昨日、光太郎や宮沢賢治と交流のあった詩人・黄瀛の評伝『宮沢賢治の詩友・黄瀛の生涯―日本と中国 二つの祖国を生きて』をご紹介しました。

その関係で、黄瀛についてネットで調べていたところ、現在、黄瀛をメインに据えた企画展が開催されて居ることに気付きました。4月から始まっていましたが、気付きませんでした。

『宮沢賢治の詩友・黄瀛の生涯―日本と中国 二つの祖国を生きて』著者の佐藤竜一氏が理事を務める「宮沢賢治学会イーハトーブセンター」さんの主催です。 

宮沢賢治生誕120年記念事業 賢治研究の先駆者たち⑥ 黄瀛展

会  期 : 2016/04/15~10/13
会  場 : 宮沢賢治イーハトーブ館 岩手県花巻市高松1-1-1
時  間 : 8:30から17:00
料  金 : 無料

中国人を父に、日本人を母に重慶に生まれた。
日本語で詩を書き、大正時代に詩壇の寵児として活躍、宮沢賢治とは草野心平が始めた雑誌『銅鑼』を介して知り合う。
中国での宮沢賢治研究のいしずえを築いた。

イメージ 1

 

関連行事

ギャラリートーク「黄瀛と宮沢賢治」

7月2日(土)13001630

 13:00~13:30 「黄瀛の生涯」佐藤竜一(宮沢賢治学会理事)
 13:30~14:00 「黄瀛研究の現状」守屋貴嗣(法政大学非常勤講師)
 14:00〜14:30 「黄瀛と宮沢賢治」岡村民夫(宮沢賢治学会副代表理事)
 14:30〜14:40  質疑応答
 14:50〜16:20 
 ビデオ鑑賞
         「詩人・黄瀛さんを知っていますか」(1991.11.16全国放映)
         「詩人・黄瀛からの伝言」(1994.7.2、全国放映)

黄瀛、なかなかスポットライトの当たることのない詩人ですが、これを機に、彼の数奇な人生と、その特異な詩的世界についての認識が広まってほしいものです。

展示や関連行事のトークでも、光太郎に触れられると思います。

来月、盛岡に行く予定がありますので、時間を見つけて寄ってみようと思います。


【折々の歌と句・光太郎】

毒うつぎ花は美くし旅のひといづみくむ手に物を欲(ほ)りすな

明治38年(1905) 光太郎23歳

「毒うつぎ」は、その名の通り強烈な毒草です。

その花をモチーフとし、『伊勢物語』を下地にした架空の恋物語を連作短歌にしたうちの一首です。