昨日は愛車を駆って埼玉、栃木方面に行っておりました。000

まずは埼玉県加須市のサトヱ記念21世紀美術館さん。スポーツで有名な埼玉栄高校さんなどを含む佐藤栄(サトエ)グループさんによる私設美術館で、同じ傘下の平成国際大学さんが隣接していました。関東平野のど真ん中といった場所なので、広大な土地が利用可能だったようです。

こちらでは、先週から「生誕130年記念 斎藤与里展 ~巨匠が追い求めた永遠なる理想郷~」という、光太郎の盟友・斎藤与里(明18=1885~昭34=1859)にスポットを当てた企画展を開催中です。加須が与里の故郷であり、晩年の20年間を過ごした地でもあることによります。

「日本庭園と彫刻と絵画の美術館」というキャッチフレーズのとおり、門をくぐると、広大な庭園と、ブロンズ彫刻の数々。中にはロダン、佐藤忠良、舟越保武、橋本堅太郎など、光太郎ゆかりの作家の作品もありました。

庭園も立派で、もう少し経つと紅葉も見られるのかな、と思いました。池の鯉は非常に元気でした(笑)。

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館内に入り、まず常設展を拝観しましたが、こちらにもロダン作品が多数、さらに荻原守衛の「女」まであり、驚きました。

さて、企画展。80点ほどの与里の絵画作品が中心で、中村屋サロン美術館さんの特別展示でも感じましたが、どれも温かみのあるいい絵でした。下記はチラシですが、クリックで拡大します。

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解説パネルにも書いてありましたが、与里はその生涯に於いて、一定の画風というのは持たず、常に進化を続けようと模索を続けていました。もちろん、そ001の根底には一本の芯が通っているのですが、青年期と晩年では、大きく画風が異なっていました。また、一見似たように見える同時期の作品群でも、筆致が少しずつ変化していくさまも見えました。

絵画以外の資料も充実していました。光太郎との接点であるヒユウザン会(のちフユウザン会)がらみの展示を特に興味深く拝見しました。

一番驚いたのは、大正元年(1912)11月23日、与里が青森の安田秀二郎に宛てた巻紙墨書の書簡。第1回ヒユウザン会展の直後で、安田はこの時、光太郎の油絵「自画像」を購入しています。右の画像のものですが、作品自体はのちに焼失してしまいました。

書簡には、この自画像が売れた後の光太郎をおちょくる戯画が描かれています。題して「顔の売れた侠客」。

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この書簡の存在は知っておりましたが、現物は初めて見ました。

このあたりの資料は、連翹忌ご常連の佐々木憲三氏のご提供でした。佐々木氏はこの企画展の関連事業として、来年に講演をなさいます。受付でそのチラシを戴きましたので、貼り付けておきます。

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さて、サトヱ記念21世紀美術館さんをあとに、次なる目的地、栃木県佐野市の佐野東石美術館さんを目指しました。こちらでは、「木彫の美-高村光雲と近現代の彫刻-」が開催中です。もう少し早く行くつもりだったのですが、何やかやで昨日になってしまいました。

佐野市は近年、「佐野ラーメン」で有名になりましたが、旧街道沿いにレトロな建築が立ち並ぶ、郷愁溢れる町でした。

同館はコンクリートの原料や線路の敷石などに使われる砕石を扱う東京石灰工業株式会社の社長だった・故菊池登氏が、文化教養の高揚に寄与する目的で設立されたとのこと。本社ビルの一角が美術館となっていました。

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「高村光雲と近現代の彫刻」と銘打たれていましたが、光雲作品は2点のみでした。大正9年(1920)の「牧童」、昭和7年(1932)の「狛犬」です。

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 また、光雲の盟友で東京美術学校での同僚でもあった石川光明、光雲の弟子の山崎朝雲、平櫛田中、さらにそれらの弟子―つまりは光雲の孫弟子―に当たる作家の作品が多く、「光雲の系譜」的な感じでした。

ただ、そうした系譜の作家の中には、独自色を出そうとするあまり、かえってそれが「臭み」となって、「これはどうなのかなあ」と思わせるような作もありました。師の引き写し、守旧一辺倒ではむろん駄目なのでしょうが、独自色も出し過ぎでは自らの首を絞める結果になり、難しいところですね。

光雲の弟子、といえば、陶芸家の板谷波山も東京美術学校彫刻科の卒業生です。しかし、彫刻ではなく、陶芸の道に進み、そちらで名を為しました。波山の作品も展示されていました。

帰りがけ、受付で光雲の「牧童」のポストカードが目にとまり、購入してきました。これはここでしか手に入らないと思います。

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サトヱ記念21世紀美術館さんの「生誕130年記念 斎藤与里展 ~巨匠が追い求めた永遠なる理想郷~」は来年3月13日まで、佐野東石美術館さんの「木彫の美-高村光雲と近現代の彫刻-」は12月20日までです。ぜひ足をお運びください。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月31日

大正8年(1919)の今日、智恵子の母校・日本女子大学校の同窓会誌『家庭週報』第539号に、評論「展覧会の作品批評を求められて」が掲載されました。

NHKさんの朝ドラ「あさが来た」。日本女子大学校創立のために尽力する広岡浅子の生涯を追っているものですが、はまっています。

12月に智恵子の故郷二本松で市民講座「智恵子講座’15」の講師を仰せつかっておりまして、テーマが「成瀬仁蔵と日本女子大学校」。そこで改めていろいろ調べ始めましたが、広岡浅子と智恵子が一緒に写った写真や、同じ会合に出席していた記録なども見つかりました。くわしくはのちほど。