青森県十和田市さんで、本日発行の『広報とわだ』。裏表紙に今週末から始まる「光と雪のページェント 十和田湖冬物語2016」の案内が大きく出ています。

過去の画像だとは思いますが、ライトアップされた光太郎作の「乙女の像」の写真も。

それから、地元紙『東奥日報』さんに昨日載った記事です。
人間の姿十和田・八甲田地区 1日国立公園指定80周年
十和田八幡平国立公園(青森県)の十和田・八甲田地域が2月1日、指定80周年を迎える。奥入瀬渓流や十和田湖、八甲田連峰などの豊かな自然が国内外からの観光客を魅了し続けてきた。同日には、環境省などが記念のロゴマークを発表する。
同公園は、本県と岩手、秋田の三県にまたがり、湖沼や渓流、山岳からなる。総面積は8万5千ヘクタール。1936(昭和11)年に十和田湖、奥入瀬渓流、八甲田連峰一帯(十和田・八甲田地域)が指定を受けた。十和田湖・奥入瀬渓流を世に紹介した明治・大正期の文人、大町桂月は、国に請願文を提出し、国立公園指定に尽力した。
また、20年後の56年には、八幡平、岩手山、秋田駒ケ岳の一帯(八幡平地域)まで国立公園の範囲が拡張された。
ロゴマークは、環境省東北地方環境事務所と同地域に関係する自治体などで構成する選考委員会が一般から募集、審査した。節目の年を広くアピールするために活用される。
記念式典(環境省と青森県、秋田県3者の共催予定)は7月9日、十和田湖畔休屋地区で実施する。フォーラムなどを通じてこれまでを振り返るとともに、同国立公園の将来の方向性を探る。
同公園は、本県と岩手、秋田の三県にまたがり、湖沼や渓流、山岳からなる。総面積は8万5千ヘクタール。1936(昭和11)年に十和田湖、奥入瀬渓流、八甲田連峰一帯(十和田・八甲田地域)が指定を受けた。十和田湖・奥入瀬渓流を世に紹介した明治・大正期の文人、大町桂月は、国に請願文を提出し、国立公園指定に尽力した。
また、20年後の56年には、八幡平、岩手山、秋田駒ケ岳の一帯(八幡平地域)まで国立公園の範囲が拡張された。
ロゴマークは、環境省東北地方環境事務所と同地域に関係する自治体などで構成する選考委員会が一般から募集、審査した。節目の年を広くアピールするために活用される。
記念式典(環境省と青森県、秋田県3者の共催予定)は7月9日、十和田湖畔休屋地区で実施する。フォーラムなどを通じてこれまでを振り返るとともに、同国立公園の将来の方向性を探る。

十和田湖畔休屋の御前ケ浜にたたずむ「乙女の像」。十和田湖を広く世に紹介した文人・大町桂月らの功績をたたえるとともに、国立公園指定15周年を記念して県が1953(昭和28)年に建立した
キャプションにあるとおり、「乙女の像」は国立公園指定15周年を記念して、当地の景勝美を広く世に紹介した大町桂月、道路整備等に腐心した元知事の武田千代三郎と元法奥沢村長の小笠原耕一の功績をたたえるために建てられました。したがって、正式名称は「十和田国立公園功労者顕彰記念碑のための裸婦像」といいます。
毀誉褒貶いろいろある像ですが、それでも何だかんだいいながら、ある意味十和田湖のシンボルとしてすっかり定着していますね。詳しくは昨年、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんの編集で刊行された『十和田湖乙女の像のものがたり』をご参照下さい。
今夏には記念の式典・フォーラムが催されるそうですし、今日は環境省から記念のロゴマークが発表されるそうです。続報に注意しようと思います。
【折々の歌と句・光太郎】
きさらぎや町ゆけば何ぞ女多き 明治42年(1909) 光太郎27歳
既に何句かご紹介したスイス経由イタリア旅行中の作です。パリに居た留学生仲間の津田青楓に送った書簡にしたためられました。書簡の日付は4月2日ですが、この年の旧暦に換算すると、閏2月12日。「きさらぎ」ですね。遠く欧州に居て、日本を離れること既に3年あまり経っていましたが、旧暦をちゃんと知っていたというのも面白いと思いました。