【折々の歌と句・光太郎】
いはほなすさゝえの貝のかたき戸のうごくけはひのほのかなるかも
昭和5年(1930) 光太郎48歳
昭和5年(1930)制作の木彫「栄螺(さざえ)」を収めるための絹の袋に認(したた)められた短歌です。


この木彫「栄螺」、平成15年(2003)に、約70年ぶりにその存在が確認され、大きく報じられました。袋はおそらく智恵子が縫ったものと推定されています。
光太郎彫刻の中では、一つのエポックメーキングとなった作品です。これを作る前と後で、彫刻の概念そのものに大きな変化があったとのこと。
栄螺も彫つたが、それを父に見せたら「この貝はよく見たら栄螺の針が之だけ出てゐるけれど一つも同じのがないね。」と言つた。実はその栄螺を彫る時に、五つ位彫り損つて、何遍やつても栄螺にならない。実物のモデルを前に置いてやつてゐるが、実に面倒臭くて、形は出来るのであるが、どうしても較べると栄螺らしくない。弱いのである。どうしてもその理由が分らないので、拵へ拵へする最後の時に、色々考へて本物を見てゐると、貝の中に軸があるのである。一本は前の方、一本は背中の方にあつて、それが軸になつてゐて、持つて廻すと滑らかにぐるぐる廻る。貝が育つ時に、その軸が中心になつて針が一つ宛殖えて行くといふことが解つた。だからその軸を見つけなければ貝にならない。成程と思つて、其処をさういふ風に考へながら拵へたら、丸でこれまでのと違つて確りして動きのない拠り所が出来た。それで私は、初めてかういふものも人間の身体と同じで動勢(ムウヴマン)を持つといふことが解つた。それ迄は引写しばかりで、ムウヴマンの謂れが解らなかつたが、初めて自然の動きを見てのみこまなければならないといふことを悟つた。
それ以来、私は何を見てもその軸を見ない中には仕事に着手しない。ところがその軸を見つけ出すことは容易ではない。然し軸は魚にも木の葉にも何にでも存在する。それを間違はずに見つけ出すのは、なかなか大変ではあるが、結局自然の成立ちを考へ、その理法の推測のもとに物を見て、それに合へばいいし、さうでない時には又見直したりしてやるのである。木の葉一枚でもそれを見ないでやつたものは、本当の謂れが分らないから彫つたものが弱い。展覧会などにも、さういふ弱い作品が沢山あるが、形は本物と一寸も違はないけれども、その形の拠り所が分つてゐないから肝心のところで逃げてゐて人形のやうになつて了ふ。人形と彫刻とは丸で格段の違ひである。その違ふ製作的根拠をはつきりと気がついたのはその栄螺の彫刻の時だ。
それ以来、私は何を見てもその軸を見ない中には仕事に着手しない。ところがその軸を見つけ出すことは容易ではない。然し軸は魚にも木の葉にも何にでも存在する。それを間違はずに見つけ出すのは、なかなか大変ではあるが、結局自然の成立ちを考へ、その理法の推測のもとに物を見て、それに合へばいいし、さうでない時には又見直したりしてやるのである。木の葉一枚でもそれを見ないでやつたものは、本当の謂れが分らないから彫つたものが弱い。展覧会などにも、さういふ弱い作品が沢山あるが、形は本物と一寸も違はないけれども、その形の拠り所が分つてゐないから肝心のところで逃げてゐて人形のやうになつて了ふ。人形と彫刻とは丸で格段の違ひである。その違ふ製作的根拠をはつきりと気がついたのはその栄螺の彫刻の時だ。
(「回想録」 昭和20年=1945)
さて、この「栄螺」、所蔵する愛知県小牧市のメナード美術館さんで、現在展示中です。いわゆる所蔵品展の形で開催されている「版画と彫刻コレクション 表現×個性」での展示です。


さらに、メナードさんで所蔵するもう一点の光太郎木彫「鯰」(昭和6年=1931)も並んでいます。

こちらにも作品を収めるための袱紗(ふくさ)が附いており、やはり智恵子の縫製と考えられます。
認(したた)められている短歌は、「表現×個性」展を3月にこのブログでご紹介した際に取り上げましたが、

あながちに悲劇喜劇のふたくさの此世とおもはず吾もなまづも
という短歌です。
「栄螺」、「鯰」とも、平成25年(2013)に、やはりメナード美術館さんで開催された「開館25周年記念 コレクション名作展Ⅴ 近代日本洋画」で並んで以来の公開です。メナードさん、なかなか他館に貸し出しをして下さいませんので、貴重な機会です。
ただ、「鯰」は他に2体存在が確認されており、東京竹橋の国立近代美術館さん所蔵のものが、この夏、信州安曇野の碌山美術館さんでの企画展「光太郎没後60周年記念 高村光太郎-彫刻と詩-展」で展示されます。関連行事は当方の講演です。
こちらは近くなりましたらまた詳細をお知らせします。
さて、メナード美術館さんの「表現×個性」、来月10日までの会期です。光太郎木彫以外にも、古今東西の逸品ぞろい。ぜひ足をお運びください。