早いもので、今年もあと残すところ3日となってしまいました。

今日から3日間、4ヶ月ずつ区切って、今年あった光太郎智恵子000、光雲をめぐる主な出来事を振り返ります。書籍等の刊行日は、奥付記載の日付を採りました。実際に店頭に並んだ日とずれている場合があります。

1月2日(金) 台東区東京国立博物館内の黒田記念館が、約三年間かけての耐震工事を終え、リニューアルオープンしました。二階黒田記念室入り口には、昭和7年、光太郎作の黒田清輝胸像が再び据えられました。

1月10日(土) NHKEテレにて、「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第5回吉本隆明」が放映されました。当会顧問・北川太一先生がビデオ出演し、吉本と光太郎について語りました。再放送、17日(土)。

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1月16日(金)~19日(月) 兵庫県伊丹市立演劇ホールAI・HALLにて、劇団青年団主催の演劇公演「暗愚小伝」が行われました。作・平田オリザ氏。光太郎が主人公。前年10月の東京公演の地方巡回でした。22日(木)~24日(土)、香川善通寺市四国学院大学ノトススタジオに巡回公演されました。

1月17日(土)~3月22日(日) 福島県いわき市立草野心平記念文学館で、「平成26年度所蔵品展 草野心平と高村光太郎往復書簡にみる交友」が開催されました。戦後、光太郎と心平の間に交わされた四十通余りの往復書簡、心平「高村光太郎病床日記」他が展示されました。

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全く同一の日程で、群馬県立土屋文明記念文学館において、第87回企画展「近代を駆け抜けた作家たち~文豪たちの文字は語る~」が開催され、光太郎書も展示されました。2月15日(日)、記念講演会「編集者の仕事とは」。講師・石原正康氏(幻冬舎取締役兼専務執行委員編集本部本部長)。

1月28日(水)~4月19日(日) 英国リーズ市ヘンリー・ムーア・インスティテュートにおいて、武蔵野美術大学との共催による「A Study of Modern Japanese Sculpture」が開催されました。光太郎彫刻「白文鳥」「手」、他に、橋本平八、佐藤朝山、水谷鉄也、宮本理三郎の作品が展示されました。

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1月31日(土) 東洋出版社から『未来を拓く 学校の力 地域と学校の心触れ合う教育活動』が刊行されました。全国連合退職校長会編。光太郎が卒業生である荒川区第一日暮里小学校の元校長・天野英幸氏「バトンを繋ぐ」を収めます。学校図書館の活用により、6年生の総合的な学習の時間に於ける、先輩・光太郎についての調べ学習や、全校生徒による光太郎詩の群読などについて述べられています。

2月9日(月) NHKBSプレミアムで、「にっぽん百名山 安達太良山」が放映され、「智恵子抄」に触れられました。再放送、15日(日)、19日(木)。

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2月11日(水) NHK総合テレビで「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」が放映されました。北川太一先生、作家・津村節子氏、太田村時代の光太郎を知る高橋愛子さんらがビデオ出演しました。司会、渡邊あゆみさん。再現ドラマの部分は、光太郎役を鈴木一真さん、智恵子役を前田亜希さんが演じました。再放送、2月18日(水)、11月4日(水)。

2月14日(土) ネイチュアエンタープライズから山岳雑誌『岳人』第813号が刊行されました。特集「言葉の山旅 山と詩人 上高地編」。当方執筆の「高村光太郎と智恵子の上高地」を含む他、草野心平、尾崎喜八等にも触れています。

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2月20日(金) 八木書店から日本近代文学館編『近代文学草稿・原稿研究事典』が刊行されました。「第四部 作家的事例」で、群馬県立女子大学教授・杉本優氏が光太郎の項を担当しました。

2月21日(土)〜4月12日(日) 山口県立美術館で、「特別展 超絶技巧!明治工芸の粋」が開催されました。前年4月から日本橋三井記念美術館他で開催された展覧会の地方巡回。光雲作「西王母」「法師狸」の木彫二点が展示されました。郡山市立美術館(4月21日(火)~6月14日(日))、富山県水墨美術館(6月26日(金)~8月16日(日))、岐阜県現代陶芸美術館(9月12日(土)~12月6日(日))にも巡回しました。

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2月21日(土)〜5月17日(日) 京都市の清水三年坂美術館で、企画展「明治の彫刻」が開催され、光雲木彫「聖観音像」「月宮殿天兎」「老子出関」「西行法師」が展示されました。

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2月25日(水) ハーツ&マインズから品川区の地域情報誌『月刊おとなりさん』第380号が刊行されました。「特集 智恵子 愛と芸術の生涯」を収めています。

