明日から3日間、テレビ番組でぽつりぽつりと光太郎智恵子が取り上げられます。

まずは、これまでも時折光太郎智恵子を取り上げて下さっている、NHK Eテレさんの「にほんごであそぼ」。明日と明後日の放映で「あどけない話」がラインナップに入っています。さらにそれぞれ来月に入ってからも再放送があります。

にほんごであそぼ

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。

2017年6月28日(水)・7月12日(水) NHK Eテレ 6:35~6:45   再放送 17:00~17:10  
文楽/智恵子は東京に空が無いといふ「あどけない話」高村光太郎、うなりやベベン/触らぬ神に祟り無し(ことわざ)、ひゃくにん・いっしゅの百人一首劇場/契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山…(清原元輔)、歌/浜辺の歌、五十三次ロケンロー。

2017年6月29日(木)・7月13日(木) NHK Eテレ 6:35~6:45   再放送 17:00~17:10  
玉屋鍵屋、文楽/智恵子は東京に空が無いといふ「あどけない話」高村光太郎、ヨシタケ×山陽のおよおよ/「蟹工船」小林多喜二、歌/浜辺の歌、五十三次ロケンロー。


「文楽」とありますが、同番組では、豊竹咲甫太夫さんらによる人形浄瑠璃文楽で、古今の文学作品の一節を演じるコーナーがあります。


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金曜日には、BS放送の番組で。 

武田鉄矢の昭和は輝いていた 昭和のロングセラー蚊取り線香&コカ・コーラ

2017年6月30日(金) BSジャパン  21時00分~21時54分

「激動の時代」と言われた「昭和」は、日本人が振り返りたくなる魅力にあふれています。 この番組では、昭和を象徴する「人」「モノ」「できごと」から、毎回ひとつのテーマをピックアップ。当時の映像・写真を盛り込み、「昭和」の魅力を再発掘していきます!

◆夏のシンボル「金鳥・蚊取り線香」。長い間売れ続ける商品の隠された物語。渦巻きの秘密や、記憶に残る美空ひばりさんのCMに驚きの真実があることが判明!世界初の明治の蚊取り線香も登場。 ◆夏の清涼飲料水「コカ・コーラ」アメリカ発の飲料が日本で流行した立役者は?その知られざる苦労と懐かしのCMで、昭和の若者風俗を懐古します。

司 会 武田鉄矢 須黒清華(テレビ東京アナウンサー)
ゲスト 上山久史(大日本除虫菊株式会社専務取締役) 荻原博子(経済ジャーナリスト)
     町田忍(庶民文化研究所所長)

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コカ・コーラの項で、光太郎がちらっと紹介されるはずです。

光太郎の第一詩集『道程』に、「狂者の詩」という詩が収められています。初出は大正元年(1912)12月の雑誌『白樺』です。その中で「コカコオラ」の語が使われており、文学作品におけるコーラの最も早い使用例の一つです。

コーラと光太郎については、以前のこのブログでもご紹介しています。こちらをご覧下さい。

少し前に、花巻高村光太郎記念会さんから電話がありました。番組制作会社からの問い合わせに関してのヘルプ要請でした。問題は「狂者の詩」の読み方。「詩」一文字が「し」なのか、「うた」なのか、ということでした。

基本的にルビが振らていない漢字の読み方は、よほど度外れた読み方でない限り、不正解とは言えません。したがって、「し」と読んでも、「うた」と読んでもいいと思います。ただ、作者(光太郎)がどちらをイメージしていたのかを考えることは可能です。時代背景的に、「詩」を「うた」と読むようになるのはおそらくそれほど古い習慣ではないはずで、「し」の方が正解に近い気がします。だからといって、「うた」と読んだら×、というわけではないと思います。どうしても「うた」と読みたければ、どうぞ、それで結構――と答えておきました。

同様の問い合わせは結構あります。

少し前に、作曲家の野村朗氏からは、詩「樹下の二人」(大正12年=1923)に出てくる「愛の海ぞこ」の読み方を訊かれました。「うみぞこ」か「うなぞこ」か、と。『広辞苑』を調べても、どちらの読み方も登録されていません。もはや、こういう場合にはどちらで読んでも不正解とは言えないでしょう。ただし、他の詩との整合性ということを考えると、明治40年(1907)作の「博士」という詩の中に、「大海底」と書いて「おほうなぞこ」とルビが振られている箇所があり、「うなぞこ」の方が正解に近いのかな、という気がします。しかし、だからといって、「うみぞこ」と読んでもダメ出しはできないでしょう。

固有名詞についても、結構困る場合があります。やはり野村氏から、それからそれ以前に「日曜美術館 智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像~」制作のお手伝いをしていた中で、詩「案内」(昭和25年=1950)中の「毒が森」に関して、レファレンス依頼がありました。光太郎が戦後の七年間を暮らした花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)付近の地名として、「うしろの山つづきが毒が森。」という一節があります。こちらは固有名詞ですから、さまざまな読み方は無いわけで、本当の読み方は「ぶすがもり」です。

狂言の題目にもありますが、猛毒のトリカブトの別名が「附子(ぶす)」。そこからの連想で、「毒」に「ぶす」と訓読みを当てる場合があり、地名やら人名やらで使われています。ちなみに不美人を「ブス」というのは、トリカブトを食べて苦悶する人のような顔、という連想から来ているとか。

光太郎の山小屋の裏山も、正しくは「ぶすがもり」です。サイト「岩手の自然 毒ガ森山塊」などにもそう紹介されています。ところが、地元でも「ぶすがもり」という地名が忘れられつつあるようで、毎年5月の花巻高村祭で、地元の方がこの詩を朗読しますが、「どくがもり」と読んでいます。もはや地名としての「ぶすがもり」が忘れ去られているのであれば、「どくがもり」と読んでもいいのかな、などと思っております。

こうした詩句の読み方に関しては、ある意味、これだという正解が存在しない場合が多いと思います。大切なのは、読む人それぞれが、これはどう読むのだろう、とか、こう読む根拠は、などと考えを廻らせることではないでしょうか。とはいうものの、エラいセンセイなどが、いわゆる「論文」で、たった一語の読み方にこだわって、ああでもない、こうでもないとやっているのを見ると、「木を見て森を見ず」の感がぬぐえませんが。

さて、「武田鉄矢の昭和は輝いていた」。「し」と読むのか「うた」と読むのか、とりあえず注視します。もっとも、テレビ番組の場合、収録の尺などの関係で、レファレンスした内容がばっさりカットされることも珍しくありません。光太郎に触れずじまい、と、それは避けていただきたいのですが、どうなることやら……。


【折々のことば・光太郎】

潔さと美と飢と入水とを等分に持つたドウベル 低くなり得ぬもの詩人ドウベル
詩「レオン ドウベル」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

レオン・ドーベルは、フランスの詩人。貧困の中でマルヌ川に投身自殺したそうです。パリにいた彫刻家・高田博厚がその胸像制作にあたり、光太郎も援助しました。

詩人が「低くなる」というのは、自分の主義主張を曲げ、大衆や権力者に阿(おもね)る作品を書く、ということでしょうか。それができなかったドーベルに、光太郎は真の詩人の姿を見ているのだと思われます。

ところが光太郎自身は、この頃から大政翼賛の方向へ梶を切り始めます。この年は満州事変のあった年でした。おそらく、智恵子の心の病を引き起こした、「都会のまんなかに蟄居」(「蟄居」 昭和22年=1947)するような生活への反省、そうした生活を続けることで自身も心を病みそうな予感、そういったものが、光太郎を動かしていったものと思われます。