16日(土)、17日(日)、過日ご紹介した劇団エムズ・パーティーさんによる「十和田湖乙女の像のものがたり」朗読劇が上演されました。

地方紙に載った予告の記事はネット上に出たのですが、上演されたという記事がネットで発見できず、困っておりましたところ、十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会さんの方から、PDFファイルを戴きました。初日の公演を報じた記事でした。 

美しい十和田湖いとおしく 乙女の像さらに身近に 地元劇団、建立物語を朗読

 十和田市の劇団「エムズ・パーティー」が16日、十和田市で朗読劇、「乙女の像のものがたり」を上演した。約30人が像建立までの美しいストーリーに聴き入った。
 「乙女の像のものがたり」は十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会が2年間の調査結果をまとめ、2015年に発行した。会場の十和田市観光交流センター「ぷらっと」は乙女の像が立つ湖畔の休屋にある。
 劇では高村光太郎と智恵子との出会いや死別、乙女の像の建立に動く地元の奮闘などが紹介された。
 同市の小学校教諭・白川星智さん(42)は鑑賞後、「近くに住んでいたが像のことも高村さんのこともよく知らなかった。これを機にまた勉強して周りに広めていきたい」と感想を語った。
 劇団代表の仲島みちるさんは「子どもたちに、乙女の像は素晴らしい人々が関わってできたと知ってほしいし、地域に愛着や誇りを持ってもらいたい。観光振興の一助にもなれば」と話す。
 朗読劇は17日午後3時から、同市の市民交流プラザ「トワーレ」でも開かれる。入場は無料。
(2016/04/17 『東奥日報』)

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光太郎の人生 感情豊かに 「乙女の像のものがたり」劇団が朗読劇上演

 十和田市の劇団「エムズ・パーティー」(仲島みちる代表)は16日、十和田湖畔休屋の十和田湖観光交流センター「ぷらっと」で、朗読劇「乙女の像のものがたり」を上演し、像の作者で詩人である高村光太郎の波乱に満ちた人生を感情豊かに伝えた。
 この朗読劇は、十和田八幡平国立公園の指定80周年を記念し、十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会が編集した冊子を基に制作した。上演時間は約50分。
 会場には約40人が来場した。団員は、場面を伝えるナレーションとスクリーンに映し出される画像に合わせ、立ち上がってせりふを朗読。光太郎と妻智恵子との出会い、光太郎に像の制作が依頼される過程、制作の状況などを生き生きと演じた。
 来場者は、十和田湖を象徴する乙女の像にまつわるエピソードに興味深く見入っていた。
 この朗読劇は、17日午後3時から、十和田市民交流プラザ「トワーレ」で行われる。入場は無料。
(2016/04/17 『デーリー東北』)

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17日の公演については、十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会さんのサイトに記述があります。こちらは市街地ということもあり、100名ほどの観客があったとのこと。当初、60名の定員で告知がされましたが蓋を開けてみれば遙かに多く集まったようで、しかし、閉め出さずに皆さんに聴いていただいたというのは神対応ですね。

 最終日、十和田市トワーレ会場の様子です。
 定員を大幅にオーバーし、お手伝いで参加した私は準備等に焦りました。
 100人ほど、ビチビチで鑑賞していただきました。
 乙女の像のものがたりの本の中から「乙女の像ものがたり」を抜粋し、朗読劇で披露してくれたエムズパー
ティーの皆さんの熱演ぶりに涙がでました。
 生で感じる空気に、どっぷり物語の中に引き込まれてしまい本当に感動でした。
 アンケートや、来場の皆様からは
 「また、見たい。」
 「乙女の像って、こんな経緯で建ったんだ〜」
 「市の文化祭に発表してください」
 「学校でも、やってください」
 など、大変嬉しい声をいただきました。
 そうそう、最後に「湖畔の乙女」の歌が流れたのですが、会場は大合唱でした。
 えっ!?
 皆、知ってるんだ!!
 一冊の本が、朗読劇という表現で「乙女の像」について、皆さんに感動を与えてくれたことに感謝いたしま
す。
 スクリーンの前には、連翹とレモンが添えられていました。
 光太郎と智恵子さんも、仲良く観ていたのでしょうか・・・

「湖畔の乙女」についてはこちら

さらに当日撮影された画像と短い動画も送って下さいました。全編を撮影した動画も後ほど下さるそうです。感謝。

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スクリーンの左下に写っている白い頭は、小山田十和田市長、右のピンクの服の方々は、花巻市からいらした観光ガイドの方々だそうです。ありがたいですね。

メールには「観終わった方たちは、こんな素晴らしい話があっことを知らなかった、もっと子どもたちに教えたほうがいい、と興奮気味でした。」「朗読劇に取り組んだ、劇団エムズパーティーでは、DVDの作成や、外国語版なども作りたいと話していました。」とありました。話半分に聞いても、原作者としては嬉しい限りです。もっとも、原作といっても、誰が書いても同じような話になるわけで、それだけ光太郎智恵子その他の生き様が鮮烈だったということですね。

エムズ・パーティーさんもお忙しいとは存じますが、いろいろなところで再演されることを望みます。


【折々の歌と句・光太郎】

花やいかに歌やいくつのさてつらきただ春の雨むらさきなりき
明治34年(1901) 光太郎19歳

この時期の作には鉄幹与謝野寛の添削がかなり入っているということですが、「雨」を「むらさき」と見るあたりに造形作家としての特別な目が感じられます。