3月1日(日) 『佛教大学大学院紀要 文学研究科篇 第四十三号』が発行されました。佛教大学総合研究所特別研究員・田所弘基氏「高村光太郎の短歌と美術評論 ―留学直後の作品を中心に―」を収めています。

3月10日(火) 十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会編刊『十和田湖乙女の像のものがたり』が刊行されました。平成25・26年度、十和田市づくり市民活動支援事業の助成により、建立から60年を経た「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の背景を多方面からまとめたもの。当方が監修と一部執筆を担当させていただきました。

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3月12日(木) 現代企画室から『少女は本を読んで大人になる』が刊行されました。クラブヒルサイド+スティルウォーター編。平成25年から翌年にかけ、全10回で行われた読書会「少女は本を読んで大人になる」の筆記を元にしたもの。彫刻家・舟越保武の長女、末盛千枝子さんの「高村光太郎著 『智恵子抄』を読む」を含みます。

3月20日(金) 日本近代文学館から『日本近代文学館年誌―資料探索 第10号』が発行されました。上智大学教授小林幸夫氏「〈軍服着せれば鷗外だ〉事件 ―森鷗外「観潮楼閑話」と高村光太郎」を含みます。

3月21日(土)~6月21日(日) 宮内庁三の丸尚蔵館において、「第68回展覧会 鳥の楽園-多彩,多様な美の表現」が開催され、光雲木彫「松樹鷹置物」「矮鶏」が展示されました。

4月1日(水) 東京国際芸術協会から、野村朗氏作曲『連作歌曲智恵子抄~その愛と死と~』楽譜集が刊行されました。森山孝光、康子夫妻演奏による同曲のCDも同日発行されました。

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4月2日(木) 第59回連翹忌が、日比谷松本楼に於いて開催されました。

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この日、『光太郎資料43』が参加者に無料配布されました。当会の刊行です。

また、高村光太郎研究会より『高村光太郎研究36』が刊行されました。北川太一先生「高村光太郎・最後の年 1月⑵」、山田吉郎氏「高村光太郎と雑誌『創作』―自選短歌を中心に」、坂本富江さん「詩人野澤一という人―そして高村光太郎との関係性―」、当方執筆の「光太郎遺珠⑩」「高村光太郎没後年譜」、野末明氏「高村光太郎文献目録」「研究会記録・寄贈資料紹介・あとがき」。

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同日、文治堂書店から、北川太一先生の『ヒユウザン会前後―光太郎伝試稿―』が刊行されました。『高村光太郎研究』連載の単行本化です。

やはり同日、岩手花巻でも、旧太田村の光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)近くで詩碑前祭、松庵寺にて花巻連翹忌が開催されました。

さらに同日、和歌山県高野町の高野山真言宗総本山・金剛峯寺で、開創千二百年記念大法会が始まりました。これまで開帳された記録が残っていない、高野山の総本堂、金堂の本尊・薬師如来像(光雲作)の特別開帳が行われました。5月21日(木)まで。

この日はいろいろ重なり、港区の増上寺でも、新たに宝物展示室がオープンしました。光雲が監修に名を連ね、東京美術学校が制作した英国ロイヤルコレクション所蔵の「台徳院殿霊廟模型」(徳川二代将軍・秀忠霊廟)が展示されています。明治43年、ロンドンで開催された日英博覧会に東京市の展示物として出品されたものです。

4月16日(木) 墨田区すみだトリフォニーホールに於いて「第25回 21世紀日本歌曲の潮流」が開催され、森山孝光、康子夫妻により、野村朗氏作曲『連作歌曲智 恵子抄~その愛と死と~』が演奏されました。

4月20日(月) 小学館より石川拓治氏著『新宿ベル・エポック 芸術と食を生んだ中村屋サロン』が刊行されました。中村屋創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻、碌山荻原守衛を中心とし、光太郎にも触れています。

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4月22日(水) 碌山美術館より『荻原守衛書簡集』が刊行されました。守衛の書簡約百五十通、光太郎を含む守衛宛の書簡が、原本が残る物は全て写真付で収められています。

4月28日(火) 花巻高村光太郎記念館がリニューアルオープンしました。平成25年5月から、元の花巻市歴史民俗資料館を改装し、暫定オープンしていたものが、全面的な改修工事を行い、展示室面積はおよそ2倍となりました。

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4月30日(木) 邑書林からわたなべじゅんこ氏著『歩けば俳人』が刊行されました。光太郎を含む十五名の文化人の俳句に言及しています。

明日は、5月~8月の出来事を。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月29日

平成16年(2004)の今日、東海テレビ・フジテレビ系で放映されていた昼の帯ドラマ「愛のソレア」が最終回を迎えました。

荻野目慶子さん主演。東海テレビさん制作のいわゆる「ドロドロの昼ドラ」です。昭和30~50年代を舞台とし、随所に光太郎の詩が用いられました。

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