JR京都駅内のジェイアール京都伊勢丹さん7階にある美術館「えき」KYOTOさんで開催中の展覧会です。気付くのが遅れ、始まっています。 

世界の巨匠たちが子どもだったころ

期  日 : 2016年8月11日(木)~9月11日(日)
会  場 : 美術館「えき」KYOTO 京都駅ビル内ジェイアール京都伊勢丹7階
                           京都市下京区烏丸通塩小路
ル東塩小路町
時  間 : 午前10時~午後8時(入館締切:閉館30分前)
料  金 : 一般 800円  高・大学生 600円  小・中学生400円
主  催 : 美術館「えき」KYOTO、京都新聞
後  援 : 京都府教育委員会、京都市教育委員会
協  力 : おかざき世界子ども美術博物館

展覧会概要
モネ、ムンク、ロートレック、ピカソ、岸田劉生、伊東深水、山口華楊、山下清、平山郁夫など、誰もが一度は耳にしたことがある美術界の巨匠たち。優れた技術と多彩な感性で多くの名品を残した彼らは、いったい子どもの頃はどのような絵を描いていたのでしょうか?
 本展覧会では、1985年に子どものための本格的な美術博物館として開館した、おかざき世界子ども美術博物館(愛知県・岡崎市)が所蔵するコレクションより、世界の有名美術家73人が描いた貴重な作品118点を紹介します。
10代という時代は、豊かな感受性を持つ多感な時期であり、純粋であるがゆえに感情が大きく揺れ動く時期でもあります。
この時期に制作された作品は、画家の努力や情熱、絵に対する真っ直ぐな思いが画面にあふれ出ています。
 描くことに夢中だった小さな巨匠たちが残した、成長の足跡をお楽しみください。

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名だたる巨匠たちに交じって、光太郎の姉・004咲(さく)の作品が展示されているということだそうです。

右の画像で、右側に立っているのが咲。左は光太郎の母・わかと、光太郎の弟・豊周です。

咲は光太郎より6つ年上の明治10年(1877)生まれ。五男四女の長子です(光太郎は長男にして三番目)。

素川狩野寿信に師事して狩野派の日本画を学び、明治22年(1889)、数え13歳で「寿司」の名と「素月」の号を許され、翌年には上野公園桜ヶ丘の日本美術協会列品館で開催された絵画展覧会に絹本堅淡彩の「鍾馗図」を出品、天覧も受けたと言います。

非常に親孝行な娘だったそうで、父・光雲がその代表作である「老猿」の制作がなかなか思うように行かなかった時など、ひそかに水垢離(みずごり)を行っていたとのこと。

その他、高村家には淡彩素描の作品がいくつか遺されており、中には幼い光太郎を描いたものもあります。見事なできばえです。

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光太郎は絵の才能に秀でたこの姉を尊敬し、愛していましたが、佳人薄命、咲は明治25年(1892)、数え16歳の若さで肺炎を患って歿してしまいました。優しく気丈なこの姉の生涯から、光太郎は強い感化を受けました。のちに画家の智恵子と結ばれた光太郎、もしかすると智恵子の背後にやはり画家だった姉の姿を見ていたのかもしれません。

当方、先月、盛岡に齢100歳でご存命の、光太郎の従妹・加藤照さんのお宅で、咲が描いたという扇を拝見しました。照さんのお母様のふゆさんが、咲に直接貰ったそうです。

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小さめの扇面に、人物像が実に細密に描かれています。


さて、美術館「えき」KYOTOさんの 「世界の巨匠たちが子どもだったころ」。咲の絵が三点展示されています。「仙人」「栗」「鶴」。

どのような経緯か存じませんが、咲の作品が、愛知県岡崎市のおかざき世界子ども美術博物館さんに所蔵されています。今回の美術館「えき」KYOTOさんの 「世界の巨匠たちが子どもだったころ」は、おかざき世界子ども美術博物館さんの所蔵品が中心ということで、咲の作品も並んでいるといううことだそうです。

影響ということを考えれば、光雲から受け継いだ彫刻道とはまた異なる、光太郎芸術の一つの源流ともいえる咲の絵画。もっと注目されていいものですね。


【折々の歌と句・光太郎】

太田村山口山の山かげに稗をくらひて蝉彫るわれは
昭和21年(1946) 光太郎64歳

いったん中断していましたが、蝉を詠んだ短歌がまだありますので、ご紹介します。