株式会社アールビーズさん発行の『ランナーズ』という、ランニング愛好家向けの雑誌があります。その最新号に、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が取り上げられています。10月号の扱いですが、すでに入手可能です。 
2016/10/01 株式会社アールビーズ 定価722円+税

イメージ 1

スポーツライターの武田薫氏の「マラソンの行方 取材ノートから」という連載、今号はサブタイトルが「熊出没の青森鹿角は駅伝の故郷 武田千代三郎と乙女の像の因縁」。毎年8月7日に開催されている「十和田八幡平駅伝」(通称・十八駅伝)について書かれています。

イメージ 2

イメージ 3

武田千代三郎は、明治41年(1908)から大正2年(1913)まで青森県知事を務め、その間、十和田湖畔の旧法奥沢村村長・小笠原耕一と協力し、十和田湖付近の道路整備等に腐心し、国立公園指定の礎を築きました。さらに十和田湖の景勝美を広く世に紹介した大町桂月とも親交がありました。

「乙女の像」は、戦後、武田、小笠原、桂月を顕彰する意味も含め、国立公園指定15周年を記念して計画されたモニュメントです。

当方存じませんでしたが、「駅伝」の語の命名者が武田だそうで、これはランニング愛好家の皆さんにとっては常識のようです。

そこで、昭和23年(1948)、当時の全国マラソン連盟会長だった金栗四三が、日本人選手が国際大会で活躍するための暑さ対策練習として、十八駅伝の開催を提唱、スタート地点を武田ゆかりの「乙女の像」の立つ十和田湖畔休屋地区としたとのこと。十和田湖で、「十和田湖マラソン大会」も行われているのも偶然ではないのでしょう。

ランニング愛好家の皆さんには常識的なことなのかもしれませんが、光太郎ファンとしては意外といえば意外な内容でした。

こういった部分でも、十和田湖観光の機運がもっと盛り上がって欲しいものですね。


【折々の歌と句・光太郎】

蚊やりに火蟲除け菊をくべたまへ蟲を好まず蟲を好まず
明治43年(1910) 光太郎28歳

昨日、愛犬の散歩で裏山を歩いたところ、台風の雨であちこちに水たまりが出来、蚊が大量発生していて、半分逃げ帰るように走り抜けました。庭の木の剪定をしている時も、手足に虫除けスプレーを振りかけているにもかかわらず蚊が襲来してきます。夏ももうすぐ終わり。やつらも必死ですね(笑)。