昨日は2件、用事を済ませて参りました。

まずは静岡県三島市の大岡信ことば館さんで開催中の「谷川俊太郎展 ・本当の事を云おうか・」拝観。

光太郎の書簡が展示されているという情報を得たのが数日前、まず間違いはないだろうと思われつつも、若干あやふやな情報だったので、このブログではご紹介していませんでした 

谷川俊太郎展 ・本当の事を云おうか・

期  日 : 2016年9月22日(木)~12月25日(日)
会  場 : 大岡信ことば館 静岡県三島市文教町1-9-11 Z会文教町ビル 1F、2F
時  間 : 10:00~17:00
休  館 : 月曜日 (10/10は開館 10/11振替休館)
料  金 : 大人1000円 学生(高校・大学生)600円 
       子ども(小・中学生)300円/未就学児無料

360度、谷川俊太郎!詩人であるのか、詩人でないのか。谷川俊太郎の多岐にわたる仕事を紹介し、谷川の「本当」の姿をお見せします!

本展では、少年時代に夢中になったという模型飛行機や、その後のラジオコレクションの一部などを紹介しながら、詩人谷川の原点を探り、谷川自身の手による写真などから、詩人の背後に見え隠れするものを探っていきます。また単体で詩として存在するもの、絵本のように他者とのコラボレーションにより存在するもの、それぞれにフォーカスすることで、谷川の言葉の奥行きと広がりに触れていきます。また谷川は、音として存在する詩の朗読にも力を入れています。会場では谷川の詩のいくつかを自身の朗読(録音)によって鑑賞いただけます。加えて同人誌「櫂」での活動や「連詩」を紹介。また展示室「大岡信の部屋」では、谷川俊太郎と大岡信の関わりを紹介していきます。

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昨日もご紹介した、コールサック社さん刊行の『少年少女に希望を届ける詩集』にも寄稿されたり、過日ご紹介した岡山県出身の女流詩人・永瀬清子の顕彰に関わったりと、今も精力的に活動を続けられている谷川俊太郎氏をメインにした企画展です。

氏の詩的世界をビジュアル的に紹介、単なる文学展というよりは、現代アート的な要素もふんだんに盛り込まれたものでした。

当方、光太郎以外に好きな詩人を挙げろ、と言われれば必ず入ってくるのが谷川氏。興味深く拝見しました。

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こちらが受付で頂いた会場案内図。クリックで拡大します。

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この中の、「9.書簡資料」のコーナーに、光太郎から谷川氏宛のハガキも展示されています。昭和29年(1954)5月20日、光太郎最晩年のもので、氏の詩集『62のソネット』の受贈礼状です。

ハガキ自体は昭和63年(1988)、思潮社さん刊行の『特装版現代詩読本 谷川俊太郎のコスモロジー』に画像入りで掲載されています。

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筑摩書房『高村光太郎全集』に未収録のもので、この書簡の情報を得た後、谷川氏に他に光太郎からの書簡はないか問い合わせましたが、残念ながら無いという御返事をいただきました。

したがって、今回展示されているのもこれだろうと当たりはついていましたが、現物は見たことがありませんし、万一、最近になって他の光太郎書簡が出て来たという可能性もなきにしもあらずなので、足を運びました。

結局、光太郎書簡はやはりこの一通のみでした。しかし、正確な日付、さらに速達で送られていたことも判明し、収穫はありました。それがなくともやはり光太郎自筆を目に出来るのは嬉しいことです。

ちなみに他には室生犀星、三島由紀夫、サトウ八チロー、河合隼雄、粟津潔、そして氏の父君・谷川徹三らの書簡が展示されています。


ところで、谷川氏の盟友にして、館の名前に冠されている大岡信氏も、光太郎と絡みます。

大岡氏は詩の実作以外にも近代詩史に関する論考が多く、そうした中で的確に光太郎を論じて下さっています。

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また、このブログで今年から始めた連載【折々の歌と句・光太郎】は、氏が昭和54年(1979)から平成19年(2007)にかけ、『朝日新聞』さんに連載されていた「折々のうた」の、ある意味パクリです。その第一回、昭和54年(1979)1月25日に取り上げて下さったのが、光太郎短歌の代表作「海にして太古の民のおどろきをわれふたたびす大空のもと」(明治39年=1906)。

「折々のうた」は岩波新書から随時刊行されましたが、先月、童話屋さんから『折々のうた―春夏秋冬―』として、4冊組で文庫版が出ました。その冬の巻に、第一回の「海にして……」の短歌、大正3年(1914)の詩「僕等」の一節が掲載されています。ことば館さんで購入して参りました。


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さて、ことば館さんを後に、再び新幹線で都002内に戻りました。東京駅八重洲地下街で昼食、そして東京メトロ千代田線に乗り込み、荒川区町屋へ。次なる目的、第20回TIAA全日本作曲家コンクール入賞者披露演奏会の拝聴です。名古屋在住の作曲家・野村朗氏が、光太郎の短歌に曲を付けた「連作歌曲「智恵子抄巻末の短歌六首」より」が演奏されるので、聴きに伺いました。

明らかにネタが変わるので、レポートは後日にしようかとも思いましたが、今後も書くべき内容がてんこ盛りでして、一気に書きます。

会場は町屋駅近くのムーブ町屋ムーブホール。こぢんまりしたホールでした。

最初にタイトルに冠されている第20回TIAA全日本作曲家コンクールの表彰式。

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野村氏は、「歌曲・独唱部門 審査員賞」でした。

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その後、受賞作の演奏会に入り、プログラムの最後が、「連作歌曲「智恵子抄巻末の短歌六首」より」。トリを飾るにふさわしい作品、演奏でした。

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歌詞カードがパンフレットに挟まっていました。

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基本、モール(短調)ですが、途中、「わが為事……」のところでドゥア(長調)に転調、しかしまたモールに戻ります。短歌六首というテキストをうまく活用した作りになっていて、感心させられました。また、旧作の「連作歌曲 智恵子抄」にも通じるメロディー構成の部分もあり、そういう意味での楽しみ方ができました。

演奏はバリトン・森山孝光氏、ピアノ・森山康子氏。以前から野村氏の作品(「連作歌曲 智恵子抄」など)の演奏に取り組んで下さり、今年の連翹忌でも演奏して下さいました。孝光氏の演奏で常々感心させられるのは、その朗々とした美声はもとより、必ず暗譜で演奏に臨まれること。康子氏の伴奏も主張しすぎず、しかし出るべきところは出、見事です。

ところが終演後、お話を伺うと、リハの際には孝光氏、大間違いをやらかしたとのこと(笑)。まあ、かえってリハがうまくいくと油断して本番でコケることも往々にしてありますので、却って良かったと思います。

演奏直後のお三方。

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ところで今日は今日で、また福島二本松。「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界」の開会行事に参加、その後、智恵子を偲ぶ第22回レモン忌に出席して参ります。野村氏もレモン忌にご参加の由。「ではまた明日」と、お別れして参りました(笑)。

明日はその辺りをレポートいたします。


【折々の歌と句・光太郎】

この家に智恵子の息吹みちてのこりひとりめつぶる吾(あ)をいねしめず

昭和13年(1938)頃 光太郎56歳頃

一見、智恵子歿後の作のように読めますが、まだ存命中の作です。