昨日からの続きで、今年あった光太郎智恵子、光雲をめぐる主な出来事を振り返ります。今日は5月から8月。
書籍等の刊行日は、奥付記載の日付を採りました。実際に店頭に並んだ日とずれている場合があります。
5月6日(水) 大田区のライブハウス・風に吹かれてに於いて、シンガーソングライター潮見佳世乃さん演奏の「歌物語コンサート 智恵子抄」が開催されました。
5月15日(金) 岩手花巻の高村山荘敷地で第58回高村祭が開催されました。特別講演は当方の「高村光太郎と花巻・山口」でした。


また、花巻高村光太郎記念会より佐藤隆房編著『高村光太郎山居七年』が復刻されました。元版は昭和37年(1962)でした。


やはり同日、日本古書通信社から月刊で発行されている『日本古書通信』第1030号で、廣畑研二氏「幻の詩誌『南方詩人』」の連載が始まりました。鹿児島の詩誌『南方詩人』に関しての調査で、これまで知られていなかった光太郎の翻訳等が掲載されていたことが報じられました。8月15日発行の第1033号まで連載されました。
5月17日(日) 仙台市Jazz Me Blues Nolaにおいて、「無伴奏ヴァイヲリンと朗読「智恵子抄」」の公演が行われました。ヴァイオリン・佐藤実治氏、朗読・荒井真澄さんでした。


5月25日(月) 幻戯書房から奥田万里氏著『大正文士のサロンを作った男 奥田駒蔵とメイゾン鴻乃巣』が刊行されました。「パンの会」会場にもなったメイゾン鴻乃巣店主・奥田駒蔵評伝。随所で光太郎に触れています。
5月25日(月)~8月16日(日) 武蔵野美術大学美術館に於いて「近代日本彫刻展 −A Study of Modern Japanese Sculpture−」が開催されました。1月~4月、英国ヘンリー・ムーア・インスティテュートにて開催されたものの日本巡回。日本展では、木彫「白文鳥」、東京国立近代美術館及び台東区朝倉彫塑館所蔵の、二種類のブロンズ彫刻「手」(ともに光太郎自身が台座を木彫で制作したもの)が展示されました。ブロンズ部分を取り外して撮影された珍しい写真を含む図録が刊行されました。


5月27日(水)~31日(日) 千葉県流山市の生涯学習センターで「後閑寅雄喜寿チャリティ書画展」が開催されました。「参考借用陳列敬仰作品」に、明治末と推定できる光太郎の未知の短歌が記された短冊(神田玉川堂さんの所蔵)が出品されました。
5月31日(日) NHKEテレで「日曜美術館 一刀に命を込める 高村光雲が生きた道」が放映されました。再放送、6月7日(日)。

6月6日(土) 福島二本松市の智恵子生家で、智恵子の部屋を含む通常非公開の2階部分限定公開が始まりました。8月23日(日)まで、10・11月と平成28年2月の土日祝日に実施されました。


6月9日(火) 静岡沼津の地方紙『沼津朝日』に「沼津に足跡残す高村智恵子 ゆかりの大熊家の所在知りませんか 智恵子が描いた一枚の絵 エッセイストがモデルの木を探す」という記事が掲載されました。坂本富江さんによる沼津での大正年間の智恵子足跡調査を報じています。
6月16日(火) 『朝日新聞』の東北版に「戦争協力、自ら罰した光太郎」と題する記事が掲載されました。同紙北上支局長・石井力氏の執筆でした。
6月17日(水)~21日(日) 東京芸術劇場ギャラリー1に於いて、「心のアート展 創る・観る・感じる パッション――受苦・情念との稀有な出逢い」が開催されました。東京精神科病院協会主催。智恵子の紙絵(複製)、書簡類などの関連資料が展示されました。図録には北川太一先生の「智恵子の場合」が収められました。


7月1日(水) 青森県十和田市の広報紙『広報とわだ』に「特集 十和田湖再発見」が組まれ、「十和田湖畔の裸婦像(通称・乙女の像)」について詳しく紹介されました。
7月7日(火) 虹の会より文芸同人誌『虹』第6号が刊行されました。豊岡史朗氏「〈高村光太郎論〉晩年」が収められました。


7月29日(水) 十和田湖畔の観光交流センターぷらっとにおいて、「「乙女の像」でつながる花巻市太田地区のみなさんと十和田湖関係者との交流会」が開催されました。十和田市と花巻市が友好都市交流を行っている縁で、光太郎が戦後の七年間を暮らした旧太田村の太田地区振興会が十和田湖を訪問、十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会さんなどがこれを迎えました。

7月30日(木) 晶文社から、森まゆみ氏著『「谷根千」地図で時間旅行』が刊行されました。古地図や絵図などを読み解くことで、光太郎ら千駄木周辺で生きた人々の息遣いをたどるというコンセプトでした。
同日、文芸同人誌『青い花』第四次81号が発行されました。宮尾壽里子氏「「第59回連翹忌」に参加して」を収めています。
同日、文芸同人誌『青い花』第四次81号が発行されました。宮尾壽里子氏「「第59回連翹忌」に参加して」を収めています。


8月3日(月) BSフジで「発掘!歴史に秘めた恋物語〜高村光太郎と智恵子〜決して女神でない」が放映されました。ゲストコメンテーターは、詩人・郷原宏氏、女優・石田えりさん。北川太一先生、智恵子の里レモン会副会長・根本豊徳氏らがビデオ出演しました。

8月7日(金) 紅書房から星野晃一編『多田不二来簡集』が刊行されました。詩人・多田不二のもとに寄せられた、光太郎からの5通を含む各界著名人194名からの書簡集です。
8月9日(日) 宮城県女川町きぼうのかね商店街で、第24回女川光太郎祭が開催されました。町内外の人々による朗読、当方による記念講演、北川太一先生の講話などが行われました。


8月18日(火)~31日(月) 千葉県勝浦市芸術文化交流センター・キュステにおいて、第39回千葉県移動美術館「高村光太郎と房総の海」が開催され、千葉県立美術館所蔵の光太郎ブロンズ6点が展示されました。
8月19日(水) 『東京新聞』の千葉中央版に「〈九十九里の赤とんぼ 千葉の戦後70年〉智恵子が愛した砂浜 句に込めた平和への思い」が掲載されました。


8月24日(月)~10月30日(金) ノエビア銀座ギャラリーにて、銅版画家山本容子さんの「山本容子のアーティスト図鑑」展が開催されました。雑誌『本の話』(文藝春秋)の表紙画として作成されたアーティストの肖像画32点が並び、光太郎と智恵子のそれも展示されました。
8月28日(金) 書肆心水から『異貌の日本近代思想1』が刊行されました。「高村光太郎……美と生命/日本美の源泉」を含みます。
明日は最終回的に、9月から12月篇をお届けします。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月30日
平成9年(1997)の今日、元花巻高村記念会事務局長、浅沼政規が交通事故で歿しました。
浅沼は宮澤賢治の教え子で、戦後、光太郎がいた頃の太田小学校山口分教場(のち山口小学校に昇格・下記参照)の校長先生でした。その分教場を光太郎は「風の又三郎の舞台のよう」と言っていました。氏には『高村光太郎先生を偲ぶ』(平成7年=1995 ひまわり社)などの貴重な光太郎回想があります。


ご子息の隆氏は今も山荘近くにお住まいで、花巻の財団法人高村記念会理事として、毎年5月15日の高村祭開催に尽力されています。