登山家の田部井淳子さんが、亡くなりました。  

田部井淳子さん死去=77歳―エベレスト女性初登頂

010 1975年に女性で初めて世界最高峰エベレスト(8848メートル)に登頂した登山家の田部井淳子(たべい・じゅんこ)さんが20日午前10時、腹膜がんのため埼玉県川越市の病院で死去した。77歳だった。福島県出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は夫、政伸(まさのぶ)さん。

 昭和女子大を卒業後、社会人の山岳会で本格的に登山を始め、69年に女子登攀(とうはん)クラブを設立。70年にアンナプルナIII峰(7555メートル)に日本女性として初めて登頂。75年、日本女子登山隊の副隊長としてエベレストに挑み、女性で世界初の登頂者となった。

 81年にも女性として初めてシシャパンマ(8027メートル)の登頂に成功。また、85年キリマンジャロ(タンザニア)、87年アコンカグア(アルゼンチン)、88年マッキンリー(米国)、91年ビンソンマシフ(南極)と各大陸の最高峰の頂上を次々と踏み、92年のカルステンツ・ピラミッド(インドネシア)、エルブルース(ロシア)登頂によって女性で世界初の7大陸最高峰登頂者となった。

 エベレストのごみ問題をテーマに研究を進め、2000年に九州大大学院の修士課程を修了。山岳環境保護の活動に取り組み、07年には環境保全功労者として環境大臣賞を受賞した。

(時事通信 2016/10/22)


田部井さんは、智恵子の故郷・二本松に近い三春町のご出身。智恵子が愛した「ほんとの空」のある安達太良山とも縁の深い方でした。

平成27年(2015)2月、NHK BSプレミアムさんで放映された「にっぽん百名山 安達太良山」にご出演。登山家・田部井さんの原点の一つが安達太良山にあったことを語られました。

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三春小学校6年生の時に安達太良山に初めて登り、沼の平などの不思議な景観に心打たれ、「もっといろいろな景色を見てみたい」と思ったそうです。

同番組では、光太郎智恵子についても取り上げて下さいました。

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何度か再放送されましたが、田部井さんの追悼的にまた放映されることを希望します。

さらに、今後放映されるであろう田部井さんの追悼特集的な番組でも、ぜひ安達太良山にからめた内容にしていただきたいものです。

時代や分野は違えど、同じ福島中通り出身の先駆的な女性として、田部井さんと智恵子には共通項が有るように思われます。

また、東日本大震災後、田部井さんは「厳しい状況にいる高校生たちに、一歩一歩進めば、いつかは頂点に着くと実感してもらいたい」と、被災した東北の高校生と一緒に富士山に登る活動に取り組んできたそうです。今年も93名の高校生と共に富士山へ行かれたとのこと。病をおされての行動力、頭が下がります。

その田部井さん、そして智恵子が愛した安達太良山、紅葉のピークのようです。 

安達太良山、まるで『紅葉のじゅうたん』 色鮮やか山並み絶景

009 二本松市の安達太良山(1700メートル)の紅葉が見頃を迎え、秋晴れの14日は大勢の登山客や観光客が「紅葉のじゅうたん」を楽しんでいた。
 登山道からは赤や黄など色づいた木々などを間近に見ることができ、青空と鮮やかな彩りの山並みは絶景。同市の奥岳登山口から乗るロープウェイの山頂駅近くで、標高1350メートルの薬師岳展望台は大いににぎわっていた。
 ロープウェイを運行する富士急安達太良観光は23日までの土、日曜日に、運行を通常より1時間早めて午前7時30分から始める。
(『福島民友』 2016/10/15)


謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々の歌と句・光太郎】

山にゆきて何をしてくる山にゆきてみしみしあるき水のんでくる
 制作年不詳

昭和4年(1929)、改造社刊行の『現代日本文学全集第三十八編 現代短歌集 現代俳句集』に載った作品ですが、いつの作品か不詳です。

光太郎もまた、山を愛した詩人でした。ただし、本格的な登山ではなく、奥地の低山を闊歩する、今でいうトレッキングを好んでいました。