花巻市の広報紙『広報はなまき』の記事です。
高村光太郎記念館講座 「高村光太郎の足跡を訪ねる~花巻のくらし~」
疎開のため花巻に身を寄せた光太郎が滞在した佐藤隆房邸や高村光太郎記念館、高村山荘など、ゆかりの地を巡ります。
【対象】 市内に在住または勤務する方
【日時】 5月14日(土)、午前9時30分~午後3時
【集合場所】 まなび学園
【定員】 20人(抽選)
【受講料】 無料
【申込期限】 5月2日(月)
【問い合わせ・申し込み】 生涯学習課(緯内線418)
翌日には光太郎が7年間を過ごした郊外旧太田村(現・花巻市太田)の山小屋=高村山荘で、第59回高村祭が行われます。こちらはまだ詳細な情報が出ていません。
それとセットで行おう、ということで、メインは佐藤隆房医師邸の公開です。
こちらにある離れは、光太郎が旧太田村の山荘に移るまでの1ヶ月あまりを過ごした場所です。「潺湲楼(せんかんろう)」と命名し、太田村移住後も、花巻町に出て来た時にはここを拠点にすることがたびたびありました。
こちらは光太郎が居た当時の室内。智恵子の紙絵、それから佐藤医師に請われて書いた「彧彧」(「いくいく」または「えきえき」)の書などが写っています(ともに現在は花巻高村光太郎記念館所蔵)。

下記は現在の様子です。



昨年暮れに花巻を訪れた際、この計画を聞き、急遽、下見のため中に入れていただきました。
14日当日は、当方も参上します。ただ、今年初めてこういう試みをやるということで、対象はあまり広げずに花巻市内在住及び勤務の方となっています。今後、広く参加を募ったり、他の日程で団体さんの視察等を受け入れたりすることも視野には入れているようですが。
花巻というと、どうしても花巻出身の宮澤賢治の方がメインですが、光太郎が行った賢治のプロデュースの功績も、もっと光が当たってほしいものです。
実は当方、秋にはそのあたりの内容を、花巻で講演いたします。詳細はまた近くなりましたら。
【折々の歌と句・光太郎】
よからずや垣根にちさき名なし草世にさびしきも花の色なり
明治35年(1902) 光太郎20歳
自宅兼事務所の垣根にはこんな花が咲いています。名前が分かりません。
