今月はじめのこのブログで、光太郎の父・高村光雲が明治33年(1900)に制作し、太平洋戦争中の金属供出で無くなり、一昨年再建された静岡県袋井市の寺院「可睡斎(かすいさい)」の境内に建つ「活人剣の碑」に関して、その由来などを描いた紙芝居が出来たという報道をご紹介しました。

他の方のブログで情報を得ましたが、それに伴い、袋井市さんの市役所2階・市民ギャラリーで、その紙芝居原画展が始まっています。20日(火)までだそうです。

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YouTubeに動画もアップされていました。


「YUKIKO」さんは、本名・鈴木幸子さん。

さらに袋井市さんのHPを調べてみましたところ、紙芝居「活人剣の物語」PDF版(PDF:1.6MB) ということで、全篇を見ることが出来るようになっていました。

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光雲作の初代「活人剣の碑」竣工の様子。光雲の名も出して下さっています。

ところが、金属供出で、台座のみになり、訪れる人もいなくなってしまったよ……的な場面。

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しかし、一昨年、地域に眠る日中友好の遺産に再び光を当てるべく、地元の人々の熱意で再建されました、というわけで……。

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碑の再建、紙芝居による啓蒙、その展示、こうした地味ながら地域の宝に光を当てる活動には、頭が下がります。

そして、金属供出などという馬鹿げた事態が起こらない、平和な世の中が続くことを祈ります。


【折々のことば・光太郎】

どんな豪雨や、 どんな突風にも、この消えずの火をまもつて、ぎつしり築いた、肉の歴史を未来に手渡す者は、 倒れる事によつてさへ罅隙をうづめる。
詩「消えずの火」より 昭和5年(1930) 光太郎48歳

この時期の光太郎同様、アナキストやプロレタリア文学者たちに近い位置にいた詩人・生田春月の追悼詞華集『海図』に寄せた詩です。

生田はさまざまな社会矛盾がアナーキズムやマルキシズムによって解決できないことから、次第に虚無思想的な方向に進み、この年、投身自殺を遂げました。一説には、同年だった芥川龍之介の自裁にも強い影響を受けたといいます。

倒れる事によつてさへ罅隙をうづめる」、つまり、生田の死を賭しての問題提起を無駄にするな、ということになりましょう。「罅隙」は「かげき」と読み、「裂け目、割れ目、亀裂」の意です。