12/12(土)、雄物川郷土資料館さんで第3回特別展「横手ゆかりの文人展 大正・昭和初期編 ~あの人はこんな字を書いていました~」を拝観するなどした秋田横手をあとに、夕方には花巻に到着しました。

在来の花巻駅で花巻高村記念会の高橋事務局長のお出迎えを受け、まずは宿屋に荷物を置きに行きました。今回は急に決めての東北行だったので、宿も駅前の商人宿に素泊まりです。荷物を置いた後、高橋事務局長のご案内で、歩いて夕食を摂りに行きました。

花巻駅、そして宿のすぐ近くにある伊藤屋さんという大衆食堂です。下の画像は、翌朝撮影しました。

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建物自体は新しくなっていましたが、ここはかつて光太郎が食事をした店だそうで、帰ってから調べてみましたところ、なるほど、戦後の光太郎日記に記述がありました。

朝会計をすまし、山にゆかんとせしがリユツクが重すぎるので花巻駅にゆき、伊藤屋にて中食、ハイヤーをたのみて院長さん宅に来る。二三日又滞在のつもり。(昭和26年=1951 2月2日)

会計云々は、前月23日から宿泊していた大澤温泉です。「花巻駅」は今は廃線となった花巻電鉄。当時、大澤温泉を含む花巻南温泉峡とつながっていました。


畑の手入れ後花巻に出て院長さん宅に泊まる、 伊藤屋にて中食中院長さん車で迎に来らる、八戸の弟さん同乗、(昭和27年=1952 7月10日)

花巻郊外太田村の山小屋から花巻町に宿泊に来た時の日記をあたってみると、以上の記述がありました。日帰りで町に出て来た時については調べていませんので、もしかするとまだあるかもしれません。また、日記も欠落が多いので、記録に残っていない来店もあるのではないでしょうか。

さて、当方、伊藤屋さんでさらに花巻市役所の方と合流。いろいろと打ち合わせをしました。また近くなって正式に決まりましたらご紹介しますが、いろいろと新しい事業を計画中だとのことです。

まず、佐藤隆房邸の一般公開。計画では来年5月14日の土曜日(翌日は旧太田村の高村山荘敷地内で高村祭です)。上記光太郎日記にある「院長さん宅」というのがそれで、光太郎は昭和20年(1945)の9月10日~10月17日の一ヶ月余り、ここで暮らしました。

順を追って説明しますと、この年4月13日に、智恵子と暮らした東京駒込林町のアトリエが空襲で全焼。しばらくは近所にあった妹の婚家に身を寄せていた光太郎は、5月15日に花巻に向けて東京を発ちます。賢治を広く世に紹介してくれたということで、恩義を感じていた宮澤家、そして賢治の主治医だった総合花巻病院長・佐藤隆房の招きに応じてのことでした。

花巻では最初に宮澤家に厄介になりましたが、8月10日の花巻空襲で宮澤家も全焼。そこで花巻町南舘の元花巻中学校長・佐藤昌宅に移ります。さらに9月10日は佐藤隆房邸に移ったわけです。

佐藤邸では離れの2階を借り、ここを「潺湲楼(せんかんろう)」と命名、その後、太田村に移ってからも、花巻町に出て来た時にはよく泊めてもらっていました。これも上記日記の通りです。

こちらは現在も佐藤隆房の子息・進氏(花巻高村記念会理事長)夫妻がお住まいですが、来年5月14日(土)に一般公開するという予定だそうです。時間を決めて公開し、三々五々自由に来てもらうか、市民講座のような形で参加者を募集してバスツアーのような形にするか、そうすると県外などからの希望者はどうするかなど、詳細はこれからです。


2点目、光太郎縁戚の方の手記。盛岡に光太郎の縁戚―それも父方、母方双方につながる―の方がいらっしゃり、今年、そちらのお宅に伝わる光雲・光太郎関係資料等をまとめた手記を書かれました。それを高村記念会として出版するという計画もあるそうです。コピーを戴いて、帰りの新幹線の車中で拝読しましたが、今まで知られていなかったエピソード、見たことのない写真、『高村光太郎全集』未収録の光太郎書簡などが満載で、実に貴重なものです。母方でみれば光太郎の従姉妹にあたる方が98歳でご存命。高橋事務局長がその方のお宅でインタビューなさっているDVDをいただきましたが、それを見ると、まだまだお元気でしっかりされています。手記を書かれたのはその方のご子息です。


その他にも、佐藤家の関係で光太郎筆の色紙が寄贈されるとか、記念館のパンフレットを新たに編集して刊行するとか、記念館の企画展で智恵子紙絵の現物を展示するとか、実に様々な話になりました。それぞれ時期は未定ですが、おおむね来年の話です。詳細が決まったらお知らせします。


かくて伊藤屋さんでの夜も更け、宿屋に退散。翌日は高村光太郎記念館、高村山荘、そして先述の佐藤隆房邸などを回りました。その辺りは、また明日以降に。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月15日

昭和44年(1969)の今日、箱根彫刻の森美術館で企画展「近代日本の彫刻」が開幕しました。

翌年3月31日迄の会期で、光太郎彫刻も7点展示されました。下記は図録の表紙。光太郎の木彫「蓮根」(昭和5年=1930)の写真が使われました。

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