4月2日の第61回連翹忌の前後、新聞各紙に光太郎の名が載った記事をご紹介します(花巻連翹忌の報道を除きます)。 

まず、3月30日の『毎日新聞』さん。東京版の夕刊です。

書の世界 吹筆会展 個性と品格に宿る力 

 吹筆会展(4月2日まで、東京・銀座の鳩居堂画廊4階)は、「現代の書」への意識的な取り組みが、大変参考になるように思われる。  
 「書は可読性と芸術性のせめぎ合いから生まれるのではないか」と主宰の福地桂玉さん。読みにくい字は論外、かといって個性のない活字のような字を書いても書展会場では立ち止まって感動してはもらえない、というわけだ。その解決策の一つとして、福地さんは独特の書き方を長年にわたり続けている。とりわけ、カタカナへの対応は考えさせられる。
 さらに、紙の大小を問わず、自らの心に響いた言葉を、かなり長い分量、書き続けている。
 今回も「美 イッタン此世ニアラワレタ以上、美ハ決シテホロビナイ……」(高村光太郎)=写真[1]、部分▽「目を開けてつくづく見れば薔薇の木に薔薇が真紅に咲いてけるかも」(北原白秋)などに取り組んだ。
 品格を考慮し、自ら引き付けられた言葉を書き連ねるのは、やはり楽しい行為となるに違いない。だから書に不思議な力が宿っているのだろう。
 指導者の揺るぎない精神は会員にも伝わっている。矢部恵子さん「おんひらひら蝶も金比羅参りかな」=同[2]=や、柳下明雪さん「あさひさす いなだのはての しろかべに……」など、個性的な表現がとても興味深い。
 一方、第33回書道日本社選抜展(4月2日まで、東京銀座画廊・美術館)は、詩文書の作品が多く、会の朗らかな性格も反映して、明るい雰囲気に満ちている。
 石飛博光さん「千里同風」=同[3]▽黒田玄夏さん「鶯の谷より出ずる……」=同[4]▽室井玄聳さん「戯」などベテラン勢が、さすがに骨力のある線を引いている。
 友野浅峰さん「かげろふのゆらりゆらりと……」▽
田中豪元さん「貧想力 不器用を友として前衛ごころを楽しみ……」▽赤沢寧生さん「華厳の滝……湖に向かう白い炎……」などの、言葉の選び方と表現の一工夫も楽しい。【桐山正寿】


福地桂玉氏の主宰する書道教室、吹筆会さんの展覧会評で、福地氏の書かれた光太郎の短文「美」が取り上げられています。

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原文は普通に漢字平仮名混じりなのですが、あえて平仮名を片仮名に。そこが氏のこだわりらしいのですが。


続いて、3月31日の『朝日新聞』さん。「漱石を演じて」という総題で、俳優のイッセー尾形さんと長谷川博己さんが寄稿なさっています。そのうち、NHKさんで昨年放映された「夏目漱石の妻」というドラマで漱石に扮した長谷川さんの「深い苦悩にこそ本質」という稿に光太郎の名が。

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長いので全文は引用しません。007

光太郎については、最後に「いまやってみたいのは『智恵子抄』の高村光太郎。ぼく自身、もっといろんな人生を演じたい。」とあります。

画像、マーカーで線が引いてありますが、先日の第61回連翹忌の際に、一年分の新資料として書籍やパンフレット、チラシ、そしてこの手の新聞記事などを展示しまして、その関係です。

平成21年(2009)に、「妄想姉妹~文学という名のもとに」という深夜ドラマが日本テレビ系列で放映されました。吉瀬美智子さん、紺野まひるさん、岩井堂聖子さん(当時の芸名は高橋真唯さん)の三姉妹がヒロイン。全11回で、各回、一つの近代日本文学作品をモチーフとし、第5話が「智恵子抄」。智恵子役を紺野まひるさん、光太郎役を高橋洋さんが演じられました。長谷川さんは第9話「にごりえ」にご出演。その際のヒロインも紺野さんでした。

長谷川さんの光太郎役、ぜひ見てみたいものです。智恵子役はどなたがいいでしょうか。考えると楽しいものです。


同じ『朝日新聞』さんで、4月1日の夕刊。今年2月になくなった、元埼玉県東松山市教育長で、光太郎と交流のあった田口弘氏の追悼記事です。

歩くことは人生、教育者の信念 日本スリーデーマーチを育てた田口弘さん

2月9日死去(多臓器不全) 94歳

 今年で40回を迎える日本スリーデーマーチ。埼玉県東松山市を主会場に開かれ、毎回10万人前後が参加する国内最大のウォーキングの祭典だ。草創期の1981年から実行委員長を12回務め、オランダのフォーデーズマーチに次ぐ世界的な大会ログイン前の続きに育てた。
 海軍所属の日本語教員として終戦をインドネシアで迎えた。任地へ向かう途中のフィリピン沖で、米軍機の爆撃によって輸送船が沈み、漂流した。ともに日本を発った300人のうち、陸にたどりついたのは30人ほど。「生かされている」との思いで教師の仕事、そして生徒と向き合った。
 約17年間務めた市教育長のとき、市内の小中学校の一斉遠足として児童・生徒をマーチに全員参加させた。「そんな価値はあるのか」との声に、「これほどの教育の場はほかにない」と押し通した。
 詩人で彫刻家の高村光太郎と戦時中から親交があった。3年前にマーチの取材で訪ねたときのこと。高村が疎開先の岩手で中学生に贈った言葉を教わった。「心はいつでもあたらしく、毎日何かしらを発見する」。2月の葬送式でも、高村自筆の「ロマ書(新約聖書)」の一節が掲げられた。
 「一歩一歩の単調な繰り返しでも、胸を張って感性を研ぎ澄ませば、次々と見えてくるものがある。人生そのものだと思うのです」。ウォーキングの魅力、思いを語った。歩くことに文化的な価値を見いだし、実践した人だった。(高橋町彰)

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そして、一昨日には詩人の大岡信氏の訃報。昭和54年(1979)から平成19年(2007)にかけ、一面に大岡氏のコラム「折々のうた」が連載されていた『朝日新聞』さんでは、かなり大きく取り上げていました。

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「折々のうた」の記念すべき第一回が、光太郎の短歌「海にして太古の民のおどろきをわれふたたびす大空のもと」(明治39年=1906)。そのあたりにも触れられていました。

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その他にも、光太郎について触れた評論などが多数あり、それぞれ示唆に富むものでした。

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当方、昨年には企画展「谷川俊太郎展 ・本当の事を云おうか・」拝観のため、静岡三島の大岡信ことば館さんにお邪魔したこともあり、感慨深いものがあります。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

こんな春の夜明を歩いてゐると、 死んで草になるのが何でいけない。

詩「あけぼの」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

光太郎、誰かの通夜の帰りに作った詩だそうです。

勝手な想像ですが、田口氏も、大岡氏も、こんなことを思っていたかも知れません。そう思いたいものです。