状況をわかりやすくするために、まず地方紙『岩手日報』さんの記事から。

花巻歩きのお供に一冊 女性目線の情報マガジンを発刊

 花巻市南万丁目のオフィス風屋(かぜや)(北山公路代表)は20日、花巻まち散歩マガジン「Machicoco(マチココ)」を発刊する。「車を降り、街を歩こう」をコンセプトに、懐かしい花巻の風景にこだわった冊子を隔月で展開する。市内の40、50代女性5人が執筆し、デザインも女性が担当。メンバーは花巻ファンを掘り起こそうと意気込んでいる。
  巻頭特集は「街を撮る」。商店街、バスの時刻表、宮沢賢治をイメージしたベンチなど日常の景色が並ぶ。冊子はA5判オールカラー16ページで1500部発行を想定し1部500円(税込み)。市内企業などに協賛金1口3万円(税別)を募り、発行時に1口15冊、年6回で計90冊を配布。書店での販売予定はない。
  人物紹介の連載「顔と手」やリレーエッセー「花巻まにあ」、高村光太郎の日記から料理を再現する「光太郎レシピ」のほか、市内イベントの情報欄や街マップも掲載する。
  問い合わせは電子メール(
machicoco.hanamaki@gmail.com)へ。

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で、早速、年間購読の手続きをいたしまして、届いた創刊号がこちら。

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A5判16ページ、オールカラー。目次は以下の通りです。

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最終ページ(裏表紙)に、連載「光太郎のレシピ」。

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上の画像は、光太郎が7年間の独居自炊生活を送った花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)の囲炉裏端ですね。

花巻高村光太郎記念館さんの主に女性職員の皆さんの協力で、独居自炊生活をしていた頃の光太郎日記から、光太郎がどんな料理を作り、食べていたのかを紹介するものです。

館では昨年あたりからこの方面の活動をなさっていて、現在、館の受付脇にそういった展示もなされていますし、昨年2月にはテレビ岩手さんの情報番組、「5きげんテレビ」で紹介されました。5月には今回紹介されている「そば粉パン」、当方もいただきました

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なかなかに美味でした。

それにしても、戦後間もない昭和21年(1946)の時点で、こうしたものを作って食べていた光太郎。「食」へのこだわりが強かったことが見て取れます。いわゆるグルメ、美食家というわけではありませんでしたが、頑健な肉体の創出には「食」の充実が欠かせないという考え方で、そうした意味では宮澤賢治の「玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」では駄目だ、と公言していました。

今後、そうした光太郎がこだわって作った料理の数々が紹介されるはずですので、楽しみです。


『まち散歩マガジンMachicoco(マチココ)』、その他にも花巻とその周辺の街の風景や、そこに生きる人々(隠れた名物・マルカン大食堂の10段巻きソフトクリーム職人さんなど)が紹介され、「新しい花巻の魅力を発見」というコンセプトがよくわかる作りになっています。後ほどご紹介しますが、来月、高村山荘敷地で行われる高村祭の案内も。

オンラインで年間購読の手続きができます。隔月刊だそうで、年6回配本。送料込みで3,840円です。ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

急にしんとして 山の匂のしてくる人がある。

詩「偶作十五篇」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

光太郎、若い頃から自然志向的な部分は色濃くあり、周辺には郊外で隠遁生活を送っていた友人知己も少なからずいましたが、自身はなかなか思うに任せず、東京市本郷区駒込林町、都会の真ん中に暮らしていました。18年後に、自身が実際に「山の匂のしてくる人」となると、具体的には想定していなかったと思われます。