができるので、はまっています」と紹介した。また、絵を購入して鑑賞しているとも。丸山の絵の話に横山は「大人になったな」と感激していた。

 イベントでは、同美術館にある高村光太郎作の「手」が披露された。丸山が「手」のポーズをまねながら「やっぱり、人の人生っていうのは、そんなに簡単なものじゃないと、体で感じてこそ、それが人生」と作品にこめられた思いを推測。横山は「すごい浅はかですけど大丈夫ですか」と丸山を心配しながらも「作品に疎い方でも簡単な楽しみ方もあるんですね」と感心していた。

 一方、イベントには文化庁長官の宮田亮平氏も出席。宮田氏は「高村光太郎ですよね。これが出てくるとは思わなかった。こんな近くで見させてもらうなんて」と興奮気味。丸山が「今ずっと我慢してたんですね」と話しかけると、宮田氏は思わず「お前たちの話、終わらないかなと」と本音をポロリ。横山は「ものすごいテンション」とたじたじになっていた。

 同所では、7月19日以降の金曜、土曜は午後9時まで開館している。丸山は「夜遅くまで楽しめるなら、仕事終わりのデートで美術館に行くというのもいいんじゃないかな」とPR。最後は、横山が「頑張るだけでなく自分にご褒美をあげて、また頑張るというきっかけにプレミアムフライデーを使ってもらえたらいい。美術品を見てよりいっそう思った」と語った。


『スポーツ報知』さん。

関ジャニ∞横山&丸山、高村光太郎の「手」に興奮

 「関ジャニ∞」の横山裕(36)と丸山隆平(33)が30日、東京・竹橋の東京国立近代美術館で「プレミアム“カルチャー”フライデー」のPRイベントに出席した。プレミアムフライデーは「月末の金曜日は仕事を早く終えて豊か・幸せにすごす」というコンセプトで今年2月から経済産業省などが提唱。2人はナビゲーターを務める。

 この日は横山と丸山の間に手の形をした彫刻が至近距離で登場。横山と丸山が何も知らずに「男の手なのかな~」「筋張っているよね」などと論じていると、関係者が「高村光太郎の『手』です」と紹介。めったに近くで見られない美術品を目の当たりにして「おお、急にすごい手に見えてきた」(横山)、「帰って調べないと」(丸山)と急にテンションが上がっていた。


一般紙では『毎日新聞』さんの東京版。

美術館へ行こう 千代田でイベントPR /東京

 プレミアムフライデー推進協議会は30日、千代田区の東京国立近代美術館で、プレミアムフライデーの活用方法として美術館巡りなどを提案するPRイベントを開催した。
 イベントには、プレミアムフライデーナビゲーターを務める関ジャニ∞の横山裕さん、丸山隆平さんが登場。同館の蔵屋美香企画課長は2人に、同館が所有する高村光太郎の彫刻「手」を例に「ポーズをまねてみることで作品が身近に感じられますよ」とアドバイスした。
 横山さんは「美術館は敷居が高かったが、プレミアムフライデーをきっかけに足を運びたい」。丸山さんは「仕事が終わってからデートに美術館に行くのもいいですね」などと語った。【遠山和彦】


テレビのニュースでも取り上げられていました。

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「プレミアムフライデー」自体は、頓珍漢な政府主導で国民の生活実態とかけ離れている、と批判の多い取り組みですが、美術館へ行こう、という呼びかけは否定されるものではありませんね。月末の金曜日に限らず、ですが。


光太郎の「手」、東京国立近代美術館さんで開催中の平成29年度第1回所蔵作品展「MOMATコレクション」で展示中です。以前にも書きましたが、大正期の鋳造であると確認できている3点のうちの一つ。台座の木彫部分も光太郎の手になるもので、有島武郎の旧蔵品です。ぜひご覧ください。


【折々のことば・光太郎】

主人は権威と俗情とを無視した。 主人は執拗な生活の復讐に抗した。 主人は黙つてやる事に慣れた。 主人はただ触目の美に生きた。 主人は何でも来いの図太い放下(はうげ)遊神の一手で通した。 主人は正直で可憐な妻を気違にした。

詩「ばけもの屋敷」より 昭和10年(1935) 光太郎53歳

大正期には、智恵子との愛の巣として高らかに「わが家(や)の屋根は高くそらを切り その下に窓が七つ 小さな出窓は朝日をうけて まつ赤にひかつて夏の霧を浴びてゐる」(「わが家」大正5年=1916)と謳われた、駒込林町のアトリエ。

長期にわたった介護の末、智恵子は南品川ゼームス坂病院に入院し、光太郎は一人暮らしです。疲れ切ってすさんだ光太郎の内面は、住居の外観、というか全体を包む空気感にも影響したようで、近所の子供達は「化け物屋敷」と呼んでいたとのことでした。

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