昨日、福島二本松に行き、「智恵子講座’15」及び智恵子記念館の紙絵実物展示と智恵子生家二階の限定公開に足を運んで参りましたので、レポートいたします。

一昨日は京都、名古屋と廻り、東京まで戻って1泊、朝6時台のやまびこに乗り、郡山から東北本線に乗り換えて、9時過ぎに二本松に到着しました。

快晴のほんとの空の下、智恵子像が出迎えてくれました。

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000まずは「智恵子講座’15」というわけで、智恵子像の背後に写る二本松市民交流センターへ。

来年までに8回の連続講座で、昨日は開講式と、第一回の講座 「長沼家の家族とふるさと二本松」、講師は智恵子の里レモン会会長の渡辺秀雄氏でした。

氏は、戦後の花巻郊外太田村の山小屋に光太郎を訪ねて行ったこともある初代会長、故・伊藤昭氏の跡を継いで、第2代レモン会会長を務められ、先週行われた智恵子忌日の集い「レモン忌」を主催されています。

そういうわけで、氏の元には智恵子やその血縁者に関する情報等がかなり集まっているということで、それを元に、昨年は地元紙『福島民報』さんに「ふくしま人 高村智恵子」という5回にわたる連載をされました。

当方もさんざんお世話になっておりますし、新たな情報が聞けるのではないかと期待しつつ、二本松まで足を運びましたが、期待以上の内容でした。

特に智恵子の血縁者に関し、当方も知らない内容が盛りだくさんで、驚きました。レモン忌の折に少しお話を伺ってはいたのですが、智恵子の祖父・長沼次助の血族がまだ新潟に続いていることなど。

他にもいろいろあるので、新潟にはいずれ調査に行かねば、と改めて思いました。

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ちなみに、過日、同講座についてお知らせした際、会場はすべて二本松市民交流センターとお伝えしましたが、その後変更となり、第2回~第4回は、同じ二本松市の福島県男女共生センターに変更だそうです。

さて、講座修了後、再び二本松駅へ。霞ヶ城では菊人形を開催中ということで、ホームにも菊が展示されていました。

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今年の菊人形は、「幕末維新伝」がテーマ。昨年と違って光太郎智恵子に関わる展示がないようなので、申し訳ありませんがパスし、東北本線で一駅、安達駅を目指しました。

10/14追記 今年も智恵子の人形がでているとのことでした。すみません。

普段、二本松には車で行ってしまうので、安達駅に降り立つのは10年ぶりぐらいでしょうか。ホームには光太郎詩「樹下の二人」から有名なリフレイン「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」を刻んだモニュメントが。ただし、「阿多多羅山は一般的な表記の「安達太良山」に換えられています。

安達駅は今後、改築の計画があるそうですが、これは残してもらいたいものです(あるいは新しく作り直すか)。

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駅前には折り鶴のモニュメントも。イルミネーションでしょうか。

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智恵子の名を刻んだ碑、智恵子の母校・油井小学校などを横目にしつつ、ここから1.5㎞ほど歩き、智恵子生家・智恵子記念館を目指しました。

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生家の2階公開は、午前11:00~12:30と午後1:30~3時の2回。当方が着いたのは1時頃で、先に記念館をじっくり拝観しました。生家の公開もある影響でしょうか、普段よりお客様が多いように感じました。

菊人形期間ということで、10月8日(木曜日)~11月24日(火曜日)の予定で、紙絵の実物10点が特別公開されています。昨年もこの期間に実物を拝観しましたが、昨年とは別の作品も並んでおり、興味深く拝見しました。やはり複製にはない智恵子の息づかいが胸に迫ってきます。

少し前に、智恵子の母校・油井小学校を撮った古絵葉書を入手しました。宛名面の様式から判断すると、明治30年(1897)から大正6年(1917)までのものです。智恵子は明治26年(1893)に入学、同34年(1901)に卒業していますから、まさしくその時期のものです。

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こんなものを見つけたよ、というわけで、先日のレモン忌に、絵葉書の実物と、スキャンしてA4判にプリントアウトしたものをお持ちし、複製の方は記念館に展示して下さいとお願いして置いていったところ、早速、入ってすぐの展示ケース、智恵子の学籍簿と一緒に並べて下さっていました。

そうこうしているうちに、1時半。いよいよ生家2階の公開です。

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普段、外から拝観している1階部分も、上がり込むのは初めてでした。

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急な階段を上って2階へ。上がってすぐの四畳半が智恵子の部屋でした。

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襖の奥の九畳間は、光太郎が訪れた際に寝泊まりした部屋とのこと。どちらも天井が低く、いかにも昔の家です。

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さらにもう一部屋、十二畳の横長の部屋。こちらは天井はなく、梁がむき出しでした。

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なぜか涙が出そうになりました。

その後、1階部分も拝観。

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こちらの仏壇や内部の仏像も、もともとここにあったもの。長沼家破産・一家離散後に債権者から持ち出されたものですが、元に戻っています。

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再び外に出ると、「ほんとの空」そして庭には赤とんぼ。
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智恵子やその血縁者の息吹が感じられ、大満足でした。これは本当に一見の価値があります。上記チラシで日程をご確認の上、ぜひぜひ足をお運び下さい。


ところで「ほんとの空」といえば、来週、テレビ番組で「ほんとの空」からの眺めが扱われます。テレビ東京系のBSジャパンさんで放映の「空から日本を見てみよう+」という番組です。以前には十和田湖の「乙女の像」をご紹介下さいました。

空から日本を見てみよう+ 福島県郡山~二本松 東北第二の都市から絶景安達太良山へ

BSジャパン 2015年10月20日(火)  20時00分~20時55分

安積疎水による開発で産業が大きく飛躍し東北第二の都市となった郡山市から、本宮市、城下町のユニークな歴史が残る二本松市の絶景安達太良山まで空から眺めていきます。

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阿武隈川沿いに郡山駅へ。駅前には緑色のどこでもドアのようなものが。さらに町なかには、楽器の形を模したベンチがたくさんあります。行列ができる和菓子店を見ながら駅前の通りをさらに進むと、造りかけの高速道路のようなものを発見。これは安積疎水(あさかそすい)の水橋を模したモニュメント。かつて郡山は水に恵まれず農業に不利な土地でした。猪苗代湖から引いた水路と電力の開発によって郡山は農業・工業が大きく発展、東北で第二の人口を誇る都市に成長しました。さらに進むと釣り堀のような池が。海に面していない郡山では、貴重なたんぱく源としてため池を利用したコイの養殖が盛んです。郡山駅から東北本線に沿って北上。本宮市の映画館では、昭和30年代に活躍し今なお現役で使われている貴重な映写機を見学。さらに北上し、二本松市では城跡に造られている五重塔を発見、さらに不思議なようかんや伝統の家具を見ながら絶景の安達太良山を目指します。 

出演者  伊武雅刀(くもじい)  柳原可奈子(くもみ)


くもじいとくもみ、郡山から本宮を経て、二本松へ。霞ヶ城、安達太良山は映るようですが、安達地区まで飛んでくるかどうか、ちょっと微妙です。過日ご紹介した本宮映画劇場さんも取り上げられるようですね。

少しでも光太郎智恵子の名を挙げてほしいものです。



【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月13日

平成14年(2002)の今日、NHK教育テレビ(現・NHK Eテレ)「芸術劇場」で、野田秀樹作「売り言葉」が放映されました。

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この年2月、東京スパイラルホールで上演された、大竹しのぶさんによる一人芝居です。


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