彫刻家高村光太郎最後の大作である「十和田国立公園功労者記念碑のための裸婦群像(通称・乙女の像)」が建つ、青森十和田湖からのイベント情報です。

十和田八幡平国立公園十和田八甲田地域指定80周年記念 第51回十和田湖湖水まつり

期 日 : 2016年7月16日・17日、18日(花火は16日・17日)
場 所 : 十和田湖畔休屋  十和田市十和田湖畔休屋486
時 間
 : 16日・17日 10:00~21:00 18日は花火予備日 クルージングのみ10:10~

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16日(土)、17日(日)の両日とも、18:00から乙女の像のライトアップ、さらに20:00から花火の打ち上げがあります。その他、燃料電池車MIRAIの試乗会、魚つかみどりなど、さまざまなイベントが企画されています。

18日(月・祝)は、花火の予備日であるとともに、遊覧船に500円で乗れるというワンコインクルーズが実施されます。昨年までは抽選で決めていたようですが、今年は先着200名だそうです。

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ぜひ足をお運び下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

五月雨の山窟(やまむろ)くらき狸汁奇士大(だい)さんの笑ひやうかな

明治37年(1904) 光太郎22歳

舞台は青年期の光太郎が足繁く登った上州赤城山。「大さん」は、その山中に独居していた一風変わった人物(奇士)です。なぜか光太郎とは馬が合い、光太郎はよく訪ねていきました。

光太郎の親友であった作家の水野葉舟がこの年に記した「夏籠――赤城日記」から。

 道々高村君は大さんの身の上話をした。もとは上州でも有名な博徒であつたが、女房が変な奴だとかで、大さんは多少ある財産を持つて、わづらはしい生活をするのを嫌つて、突然其を女房と息子にくれてやつて、この山上(やまのうへ)の氷小屋の番人になつたのだ。――顔なども剛な処があつて、それでひどく無邪気だ。笑ふ時などはまるで子供の様だ。高村君がこう話したので、
「幾歳(いくつ)位だい?」
と聞くと、
「五十四五だらうね」

大さんの暮らす氷小屋(山窟)の様子は以下の通り。

 小さな路がついて居て、藪を廻ると、倒れかゝつた垣根があつて、其処に鶏が遊んで居る。小屋と言つても、私などが嘗て見た事の無い程のあばら屋だ。一方土を切り下げ壁の代りにして、小屋が建てられてある柱には皮のまゝの木が使つてあつて、其に一つもそろつて居ない板が乱雑に打ち付けてある。そして入口には筵が下げてあつた。

しかし、この時、大さんは近在に熊が出たというのでそれを仕留めに行っていて留守。

 炉には大きな鍋がかかつて居た。小屋の中は二つに仕切つてある。一つは物置らしく、まつくらだ。一つの方は、僅かに、床があつて、其上に板が並べてある。其板の上には筵が敷いてあつた。寝道具が一隅(ひとすみ)に、其他色々な道具を入れる棚の様なものが有る。――大さんの坐たらしい炉のふちには山犬の皮が二三枚敷いてあつた。窓と言つては一つもない。中はいつも薄暗く、たゞ入口の筵の間からと、壁の板の隙からと、日がさし入つて来るが、穴の中の様な心持がした。

戦後、光太郎が独居生活を送った花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)を彷彿とさせられます。光太郎も山小屋生活を始めるにあたって、おそらく40数年前に訪れた大さんの氷小屋をイメージしていたのではないかと思われます。